第5話・尊の失恋話



「あの、先生……」


「ん?」


「聡兄さんは、どうしたんですか?」


「あぁ、聡なぁ。なんか、仕事の電話がかかって来たみたいだ。聡が電話してるのにそのままあいつの部屋に居るのもなーって思って、お前の様子を見に来たんだ。料理が出来てたらを運ぼうと思ってよ」


 決してつまみ食いをしに来たわけじゃないからな、と続けて尊は笑った。


「先生は、今日はお客様なのに」


「いや、構わねぇよ。それよりよ、古城……」


「はい?」


「お前、この間、失恋したって言ってたな」


「は、はい」


 突然先日の話を持ち出され、灯里は驚いた。

 あんな事を言ってしまったから、心配させてしまったのかもしれない。

 他に理由が思い浮かばなかったから、つい正直に言ってしまったのだけれど――灯里はあの日、口にしてしまった事を後悔した。


「あ、あの日は……変な事を言ってしまって、すみませんでした……」


 だけど、大丈夫です、と続けると、尊は首を横に振った。

 少し話をしないか、と言う。

 灯里が頷くと、それを見た尊は言葉を続けた。


「今のお前の参考になるかはわかんねぇんだけどよ……俺が失恋した時の話を聞かせてやるよ」


「え? せ、先生の、失恋の話ですか?」


 あぁ、と尊は頷いた。


「古城には特別に聞かせてやるよ。あのな、俺が失恋したのはよ、俺が高校生の時の話だ」


 聞きたいような、聞きたくないような、複雑な気持ちだった。

 だけど尊はすでに話し始めていて、今さら聞きたくないと言って止める事は出来そうになかった。


「高校一年の春休みだったかな……二年生になる前の事だ。俺がずっと好きだった女の子は幼馴染でよ、いつも一緒に居た子だったんだ」


 ずっと好きだった、幼馴染、という言葉を聞いて、灯里の頭に思い浮かんだのは奈央だった。

 尊は今、自分が奈央に失恋した話をしようとしているのかもしれない。

 そこまで考えて、尊はすでに奈央に失恋していた事に灯里は気がついた。

 失恋しても、尊は奈央を今でも想っているという事なのだろうか。


「俺な、その子の事がずっと好きでよ……でも彼女は、俺じゃないもう一人の幼馴染の事が好きだったんだ」


「え?」


「俺、彼女が俺の親友の事を好きなの、昔から知ってたんだ。だから、二人が上手く行ったら自分が失恋するってわかってたけど、どうしても二人に上手く行ってほしかった。だって俺は二人とも好きだったからな。でも、俺の親友もバカでよ、あっちは俺の気持ちを知ってたからなかなか素直にならなくてさ。まぁ、いろいろあったよ」


 三角関係というものだろうか、と灯里は思った。

 だけど、尊の好きな女の子は、ずっと尊の親友の事だけを好きだったのだという。


「俺の親友な、すげぇ意地っ張りだからよ、なかなか素直になんなかった……。俺、それにイライラしてさ……。だから、やっと二人が両想いになった時は、すげぇ嬉しかったんだ。まぁ、ちょっとだけ落ち込んで、自分探しの旅に出たりもしたけどよ」


 そう言った尊は、優しい目で灯里を見つめていた。

 この人は本当に優しい人だ、と灯里は思った。

 自分が失恋しても友人を祝える大きな人だとも。

 そして、灯里は今の彼の話の中で、一つ気になる事があった。


「自分探しの旅?」


 聞き返すと、尊は頷いた。


「前に古城には言った事あったんじゃねぇかな。ここの近所に公園があるだろ? あそこで元気のない女の子に会った時が、その時だ。俺、その時さ、失恋旅だったんだよな」


「あ……」


 尊が昔出会ったという元気のない女の子は、灯里の事だった。

 あの時の彼は、失恋の痛みを抱えていて、それなのに灯里の事を気遣ってくれていたのだ。


「高校生の時に失恋してから、俺、本気で好きになれるような女の子、居なかった。でも、学生時代を楽しんでさ、今は教師って仕事を楽しんで、一生懸命やってる。なぁ古城……俺、前にも言ったかもしんないけどさ、今はちゃんと教師をしたいって思ってるんだ。だから、今は好きな相手はいない。とにかく今は、自分がやらなければならない事を精一杯やろうって思ってるんだ。でもよ、いつかきっと、また誰かを好きに尊思う……。また本気で好きになれる子が出来るって信じてるんだ。だからよ、お前、失恋したって言って元気なかったけど、きっといつかいいヤツに巡り会えるから、元気だせよ」


 尊はそう言うと、ぽんと灯里の頭に手を置いた。

 そしてぐちゃぐちゃと髪をかき混ぜるように撫でて、


「あ、ワリィ」


 と言って、優しく髪を整えてくれた。


「なぁ、古城、お前が本当に失恋したと思ってるのなら、今は辛いと思うけど、またそのうちいい事あるよ。だからよ、元気出せよな」


 尊の言葉を聞いて、はい、と灯里は頷いた。

 尊が奈央の事を好きだと聞いて失恋したと思っていたのだが、どうやらそれは過去の事だったらしい。

 今は好きな相手は居ないのだと、彼ははっきりと言い切ってくれた。

 自分は失恋したわけではなかったのだ。

 まぁ、逆に彼の恋愛対象にも入ってはいないのだろうけど。


「先生、私……また元気を出して頑張ろうと思います……」


 灯里がそう言うと、尊は、あぁ、と頷き、嬉しそうに笑った。

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