第17話 自習

 その日の三限目の授業は教師が急遽休みだとかで、自習になった。

 隣のクラスで授業をする教師がその旨を告げて出ていくと、最初のうちは静かだった教室のあちこちから徐々に私語が聞こえ始める。


 おのおの漫画を読み出したりスマホをいじりだしたり、やがて勝手に席を移動したりする生徒が現れると、室内はやや静かな休み時間の様相を呈しだしていった。

 そんな中悠己はというと、相変わらず隅っこの席で手元の音楽プレーヤーから伸びたイヤホンを耳に入れて、机に突っ伏していた。

 音楽を聞きながらすっかり脱力して眠りに入りかけていると、突然何者かに肩を叩かれた。


「何聞いてるの?」


 顔をあげると、案の定隣の唯李が若干首をかしげ気味にこちらを見ていた。

 椅子に横座りして体を傾けて、身を乗り出している。

 悠己はなんともなしに正直に答える。


「モーツァルト」

「えっ、クラシック? もしかして悠己くんって、何か楽器とかやってるの? 家が音楽一家だったり?」

「いや全然。ただ家にあったから、何がすごいのか気になって」

「……そのパターン多いよね。偉人になにか恨みでもあるの?」


 なんとなく自分で確かめないと気がすまないタチ、なのかもしれない。

 単純に暇を持て余しているだけと言われても否定はできないが。


「それで何がすごいのかわかった?」

「いやさっぱり。ただ眠くなるからちょうどいい」

「それダメなやつじゃん」


 じゃあおやすみ、と悠己が再度顔を伏せて目を閉じようとすると、


「じゃじゃーん」


 とかなんとか聞こえてきたが無視していると、


「ちょっと見て、見てよこっち」


 やっぱりうるさいので上半身を起こして顔を向ける。

 すると唯李が何やらメモ帳らしきものをパラパラとやりながら見せつけてきた。

 いろいろと書き込みがしてあるようだが、なんだかわからない。悠己は目を細めて尋ねる。


「なにそれ」

「大喜利手帳。これで悠己くんのこと、笑わせようと思って」


 はあ? と思わず気の抜けた声が出てしまうが、唯李は意に介せずメモ帳をめくると、ひとりでに読み上げ始めた。


「校長先生のヅラが強風で飛ばされてしまいました。さて何が隠されていた?」


 そこで一度ちらっと顔色をうかがってくる。

 悠己がうんともすんとも言わずぼんやり見ていると、唯李はすぐにメモに視線を戻して、


「タケ○プター」


 またちらっと悠己の顔を見てくる。

 どうやら題と答えを自分で読み上げるセルフ大喜利らしい。


「……それで笑えって?」

「今のは様子見に決まってるでしょ、要するにつかみ。ジャブだよジャブ。こういうのって順番が重要なの。最初はあるあるのネタでせめて、共感を得るわけです」

「いや、今のいきなりないよね」

「それからもしかしたらあるかなっていうあるなしのネタ。その途中に被せとかを持ってきて、そして非現実的な、なしなしのネタ。でもいきなりこれを言ってもしらけるわけです」


 聞いてもいないのに得意げに講釈を垂れだした。

 それなりの理論に基づくものらしいが本当かどうか。


「じゃいくよ次、ぶ、ぶふっ……」

「もう自分で笑っちゃってるじゃん」

「読んで読んで、お題読んで」

「……校長先生のヅラが強風で飛ばされてしまいました。さて何が隠されていた?」

「あ、味付けのり……ぶ、ぶふっ」


 唯李は手で口を押さえながらぶふーっ、と息を吹き出す。

 対する悠己は依然として真顔で、


「いや意味がわからない」

「わかるでしょ? 取れたときに保険かけたみたいな。しかも味付けだよ? いざってときには白飯もいけますよ的な」

「ふぅ~ん……」

「感心してないで笑いなよ」


 説明されるとそうか、とは思うがそんな吹き出すほどかと言ったらそうでもない。

 唯李の笑いのツボが広いのか、というか事前に用意していたネタでこれだけ笑えるのなら幸せだ。


「じゃあ悠己くん試しにやってみて」

「えぇ……」

「校長先生のヅラが強風で飛ばされてしまいました。さて何が隠されていたでしょうか?」


 お題を読み上げた唯李が期待の眼差しを送ってくる。

 マジか……と辟易しつつも、悠己はどうにか考えを巡らせて口にした。


「血糊のついた凶器」

「なにそれ、どうして黒いほうに持ってくの? はぁ……」


 憐れむような顔でため息をつかれた。

 ひどい無茶振りに答えてあげたのに、この仕打ちはどうかと思う。


「ブラックジョークは好きじゃないの」

「いや、そっちが好きかどうかっていう問題だっけ? これって」

「じゃ次、次」

「めんどくさいからもう一気に答えだけ読んでよ」


 いちいちお題を読まれると大して面白くもないのにやたら時間をとられる。

 唯李は少し不満そうだったが、また一人でニヤニヤしながらメモを眺めて、


「ゼンマイ」

「午後は動きが鈍くなりそう」

「野球ボール」

「隠し球?」

「カレーはレンジでチンしてね」

「どこに書き置きしてるの」

「辞表」

「ヅラがバレたら辞めるんだ」

「愛」

「そういう答えは逃げでしょ」

「血糊のついた凶器」

「それ俺が言ったやつ」

「虚栄心」

「じゃあもういいよそれで」


 人のネタを使いだした時点で、もう大したものは出てこないらしいことがわかった。

 唯李はなぜかやりきった顔でメモを閉じる。


「虚栄心まみれの凶器……転じてヅラ。答えが出ましたね」

「大喜利ってそういうことじゃないでしょ。ていうかさっきの偉そうな講釈は何だったの?」

「面白かった?」

「う~ん……」


 悠己は腕を組んで、自然と難しい顔になる。

 すると唯李もちょっと困った顔になって、


「なんていうかその……笑ってみせてほしいなぁって」

「そう言われてもねぇ……俺を笑わせて何か得があるの?」

「得っていうか、だって悠己くん、笑ったらかわいいもんね」

 

 そう言ってにこりと笑いかけてくる。

 そういう本人も笑顔がすっかり板についているというか、目元の緩み具合といい口角の上がり具合といい完璧に近い。


「それ言うなら、唯李だって笑ってたらかわいいし」

「え?」


 一瞬ピクリ、と唯李の口元がひくつく。

 かと思えば、急に両頬に手を当ててぐっと押さえ込みだした。


「……何やってんの?」

「これ? ホームアローン。ムンクの叫び」

「はあ?」

「効いてないよ? 効いてない」

「何が」


 唯李は変なポーズのままふぅ~……とゆっくり息を吐く。

 そしてやっと手を離すと、わざとらしいほどの真顔に戻った。


「ていうか別に、笑ってなくてもかわいいし? 唯李ちゃん普通にしててもかわいいもん」

「ああそうですか。でも唯李は優しいね」

「は、はい?」

「俺のこと楽しませようと思って、いろいろ考えてきたんでしょ?」


 そう言うと、せっかくの唯李の真顔が崩壊を始める。

 今度は目をそらすように顔を伏せぎみに、やや顔を赤らめつつ、


「え、えっとその、笑ってるほうが、いいかなって……」

「そっか。まあぜんぜん面白くなかったけど」

「よかろうそのケンカ買った!」


 唯李はがたっと立ち上がると、悠己の机をガタガタと揺らし始めた。

 しかしすぐに、二つ前に座っていたクラス委員の女子に「鷹月さん静かにして!   他のクラス授業中だよ!」と怒られてしょぼん、となっていた。

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