第4話 帰り道

 授業が終わって放課後になると、悠己は一人教室を出て図書室へ向かった。

 カバンから借りた本を取り出して、受付カウンターに返す。今朝唯李に見つかった本だ。

 折り悪く付近にいた女性教員と目があってしまい、


「あ、どうだった?」

「いやぁ、難しかったです」

「ふふ。そう」


 面白そうに笑いかけられる。

 さすがに「意味不明でつまらなかったです」とは言わない。

 なぜか妙に気に入られているのだ。借りるときにもなんやかんや話しかけられた。

 また変な本を勧められてはたまらんと、そそくさと図書室を出てそのまま昇降口へ向かう。


「あれ? 成戸くんじゃん」


 下駄箱を開けて靴を取り出そうとしていると、横から不意に声をかけられた。

 振り向くと唯李が小さく手を上げて近づいてきた。


「今帰り?」

「そうだけど」


 唯李は微笑んで後ろを通り過ぎると、同じように靴を履き替え始めた。

 先に下駄箱を閉めた悠己は、その唯李の背後を素通りして外へ出ていく。

 今日の天気は朝から崩れ気味で、今にも雨が降り出しそうな空模様だった。

 足を止めて空を見上げていると、


「あーやっぱ雨降りそうだねー」 

 

 追いついてきた唯李が、隣に並んで同じように空を見上げながら言った。

 また話しかけられると思っていなかったので、少しぎょっとして唯李を見る。


「成戸くんって歩き? 家どのへんなの?」

「中街通りの端のほう」 


 悠己は基本家から学校までは歩き。

 以前は自転車だったが、朝居眠り運転をしていて、道路脇の溝に突っ込んで壊して以来徒歩通学だ。

 とはいえ自宅から学校へはさほど遠いわけではない。この学校は近いから、という理由で選んだようなものだ。早足でいけば片道三十分ほどですむ。


「へえ、そうなんだ。あたし今日駅まで歩きだから、途中まで一緒に帰ろっか?」

 

 唯李の申し出に悠己は一瞬耳を疑った。

 教室で隣り合っている間だけならばまだわかるが、さしもの隣の席キラーといえどそれはやりすぎだと思う。

 偶然の流れだと言われてしまえばそれまでかもしれないが……ここでああだこうだやっても仕方ないので、言われるがままに一緒に下校することになった。


「今日の朝までろくに話したこともなかったのに、なんか不思議だね」


 校門を出た先の道路を歩きながら、唯李は相変わらずニコニコと隣で笑顔を振りまいてくる。

 周囲にはクラスメイトはもちろん同じ学校の制服の影もなくなって、彼女が周りの目を気にして仲良くしてくる、というような線もどうやら消えた。


「そうだね」ととりあえず相槌を打つが、そのあとが何も続かない。

 女子と二人きりで一緒に下校する、というのが初めての経験で勝手がわからないというのもあるが、悠己はもともとそういうタチだ。

 黙りこくっていると唯李はしびれを切らしたのか、横からじっと顔を見つめてきて、


「ねえねえ、なんかしゃべってよぉ」

「なんかって何?」 

「なんでもいいから。面白い話」


 そしてこの無茶振り。

 俺芸人じゃないから、と一言突き放そうかとも思ったが、普通を自負するなりに普通なりの面白い話をしてみせたほうがいいかと思い返す。


「ええと、今日読んだ本の話なんだけど」

「うんうん」

「ルサンチマンっていう超人キ○肉マンにいそうだなって」

「ごめん何の話か全然わかんない」


 何でもいいと言ったのに強制終了させられた。

 まあ面白い話というのはプロでも難しいと言うし、素人ましてや普通がそうそう笑いを取れるはずもない。

 こんなものだろうと悠己が勝手に満足していると、唯李が聞いてもいないのにひとりでに話し始める。


「あたし、駅までいつも自転車なんだけど、雨のときは歩きなの。中街通りの端のほうって、歩きだと結構かかるよね? そういえば成戸くん、傘は? 折りたたみ?」

「今日持って来るの忘れた。まぁ降ったら降ったでそのときかな。最悪濡れるだけだし」


 そこらのコンビニで買うという手もあるが、あまり無駄金は使いたくない。

 唯李は手にしたビニール傘を竹刀のように構えると、


「ふーん……。雨降ってきたら、入れてあげようか?」


 首をかしげて悠己の顔を覗き込んでくる。

 いきなりそんなことを言われてなんと返すべきか迷っていると、唯李はふふん、と満足げに息を吐いた。


「昼のお返しだよ」

「はい?」

「半沢だよ」

「はあ?」


 会話が噛み合わないでいるうちに、いよいよ雨がぱらつき出した。


「あ、ほんとに降ってきちゃった」と言って唯李は手に持った傘をばっと開いて、ちらりと視線をよこしてくる。

「いーれて。って言ったらいいよ」

「いやいいっす」

「じゃ入れてあげなーい」


 唯李は口をいーっとやって顔を近づけてきて、すぐにわざとらしく二、三歩距離をとった。

 降り出したと言ってもまばらで、さほどの強さではない。

 ただ少し急いだほうがいいかなと、足取りを早めようとすると、ふと体に当たる雨の感覚がなくなった。

 いつの間にかすぐ近くに寄ってきていた唯李が、傘の持ち手をわざとらしく持ち上げながら、


「これ成戸くんが持ってくれたほうが楽なんだけどなぁ」


 悠己と唯李とでは、肩の高さに握りこぶし大ほどの差がある。ちょうど悠己の口元ぐらいに唯李の頭がくる。

 唯李は悠己の足元から頭まで一度ざっと視線を走らせると、


「けっこうスタイルいいよね」

「それは嫌味かな」


 そう言う本人も抜群にいい。

 悠己の身長が前回の身体測定のときに174だったので、唯李はおそらく160ぐらいだろう。

 腰の位置から察するに、きっと足が長いのだ。傘を支える腕もスラリと細く長い。


 前に慶太郎から、腰からお尻にかけてのラインがエロいとかなんとかそんな話を聞かされた。

 ふと慶太郎で思い出したが、もし一緒の傘に入っているこんな状況を見られでもしたら、いったい何を言われるやら。

 男子連中はみんな彼女のことが気になっているというし、なんとなく落ち着かない感じがする。悠己はすっと横に一歩ずれて、傘の下から外に出た。


「ちょっとなんで逃げるの」

「言うほど降ってないし」

「降ってないって……あ、わかった。恥ずかしいんだ~」


 口元をにやつかせながら唯李はしきりに指を差してきて、何やらご満悦のようだ。

 しかし実際傘から外れてみると、早くも雨はほぼほぼ止んでいた。


「だいたい降ってないって、そんなわけ……」

 

 唯李は軽く傘を傾けると、手のひらを上にかざしてみせて、


「って止んでるー!」


 ずるっと体をのけぞらせる。

 悠己がうんともすんとも言わずその様子を眺めていると、唯李は若干顔を赤くして傘をたたみながら、こほん、と咳払いをした。


「……今の、面白くなかった?」

「面白かった……と思うよ。たぶん」

「じゃ笑おうよ。というか面白くなくても笑おうよここは。すごく不安になるから。愛想笑いって大事だよ? 成戸くんって、あんまり笑わないよね」

「いや俺リアクション薄いだけだから。心の中ではちゃんと笑ってるから」

「それリアクション薄いとかそういう話なの? 腹の中で笑ってるって、それ小バカにしてるやつじゃなくて?」

「ううん全然、そんなことないって」

「じゃあ今笑って? 一回笑ってみせて」


 唯李は真顔でそんなことを言いながら、必要以上に顔を近づけてくる。

 ここまでされるとさすがの悠己も少し辟易する。 

 何をそんなムキになっているのか、何だってこんなに自分にしつこく構ってくるのか。

 ずっと違和感があったが、ここに来て急に頭の中に一つのひらめきが生まれた。


「あのさ俺……推理小説とかミステリーとか、結構読むんだけど」

「うんうん」

「犯人の考えとか、企みとか……推理するのが得意でね。そういうのにはちょっとばかし自信があるんだ」

「へえへえ。それがどうしたの? 急に」

「今、考えてること、当ててみせようか」

「え? あたしが? へ~、面白そう。やってみせてよ」


 唯李は俄然乗り気になる。

 初めて悠己のほうから積極的に話を振ったので、少し驚いているようでもあった。

 らんらんと目を輝かせ待ち構える唯李に向かって、悠己は満を持して言い放つ。


「ずばり……君は。隣の席になった男子を自分に惚れさせる、というゲームをしている」

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