【完結済】窓際の猫

藤樫 かすみ

ファースト・コミュニケーション

第1話 ファースト・コミュニケーション

大きな白いキャンパスに、鉛筆を走らせた。何本もの線が、スケッチしている物を形作っていく。何度も消しては描いて、消しては描いてを自分が納得するまでくり返す。描いている間は誰も僕に話しかけてこないし、時間を気にしなくていい。だから好きだ。僕にとって唯一心が安らぐ時間だ。心から安心できる。可能ならこの時間がずっと続いて欲しいと願う。が、現実はそううまくいかない。簡単な糸のほつれが、幸せを壊すんだ。だからこそ、幸せな時こそ注意しなければならない。僕は意を決して、目の前の少女、⦅春陽(はるひ)⦆に声をかけた。


「今いいところだから、動かないでくれないか。」


スケッチブックから目を離さずに注意すると、春陽は動こうとした体を元の位置に戻した。春陽は基本じっとしているが、時々こういうことがある。僕としてはあまり気にしていないのが、やはり集中している時に動かれると少し困ってしまう。だけど許容範囲内だ。こうして声をかければ動かないでいてくれるのだから。それで済むからとても楽だ。

今までの人はそううまくはいかなかった。言う事を聞かずに途中で美術室を飛び出したりする人もいたし、始終呆れたような顔をする人もいた。モデルをしてもらってるのに、そんな顔をするなんて汚く描いて欲しかったんだろうかと思う。だけど僕にはそんな事をされても仕方がない原因があった。僕は今までモデルの人を人間だと思って扱ったことはない。その人の性格とか、趣味とかに全く興味がなかった。それをあっちも察していたのだろう。よく「私に何か言う事ないの?」とか、「せっかく可愛くしてきたのに何も言わないなんてサイテー」とよく罵倒されたものだ。まぁ、あっちも僕を変質者としてしか見ていなかったはずなのだから。そんなのを僕に求めるのはお門違いだろう。でもこうして比較してみれば、お互い様と言えなくもない。お互いを思いやらないからこうなったのだろう。これはコミュニケーションの問題だ。

でも、春陽は違った。春陽とは今の所そんな事にはなっていない。気づけば長い事モデルとして絵を描かせてもらってるが、一度も嫌な顔をしたことはない。いつも美しくて、物静かで、可憐な少女だった。僕はそんな春陽を、少なくとも今まで会った人の中では気に入っている。春陽も、僕のモデルは飽きていないらしいし。コミュニケーションはほとんど無いが、これはお互いに良い関係なのではないだろうか。僕は鉛筆をスケッチブックの上で走らせながら、ふと、大人しく椅子に座っている春陽との馴れ初めを思い出していた。

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