桜並木に春色の妖精
大和詩依
第1話 春の妖精
桜吹雪く夜明け前、私は一人で歩いていた。目的などないただの散歩だ。
車線2つ分ほどの幅の並木道。歩く部分には白を基調としたロッキングブロックが隙間なく詰められ、均一な模様を生み出している。並木に咲いているのは桜で、今も白に近い白桃色の花びらを、そよ風に乗せて散らす。
辺りを街灯の光が薄く照らし、まるで自分一人しかこの世にいないのではないかと勘違いできるほどの静寂は、とても心地よいものだ。今自分の脳内を占める悩みさえなければ、もっと堪能できただろう。
悩みごとに脳を侵食されながらも私は歩いた。桜吹雪く中、白い煉瓦道をただひたすら道に沿って歩いて行った。人はいない。動物もいない。隣の車道を通る車も、バイクも、自転車もいない。ただ一人で歩いていた。
並木道に入ってからどれぐらい経っただろうか。ある人物の出現によって、私のたった一人の夜明け前の散歩は終わりを告げた。
誰かが道の真ん中で踊っていたのだ。はじめは、うっすらとした人影しか見えなかった。だが、徐々に日が昇り、あたりを陽の光が照らし始めるとはっきりと見えてきたのだ。
踊っている人の前には撮影機材が置いてある。もしかしたら、撮った動画をネットにアップするのかもしれない。遠目でうっすら見ただけだから確信は持てないが、多分当たっているだろう。
映り込むのは嫌だと思い、歩いていた真ん中の道から外れ、煉瓦道の端へと身を寄せた。そして、興味を惹かれ歩みを進めて、踊っている人が見えるくらいの位置で止まった。目のピントは、目の前で踊る人物に合わせた。
その女性は美しかった。上品な白のブラウスに、桜色の膝下丈のフレアスカート。緩く編み込まれた髪は、腰の辺りまで垂らされ、生暖かい風に、緩やかに揺れていた。
美しかったのは見た目だけではない。女性の踊りもだ。いや、舞い踊っていると言うほうが近いかもしれない。幻想的な音楽に合わせて踊る優雅さは、人間の枠に収まるようには見えなかった。そう、さながら春の妖精だった。
—すごく、綺麗。
目を奪われた。心を奪われた。私の持つ全てが奪われた。とにかく、ポッと出て沸いた観客になんか気付かず舞い続ける彼女の近くから、私は一歩たりとも動けなくなってしまったのだ。
踊りの中にはバレエのような優雅さがあり、揺れ動くスカートの裾が、優雅さをより一層深めていた。それだけではなく、ただ自由気ままに動いているような軽やかさと大胆さもあり、その緩急にまた目を奪われる。
音楽が終わり、その女性も舞い踊るのをやめた時、私はこれでもかと言うくらい残念な気持ちに押しつぶされそうになった。もうこの時には私の中から、私から見ればとても大きく、他人からみればちっぽけな悩みなんて、ぽんっとどこかに飛んでいってしまっていた。
「こんな時間に人に会うのは初めてよ。ごめんなさいね、通行の邪魔しちゃって。お散歩中だった?」
余韻に浸り、脳もほとんど働かずぼうっとしていた私に、女性が声をかけてきた。その声が私を一気に現実に呼び戻し、自分がしてしまったことに気付いたのだ。
「……あのっ、いえっ、大丈夫です! むしろ見てしまってごめんなさい。すみませんでした!」
それだけ叫ぶようにいって、今まで歩いてきた道を、全速力で駆け抜けて行った。
(うわぁ、やっちゃったー! 完全に路上で動画撮影中の人ガン見する不審者だったじゃん私! どうしよう、どうしよう!)
脳内はパニック状態だ。弾き語りや大道芸のようにその場で楽しんでもらうようなものを、他の観客と共に囲んで見るのならともかく、今回は動画の撮影だ。
動画を撮ることが目的であって、決してその場で人に見せることが目的ではないだろう。それをあろうことが不審者の如く、穴が開きそうなくらい凝視してしまったのだ。
(しばらくあの道使うのは控えよう……。また会っちゃったら気まずすぎるよ)
夜明け前、静けさを求めた散歩はコース変更の必要がありそうだ。
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