蒼い歌と百合の花

砂鳥はと子

プロローグ 二人の少女

 東海地方S県そらみや市にある私立星花せいか女子学園は、滅多に振らない雪に見舞われていた。


 空からはらはらと舞い降りる白い欠片に、生徒たちは物珍しそうに、嬉しそうに、迷惑そうに、それぞれの思いを表出させている。


 そんな雪に気を取られている生徒たちをよそに、一人の少女が息を切らしながら走っていた。少女は校内の敷地北端へと急いでいる最中だ。白い息を吐きながらたどり着いたのは学生寮である。


 星花女子学園にはニ種類の寮があり、一つは優秀な生徒のみが入れる菊花寮と、誰でも入れる桜花寮があった。


 少女、十名とな響姫ひびきは道の途中で雪だるまを作る生徒の脇を通り抜けて、中等部桜花寮の方へと進む。


 響姫は玄関から階段に向かい、一気に三階の自身の部屋まで駆けた。勢いよく扉を開ける。


海実うみちゃん、百歌もか先輩の歌が手に入った!!」


 誰が見ても一目瞭然に嬉しそうに瞳を輝かせて響姫はスマホを、ベッドに腰掛ける少女に見せつける。とは言ってもスマホの画面には時刻しか表示されていないが。


「ほ、本当に⋯⋯!?」


 ベッドに腰掛けていた方の少女、更岸さらきし海実は驚いたように目を見開いて、腰を浮かせる。


「まじだよ、まじまじ!」


 響姫は自信満々の笑顔を見せる。


「見る? 聞くよね、海実ちゃん。今すぐがいい? 後がいい?」


「今見たいかも」


 やや興奮気味に海実が返答する。


「よし、じゃあ今から見よう」


 響姫は開けっ放しだった扉を閉めて、海実の横へ座った。そしてスマホをいじって動画を再生させる。海実は響姫に身をよせて画面を真剣な面持ちで覗き込む。


 そこに映し出されたのは一人の少女。名は歌越うたこし百歌という。


 肩の上で切り揃えられた美しい黒髪が天使の輪を作っていた。整った面立ちは凛々しく華があり、自負心が強いのだろうと伺わせる。


『何の曲がいい? 何でも言ってよ。可愛い後輩のためなら喜んで歌うよ』


 さながらお姫様を口説くような王子様といった体で、こちらを見ていた。そんな振る舞いから彼女のことを「王子様」と呼ぶ女生徒は絶えない。


『あの百歌先輩、「ウィンター・ワンダーランド」をリクエストしてもいいですか?』


 画面の端から緊張気味の響姫の声が聞こえてきた。


『もちろん、構わないよ。ボクの得意な曲の一つだよ』


 にっこり微笑む百歌に歓声が上がる。画面には百歌しか映っていないが、周りには固唾を呑んで見守る合唱部員たちがいるのだろう。


 百歌は姿勢を正し、深呼吸するとアカペラで「ウィンター・ワンダーランド」を歌い始めた。それはクリスマスが近づいた今の時期にぴったりな明るい曲で、百歌は拍子を取りながら楽しそうに朗々と歌う。


 響姫も海実もその歌声に齧りつくように聞き入る。よく通るアルトボイスは聴く者の耳にとても馴染んだ。


 歌い終えた百歌は恭しくおじぎをし、『ありがとうございます、先輩』という響姫の声は拍手にかき消された。


『これくらいいつでもお安いご用だよ。またボクの歌を参考にしたかったら、いつでも言っておいで』


 そこで動画は終わる。


「⋯⋯百歌先輩の歌、やっぱりすごく素敵だね」


 海実は感動を滲ませながら、ついでに目も少し潤ませながら響姫を見つめた。


「でしょう、でしょう! 百歌先輩は我が合唱部みんなの憧れだからね! まぁ私の本命は蒼衣あおい先輩だけどね」


 えっへんと響姫は胸を張る。


「響姫ちゃん、この動画、えっと⋯⋯」


「もちろんあとで海実ちゃんのスマホに送るよ。この間、海実ちゃんからは蒼衣先輩の動画もらったからね。そのお礼だよ」


「ありがとう、響姫ちゃん!」


 二人は手を取り合って喜びあった。


 実は先日、響姫は自身が憧れている和楽器部の百木ももき蒼衣の動画を海実からもらったばかりだった。


 海実が和楽器部の所属のため、何とか蒼衣が演奏する姿を録画できないかと頼んだのである。


 そこで海実は「演奏のお手本が欲しい」と嘘でもないが事実でもない理由を見繕い、蒼衣に演奏姿の撮影をお願いした。


 最初は戸惑っていた蒼衣だったが、後輩のためならと一肌脱いでくれたのだ。


 かくして海実は蒼衣の三味線を演奏する動画を入手し、それを響姫へと渡した。


 そのお礼として今度は響姫が海実の憧れている百歌と同じ合唱部であることを利用して、海実と同じようなことを言って百歌の歌の録画を頼み込んだ。

百歌は二つ返事で了承してくれたので、無事にこちらの動画も手に入れることが出来たのだった。


「百歌先輩の動画見てたら、私も蒼衣先輩の動画見たくなっちゃったな〜」


 響姫は次に海実からもらった蒼衣の動画を再生する。隣りにいた海実も何度か見たその動画を見つめる。


 画面には長い黒髪の少女が映し出される。海実たち後輩からは時に「お姉さま」と呼ばれる蒼衣は、少し近寄り難い雰囲気があり、冴え冴えとした瞳が印象的だった。


 畳に正座して三味線を持つ姿はどこかちぐはぐで、でも妙に様にもなっている。


『蒼衣先輩、お願いします』という海実の声に頷いた蒼衣は白いバチを構えると、空気を震わせるような演奏を開始した。



 曲は「さくらさくら」。季節外れだが、響姫のリクエストでこの曲になった。


 外ではまさに桜の花びらのような雪が舞っている最中だ。


「やっぱり蒼衣先輩は演奏上手いなぁ」


 と自身も三味線を担当している海実がしみじみと呟いた。楽器なんてリコーダーくらいしか吹けない響姫は、蒼衣の演奏が特別上手いかどうかは分からない。しかし、自分の気持ちを昂らせることだけは確かだった。


 演奏が終わると蒼衣はお辞儀をする。


『これで参考になるかしら?』


 どこか不安そうな蒼衣に食い気味に海実は『なります、なります』と返している。


 響姫と海実はそれぞれ憧れの大好きな先輩たちの動画を見終えて、放心していた。


「こんな素敵な先輩たちに出会えて、星花に入学して良かったって思うよ」


 感嘆と呟く響姫に海実もうんうんと大きく首を振る。


 合唱部でありながら和楽器部の蒼衣先輩に憧れる響姫と、和楽器部でありながら合唱部の百歌先輩に憧れる海実は、まさに出会うべくして出会ったルームメイトだった。


「ところで海実ちゃん、先輩たち色んな噂あるけど、どれも本当だと思う?」


「うーん、どうかな。私はあんま信じてないかな」


 百歌も蒼衣も容姿がいいだけに、主に恋愛方面の噂が絶えなかった。誰それが先輩に告白しただのされただの。過去に誰それと付き合っていただのと、まことしやかに囁かれていた。


 だが響姫も海実も先輩に直接真偽を正すなど出来るはずもなく、聞こえてくる噂にヤキモキさせられることが多々あった。


「ただの噂だよね。先輩たち恋愛にはきっちりしてそうだもん」


「百歌先輩も蒼衣先輩もかっこいいしから、そうなると変な噂も出たりしちゃうと思うんだ。芸能人みたいに」


「噂が全部嘘なら、先輩たちって今フリーなのかな。お付き合いしてる人なんていないよね、海実ちゃん」


「絶対いないとは言えないけど⋯、先輩から彼女や彼氏がいるなんて聞いてないし。むしろ百歌先輩と蒼衣先輩が付き合ってたらいいな〜なんて」


「それはちょっと分かる! 二人共長身の美少女だし、絵になるし、絶対お似合いだよね!」


「これ以上ないくらいベストカップル感あるかも⋯。百歌先輩と蒼衣先輩、今はクラス違うけど、去年は一緒だったし、案外二人共お互いに意識してた可能性はあるのかなぁ、なんて。二人が痴話喧嘩してるのを見たって人もいるみたいだし」


「えっ、痴話喧嘩!? それ初耳なんだけど!! 海実ちゃんもっと詳しく⋯!」


 響姫と海実は妄想に花を咲かせる。


 できることなら憧れの先輩と一緒になりたいけれど、お互いが同時に先輩と付き合える可能性などゼロに等しい。


 それに仮にどちらかだけが先輩と付き合えるなんてことになったら、自分たちの友情は壊れるかもれない。そんな密やかな恐怖が、響姫と海実を妄想へと駆り立てた。


 そして二人の妄想があながち間違いでもなかったと分かるのはまだ先のことだった。

  


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