第6話 瑞奈
それから十数分後、また雨に降られないうちに、悠己は急ぎ足で帰宅した。
自宅は学校から駅までの道を途中でそれた先、住宅街が立ち並ぶ五階建てのマンション二階の角にある。
エントランスホールを抜け、上昇中のエレベーターを待たずにさっさと階段で二階へ。
部屋はベランダ付きの3LDK。現在は父と妹の三人暮らし。
朝早くから都内まで仕事に出ていく父は、帰宅も夜遅い。
さらに現在は長期出張中で、関西のマンスリーマンションにいる。毎週末に一度、様子を見に帰ってきたり来なかったり。
そのため普段は悠己と三つ下の妹、瑞奈(みな)の実質二人暮らしだ。
鍵を開けて入っていくが、ぱっと見瑞奈の靴は見当たらず、家の中は暗く無音。
(瑞奈はどこかで道草食ってるのかな?)
しかしリビングに足を踏み入れるなり、パンパン! とクラッカーを鳴らす音が響いた。
てっきり誰もいないと思っていた部屋にパチリと電気がついて、妹の瑞奈が勢いよく目の前に飛び出してくる。
Tシャツ短パン姿の瑞奈は、椅子付きのテーブルの上を指さしながら、
「じゃじゃーん。みてみて! 瑞奈がゆきくんのお誕生日ケーキ作りました! サプライズ! 驚いた?」
「うん、びっくりした」
「やったぁ、ゆきくんをびっくりさせたぁ! やってやったぜ!」
瑞奈は軽く飛び跳ねてみせると、無理やり悠己の腕をとってテーブルまで連れて行く。
そしてされるがまま、悠己は椅子に座らせられ、お誕生日ケーキとやらに対面させられる。
目の前の皿の上にそびえるのは、プレーンロールケーキに生クリームを塗りたくって、べたべたと缶詰の果物をくっつけた見るからに胃もたれしそうなケーキだ。
瑞奈が一人で完璧なホールケーキを自作したらそれはそれで驚きだが、これはこれでなかなかに斬新と言える。
「どうぞ、召し上がれ~」
「瑞奈、俺今日誕生日じゃない」
「しってるしってる。誕生日前祝い」
「後祝いかな。どちらかと言うと」
「べつに誕生日じゃなくても誕生日ケーキ食べたっていいよね」
「なかなか斬新な発想だね」
今日は本気で悠己の誕生日でも何でもない。
怒涛の勢いを冷静に突っ返すと、瑞奈は顎に手をあてて考えるような仕草をして、
「誕生日がダメなら、うーんと……。そうだ! 母の日、乳の日があるわけだから、兄の日があってもいいと思うんです」
「父のイントネーションちがくない?」
「ケーキ作ったついでに今日を兄の日にしよう! ゆきくんバンザイ! ゆきくんマンセー‼」
元気よく万歳三唱。どうやらノリで突っ切るつもりらしい。
でもまあ楽しそうだから何でもいいか、と悠己もあまり細かいことにはこだわらない。
というか毎日こんな調子なので、いちいち突っ込んだり驚いていると身が持たない。
悠己のリアクション薄い体質は瑞奈によって培われたと言っても過言ではないのだ。
「でも俺一人だけ食べるのもなんか悪いなぁ」
「気にしないでゆきくん。瑞奈はもう自分のぶん喰らったから」
「すでに後の祭りだったわけね。あと喰らった言うな。こういうときは、いただきました」
「いただきました!」
びしっと敬礼。
瑞奈の口調が丁寧だったり悪かったりするのは矯正途中だからだ。
そうでなくても単語のチョイスというか、言葉の使い方が独特でちょっとおかしい。単に誤用が多いとも言える。
ちなみに悠己の名前は正確にはゆうき、なのだが瑞奈の発音が舌足らずでイントネーションが先頭にくるので、ゆきくんと聞こえる。
「ところで瑞奈はお腹いっぱいだから、今日ご飯いりませーん」
「一人で大きいの食べたでしょ」
ヒューヒューと音の出ない口笛を吹きながら、瑞奈は素知らぬ顔で反対側の椅子に腰掛ける。
おそらく勝手にケーキを作って食べると怒られるから、と言うか食べてしまったから、誕生日祝いということにすればいいという結論に至ったのだろう。
「どお? おいしい?」
悠己がケーキにフォークを突き立てるすぐ横で、瑞奈はテーブルに両ひじをつきながらじっと顔を見つめてくる。
黒目の大きなつぶらな瞳に、まだ幼さの残る口元。とても小顔で体も小柄で、肌がやたら白い。
肩にかかる長さの黒髪を両耳の上あたりで縛って、ツインテール状にしている。
「おいしいよ。ちょっと甘いけど」
「よかったぁ、へへ。ねえ、一口ちょーだい」
「瑞奈はもうさんざん食べたんでしょ?」
「あーん」
勝手に口を開けて待ち構えるので、フォークで生地をすくって放り込んでやると、瑞奈はにへら、と口元を緩ませる。
兄の悠己からしても、瑞奈の容貌は特にこれといって文句を付けるところがないぐらいにはかわいらしい。あくまで見た目は。
それなりの女子も瑞奈と比べると霞んでしまうため、悠己の目は肥えていて美少女というものにもある程度耐性がある。
悠己がやや父親寄りなのに対して、瑞奈は今は亡き母親似だ。子供の頃の母の写真を見るとうり二つなまでによく似ている。
父いわく、学生時代の母はそれはもう学園のアイドル的存在で、手の届かないお姫様のようだったと。
佳人薄命とはよく言ったものだ、からのそれを射止めたオレすごいとすぐ自慢話になる。
瑞奈も瑞奈で、自分の好きなところ「顔がかわいい」とか言っちゃうような子だ。
とはいえ中身はお姫様とはほど遠いが。
「これから三日に一回は作ってあげるね」
「いやそれはいいよ」
本人的には決して悪気があるとかふざけているというわけではない。
いや多少ふざけてはいるのかもしれないが、サービス精神旺盛なのだ。悠己を驚かせて楽しませたいという意識が根底にある。
瑞奈に見守られながらケーキを平らげると、キッチンへ行って皿を流しにおいて水で浸す。
傍らに生クリームまみれの皿が置いてあってうっ、と思ったがとりあえず見なかったことにしてリビングへ戻り、ソファーに腰掛けテレビを流す。
すると瑞奈がすぐ隣に座ってきて、ふあぁ……と大きなあくびをするなりうとうととまどろみ始めた。
そのままぼーっとテレビのニュース等を眺めていると、いつの間にか時刻は夕方六時を回っていた。
ぐたっとソファーに身をもたれた瑞奈は、すーすーと静かな寝息を立てている。
瑞奈がご飯はいらないというのなら、自分一人でさっさと適当に済まそう。
そう思って戸棚からインスタントラーメンの袋を取り出すと、水を入れた鍋に火をかけて麺を投入。
卵とかもやしとか冷蔵庫にあったものを適当にぶち込んでしばらく煮込み、鍋のままテーブルへ持ってきて箸を突っ込む。
貧乏くさいからやめろと、父にはこの食べ方が不評なのだが今は気にしない。
麺をすすっていると、いつの間にか起きてきた瑞奈がテーブルに両手をついて、なぜかこっそり耳打ちしてくる。
「一口ちょーだい」
「飯いらないんじゃなかったの」
「あーん」
リアクション芸人みたくなりたいのか熱いから自分で食え。と箸を渡す。
うまくすすれないためもむもむとゆっくり麺を吸い込んだ瑞奈は、口をもぐもぐとさせながらくるっと回転し、
「お風呂入ってくる!」
「まだお湯入れてないよ」
「いれてくる!」
どたばたどたばたと部屋を出ていって、すぐに帰ってくる。もう一口ちょーだい、とやって待機。
しばらくして風呂のアラートが鳴るや、またもや慌ただしく出ていく。
「お風呂入ってきた!」
そして数十分後、湯気とともにバスタオルを体に巻き付けた状態で戻ってきて、ソファーでスマホをいじっていた悠己の前に立ちふさがる。
「まーたそんな格好で……」
「えっへっへ……」
何やら妙な笑い方をした瑞奈が、突然ぱっと両腕を左右に大きく広げる。
すると、するするっと体に巻き付いたタオルが床に落ちた。
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