胎
小狸
胎
大学時代の友人と
「俺、妊娠したんだ」
「ふうん」
ここで大仰に驚かなかったことを、どうか褒めて欲しい。その発言が脳髄に
「おめでとう、で良いのかな」
思わず叫び出したい狂気を抑え込んで、僕は極力冷静になって言った。彼は照れて笑ったようにして「ありがとうな」と言った。感謝の言葉である。色々な思考が頭を巡る。何が起きた、のだろう。生化学医療は、もうその段階まで到達しているのだろうか。産婦人科? 性転換? 次に僕は、何を
「意外だったよ、君が女性だったなんて」
「俺は男だよ」
「そりゃそうだ」
知っている。何なら大学の帰り、一緒に銭湯に入っている。体育の授業でも、更衣室は男子用のものを使っていたし、その時は間違いなく、彼は男であった。分かっているけれど、陳腐な問答をしてしまった。いや、でも――と、僕の中の理性が現実を否定する。
「今の時代、古いジェンダー観なんて捨てた方が良いぜ。男が妊娠しない、なんてさ。育児の両立だって、どうしても女側の負担になっちまう。出産だって、命の危険が伴うんだぜ、平等じゃないんだ。だったら、それを男の側で引き受けちまえば、イーブンってことだろう」
「ああ、確かにそうだな」
何が「そう」なのだ。一体この男は、何を言っているのだろう。確かに、昭和的、家長制度的、亭主関白的な父親像は、令和の世になって批判されるようになった。それは良いことだと素直に思う。ただそれは制度や慣例の話であって、肉体構造そのものに適用できるわけではない。そもそも染色体の形から違う、胎内の発生の段階で決定する。簡単に、人工的にとっかえひっかえの利くものではない。現代の科学ではそれは叶わない――とは思う。解剖学や医学を専攻したことのある者なら分かるだろうが、同じ人間にしても、
「じゃあ、何か? 君は、その――不躾な質問になってしまうが、身体の構造的には、女性だったってことか? その、所謂性自認が男性である、と」
「いや違う」
僕が正気を保つことのできる最低ラインの質問ではあったけれど、彼はそれをも否定した。
「だから言ってるだろう。俺は男で、性自認も男。そして妊娠している、それだけの話だよ」
その二つは、普通は平行して積まれることのない事象である。それだけの話なのは間違いないが、それだけで済ませてしまって良い話でもない。ただ、この辺りで僕の思考能力が限界を迎えた。理解できない現象に直面した際、人は思考を放棄するらしい。恐らくそれがただしい、このまま考察を続けていたら、いずれ僕は発狂していただろう。
「そうか、いや、失礼、悪いことを言った。いや――しかし驚いたよ、君が結婚していただなんて」
「結婚? していないよ。式を挙げたら君を呼ぶと、真っ先に話しただろう」
また思考しそうになって、努力してそれを投げ出した。彼には同棲中の彼女がいた。半年前は結婚を考えているが、疫病が落ち着いたらゆっくり準備を、などと言っていた。気になり、しかしそれを抑制する気力もなかったので、僕は尋ねた。
「■■さんは元気か?」
■■とは、彼の恋人の名前である。
「ああ。あれ、それも話さなかったか。■■とは同棲している……いや、前に話した気がするな、お前は忘れっぽいからな。うん、まだ入籍はしていないけれどね。彼女も、お腹のこの子が産まれることを心待ちにしている。職場にも休暇を受理されたからね、少し休んで、体調を整えてから出産に臨むよ」
自らの、ぽっこり膨らんだ下腹部を
彼の腹の中には、一体何がいるのだろう。
(
胎 小狸 @segen_gen
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます