第65話 お腹痛いから帰る
少しして唯李は何事もなかった顔で席に戻ってきた。
あれだけ騒いで何だったのかと思ったが、やはりどこか落ち着かない様子だ。ときおりチラチラと隣から視線をよこしてくる。いつ券を使われるかよほど気になるらしい。
こちらも負けじと見返してやるが、唯李はさっとあさってのほうを向いて知らんふり。かと思えば今度はせわしなく机を指でとんとんとやりだした。まるで何かのヤバイ禁断症状が出ている人のようだ。
試しに券を一度ポケットから取り出してじっと眺めて、またもとに戻すを繰り返してみると、
「おい」
「はい?」
「遊ぶな」
怒られた。
使うならひと思いにさっさとやれ、とでも言わんばかりだ。
もちろん悠己としてはまだそのつもりはない。なおも警戒を続ける唯李のおかげで、悠己たちの間には謎の緊迫感が漂い続けた。
昼休みになると、昼食がてら例の場所で凛央と落ち合うことにした。
言いなり券をポケットに忍ばせ、奥まった校舎の裏に入っていくと、凛央は何も口にせずに待ち構えていた。
「こ、これが唯李の言いなり券……」
悠己が券を手渡すと、凛央は「いいなり」と雑に書かれた文字をじっと見つめた。
券を持つ凛央の手が若干震えている。見た目は落書きしたただの紙切れだが、まるで当選した宝くじでも手にしたかのようだ。
「それを唯李の目の前で破り捨てるっていう話だったよね。唯李を改心させるために」
「で、でも……よくよく考えると、せっかく唯李が作ったのにそんなこと……」
「五秒ぐらいで作ってたよ」
せっかく作った感は微塵もない。
ついに言いなり券を手に入れたというのに、凛央はどうにも浮かない顔だ。
「どうかしたの?」
「私、唯李に嫌われたかもしれない……」
「どうして」
「この前、唯李からのラインの返信が……」
凛央はそこで一度言葉を飲み込む。
もしや悠己の知らない間に二人の仲がこじれていて、返信がないというのだろうか。
「……いつもより十分ぐらい遅かったの。普段は既読がついたらすぐにくるんだけど、変な間があって……」
「ちょっとぐらい待ってあげようよ」
ただの被害妄想らしい。
既読がつく瞬間を待ち構えて、時間を数えているというのもすでにちょっとアレだ。この人はこの人で機械のごとく即レスしてきそうで怖い。
「ちなみになんて送ったの?」
「別に、『テストどうだった?』って……。『まあ楽勝……かな』って来たから『楽勝だったわよね』って返しただけよ」
「ああ、それはダメだね」
「そ、そんな。私はすごく自然な感じだったのに……。それでちょっと変な感じで終わって、顔を合わせづらくて……で、でもこれを使えば……」
凛央は言いなり券をじっと注視しながら、ごくり、と息を飲む。
しばらく何事か考えているふうだったが、急に悠己の鼻先に券を突き出してきた。
「……や、やっぱりこれ、成戸くんに返すわ。これを使って仲良くなるなんて、そんなのは邪道よ」
「いや、だからそれ目の前で破り捨てるって話じゃなかったっけ?」
ちらりと本心が出たようだ。
隣の席キラーを退治するだの回りくどいことをするよりも、そっちのほうがてっとり早そうだと気づいたか。
「だって、私考えたんだけど……唯李がゲームの一環で私と仲良くなっただけだったら、それがもとに戻ったら、私のことなんて相手にしなくなるんじゃ……。そんなことになるんだったら、いっそ今のままで……」
どの道今もそこまで相手にされてないような気もする。
……という感想が一瞬悠己の頭をかすめたが、あくまでそんな気がしただけなので口には出さない。
「と、とにかくこれは返すから!」
そう言って凛央は、言いなり券を悠己の手に無理やり押し付けてくる。
「私が唯李を助ける!」と意気込んでいたあのときの勢いはいったいどこへやら。
いざ土壇場になってすっかり弱気になってしまい、これではお話にならない。
悠己は受け取った券をひらつかせて、
「じゃあこれはどうするの?」
「ど、どうするって……どうするの?」
と質問を質問で返され、お互い謎のお見合いとなった。
昼休み終わりのチャイムとほとんど同時に、悠己は教室の自分の席まで戻ってきた。
どこぞの席に出張していたらしい唯李も、ちょうど帰ってきて隣に着席したのですかさず声をかける。
「今日の帰り、ちょっと話があるんだけど」
ボソリとそう言うと、唯李は警戒心たっぷりに顔を向けた。
「……な、何?」
「例の券を使おうと思って」
ピクっと唯李の表情がこわばる。
券というワードに相当敏感になっているようだ。
「放課後になったら裏庭に来てほしいんだけど」
「う、裏庭? ど、どうしてまた……」
「なるべくその……人がいないところがいいかなって」
「ふ、ふぅん……? ずいぶんもったいぶるじゃない」
表面上余裕そうな笑みを浮かべる唯李だったが、これから授業だというのになぜかまた弁当箱を机の上に出して、やっぱりしまったりと謎行動を取っている。
もったいぶるというか、単純に人気のない場所ならどこでも構わないだけなのだが。
放課後になると、悠己は「先に行ってるから」とだけ唯李に告げて一人で教室を出た。
廊下を歩き、四組の教室の前で凛央と落ち合う。
「いよいよか」
「う、うん……でも本当にやるの?」
凛央はやたら青白い顔をしていた。そわそわと落ち着きがない。
他に案もないので、当初の予定通りいくことにした。
唯李の前で券を破り捨て、隣の席キラーを揺さぶったところを二人がかりで説得する、という流れだ。
それも真っ向から敵対するのではなく「あくまで唯李の味方だよ」というスタンスのもと、こんこんと諭すというのがポイント。
「凛央、顔が怖くなってる。笑顔笑顔」
そう促すと凛央はなんとか友好スマイルを作ってみせるが、緊張しているのか変に引きつっていて逆に怖い。
かと思えば急にお腹を手で抑えだして、
「ち、ちょっとトイレに……先に行ってて」
背中を丸めながら、早足にトイレのほうへ歩いていってしまった。
仕方なく悠己は一人で先に待ち合わせ場所に向かう。
昇降口を出ていつもとは別の方角へ曲がり、教員の駐車場を抜けて、花壇と幹の細い木が立ち並ぶ裏庭へ。
裏庭は校舎の形に沿うように広がっていて芝生になっている。遠目に二、三人生徒の影が見えるぐらいで、あたりに人の気配はなかった。
悠己は校舎の壁に背を向けて立つと、手前の花壇の花を眺めながらぼうっと待つ。
しかし待てども一向に凛央の姿が現れる気配はない。確認を取ろうとスマホを取り出すと、ちょうど凛央からラインが来た。
『お腹痛いから帰る』
まさかの小学生レベルの言い訳。
たださっきの様子ではお腹が痛くなったのは本当っぽいので、責めるに責められない。
そして何をしているのか肝心の唯李もやたら来るのが遅い。もしかするとあちらにもバックレられた可能性がある。
(こんなところで俺はいったい何をやってるんだろう……)
なんだか急にむなしくなってきた。
自分もお腹痛いことにして帰ろうかと思った矢先、足音がして近くに影が落ちた。
「お、おぅっす……」
ようやく現れた唯李が、何事か言って小さく手を上げた。
一見普段どおり……に見えるが少し様子がおかしい。妙に表情がこわばっていて声もやけにくぐもっている。
「遅かったね」
「そ、それで、何を……?」
若干上ずった声で、早くも先を促してくる。
前で組んだ指先をいじくり回しながら、不安そうな、それでいてどこか期待するようなまなざしで、軽く上目に見つめてくる。
悠己はポケットをさぐって言いなり券を探す。紙くず同然なので一瞬失くしたかと思った。
ようやく指先で紙の感触を捕まえると、おもむろに取り出して唯李の鼻先へと突きつけた。
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