第51話

 凛央とともに昼食を終えた悠己は、予鈴ギリギリに教室に戻ってきた。

 ちょうど唯李の周りからは人がいなくなっていた。席につくと唯李が一度ちらっと視線をよこしてくるが、すぐに手元の暗記手帳らしきものに目線を戻す。


 今日はなんだかんだで唯李とまともに会話をしていないことに気づく。

 別にこちらが避けているわけではないのだが、向こうがなんとなく避けてくるというか珍しく話しかけてこない。それどころか何か話しかけにくい空気を作ってきている感じもする。


「ねえ唯李。土日ってどっちかヒマ?」


 おかまいなしに声をかける。

 唯李はぴくっと肩を揺らすと、ゆっくりと振り向いた。


「ヒマ……だったら何?」

「また一緒にどこか出かけようかと思って」


 そう言うと、わずかに間があった。

 唯李は二度見するように視線をよこしてきて、


「それって、また瑞奈ちゃんがどうとかって?」

「瑞奈は関係ないよ。俺が唯李と遊びたいなぁって思って」

「ほーん……」


 変な声を出して口を開けながら、しきりにあごを触りだす。

 また謎の発作かな? とその仕草を眺めていると、唯李はごまかすように得意のにやにやドヤ顔を作った。


「え~あたしとぉ? またデートしたいのかなぁ? どうしたのかなぁ急に~」

「返事はイエスかノーかで簡潔に」

「ちょっとぐらい泳がせろよ」


 どうも態度がトゲトゲしい。

 いつもこんな感じだと言われたらそれもそうかもしれないが、一応思い当たるフシを尋ねてみる。


「なんか今日機嫌悪そうだね。もしかして昨日のゲームのことまだ根に持ってる?」

「は、はぁゲームぅ? やだもう、そんなワケないじゃな~い。こ、子供じゃあるまいし!」

「じゃあその不機嫌な感じは何?」

 そう返すと、唯李はぐっと口を結んで、何やらぼそぼそと口ごもる。

「…………ゲームっていうか、二人して子供扱いしやがってぇ……」

「え、何?」

「ち、違います! 不機嫌とかじゃなくて……そりゃあ、今テストで悠己くんとはVSだから! 唯李凛央チームで二対一でL字取ってボコボコにするから」


 一人でCPU戦をしているところにペアで乱入してくる反則スレスレのこの行為……いやもはや反則だと思うのだが、やはりこれは相当なひねくれ加減。

 それでこそ更生のしがいがあるというものだ。


「でも悠己くんがそこまで言うならしょうがないなぁ~。土曜? 日曜? 何時何時? どこに集合?」

「あれ? 敵なんじゃなかったの? というか凛央と勉強はしないの?」

「ん~……まあ、勉強はいつでもできるし。土日ぐらいはバトル休止でもいいかなって」


 今勉強しなくていつするつもりなのか。

 唯李はうって変わって声を弾ませ、身を乗り出してくる。

 何か企んでいるのではと逆にこちらが引き気味になってしまう。


「う~ん……じゃあとりあえずウチ来て」

「わかった、悠己くんち行けばいいのね」

「朝は眠いから午後からでいいかな」

「えー……むしろ午後から眠くなるし……。いいよ、じゃあ早めに行って午前中は瑞奈ちゃんと遊んでるから」


 いろいろとふっかけても食らいついてくる。

 暇なのかな? と思ったが、それならこちらもやりやすいと話をつける。


「それにしても悠己くんから誘ってくるなんて明日はラグナロクかな?」

「テストどころじゃないねそれは」

「ねえそういえばさっきの、凛央ちゃんに写真がどうたらってなんだったの?」

「なんでもない」

「なんでもないってことないでしょ何なの? アレは消してよねほんとに」

 

 疑り深そうな目で「何か企んでんじゃないでしょうね?」とグチグチ口やかましくなる。

 よくよく考えれば本当はこんなことをしている場合ではないのだが……。

 せめてテストが終わってからにすればよかったかな、と悠己は早くも後悔し始めていた。





「ゆきく~~~ん!」

「おにーちゃ~~ん!」

「ゆ・う・き~~~~!!」

「ラ・ムゥゥゥゥゥゥ!!!」


 激しい超音波攻撃によって目が覚める。

 まぶたを開くと、メガホンを構えた瑞奈がベッドの傍らで仁王立ちをしていた。


「やっと起きたなゆきくん! お寝坊さんなんだから!」

「……瑞奈、今日は学校休みだよ。日曜日でしょ」

「今日土曜日だよ! んもう、寝ぼけて! ほらはやくおきておきて! ちゃんゆい来てるよちゃんゆい!」

「チャン・ユイ……?」


 どこぞの怪しい中国人か……?

 と悠己は寝ぼけ眼のままベッドから体を起こし、瑞奈に手を引かれてリビングへ出ていく。

 するとなるほど見慣れない人影が近づいてきて、顔を覗き込むようにしてくる。


「おっ、起きたか~。まったく、妹に起こされて情けないな~」

「すいません、漢方薬とかそういうのは間に合ってるんで、お帰りください」

「何言ってるのこの人」


「も~なに寝ボケてるの!」と瑞奈が再度メガホンを構えたので、また超音波を食らってはたまらんと耳をふさぐ。

 おかまいなしに瑞奈はめいっぱい背伸びして、耳にメガホンを近づけてキンキン声を浴びせてきた。


「いつまでもそんな格好してないではやく着替えなさ~い!」

「くすくす、悠己くんパジャマだ~。かわい~」


 左右から二人に挟まれてああだこうだと、寝起きにこれはとてもしんどい。


「……チッ、うるさいなぁ」

「いま軽く舌打ちしたよこの人」

「んも~ゆきくん眠いと機嫌悪いんだから」

「これ機嫌悪いとかってレベルじゃなくない? ほぉら悠己くん愛しの彼女ですよ~」

「誰が? 寝言は寝て言いなよ」

「寝ぼけてんのはどっちだオイ」


 すかさず「ちょっと、瑞奈ちゃん見てるよ!」との耳打ちが。

 同時に目の前でふわっと髪が揺れて、かすかに甘い匂いが悠己の鼻をくすぐった。


「ああ、なんだ唯李か。おはよう」

「何で判断した今?」

「おいで、抱っこしてあげる」

「まーだ寝ぼけてやがんな」


 両手を広げて待ち構えるが、唯李は警戒して一、二歩下がった。

 代わりに一回り小さい影が悠己の胸元に飛び込んできた。


「じゃあ瑞奈がだっこしてもらうー!」


 瑞奈の体がすっぽり収まると、悠己は背中に両腕を回して力任せに抱きしめた。


「ぐ、ぐぎゃあああああ!!」

「やっぱりそれどう見ても罠でしょ。……ちょっと悠己くん、やめなさいってば! なんで朝から妹にベアハッグかましてるの」


 横入りにしてきた唯李によって獲物を引き剥がされる。

 ふらふらになった瑞奈は唯李に体を支えられる。かと思えばキラっと目を光らせ素早く身を翻し、


「ゆいー! 好きだー!」


 スキありと唯李のお尻にしがみついて頬ずりをかましていく。


「ちょ、ちょっと瑞奈ちゃん! やめなさい!」

「ふう、ノルマ完了」

「誰? 誰にいくらもらってる!?」


 唯李が瑞奈のほっぺたをつまんでうにょにょとやる。

 そんな光景を見ながら、ぼんやりした頭を働かせて、状況把握をこころみる。


「あーあー悠己くん髪ハネてる、すっごい寝癖だよ」 

「直して」

「自分でやれ」


 即突っ返されたが、すかさず瑞奈が櫛を持ってきてハイ、と唯李に手渡す。

 唯李はつい受け取ってしまったという顔で、櫛を持ったまま固まった。

 期待たっぷりの瑞奈の視線に追いやられたのか、おそるおそる悠己の髪に櫛を入れてくる。


「も、もう悠己くんったらぁ、し、しょうがないんだからぁ!」

「いた、いたた! もっと優しく」

「……あまり調子に乗るなよ?」


 ぼそっと低い声で呟く裏で、瑞奈がスマホのカメラをこちらに向けていた。

 殺気でも感じたのか、すかさず唯李がぱっと振り返って瑞奈に迫っていく。


「瑞奈ちゃん、まーたそうやって!」

「むふ、いい絵が撮れましたな」

「ちょっと見せなさい!」

 

 バタバタと二人の追いかけっこが始まった。

 なんとなしに眺めながら、悠己は寝る前のことを思い出す。

 昨晩は瑞奈が寝静まったあと、遅くまで勉強していたはずなのだが……ふと気づいたら今のこの状況。


(そうだ、今日は唯李と凛央と……)


 例の作戦……というほど大げさなものでもないが、約束をしていたのだった。やっと頭が働いてきた。

 唯李はなぜかソファで瑞奈の下敷きになっていた。じゃれあって早くも髪が乱れている。悠己は瑞奈を脇にのけて頭を下げる。


「ごめんごめん、今日俺が唯李を呼んだんだっけ。ちょっと寝ぼけてて」

「そうだもっとあやまれ。ドラ○もんぽくあやまれ」

「すまんナリ」

「誰だよ」


 時刻は十一時前、思ったより時間が押している。

 何やらまだごちゃごちゃと揉めている二人を尻目に、悠己は一度リビングを出た。洗面所で顔を洗い、自分の部屋に戻って着替えを済ませる。

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