第12話・聡との話


「灯里? 灯里、どうした?」


 尊が心配している。

 笑わなければいけない。

 だけど、灯里は涙を止める事が出来なかった。

 今日は嬉しくて楽しくて幸せで、切ない日だ。

 この素敵な日を笑顔で終えたいというのに、どうして上手くいかないのだろうと思う。


「灯里様っ!」


「え?」


「聡?」


 突然聞こえた聡の声に驚き、灯里は顔を上げた。


「灯里様! 灯里様、どうされたのですかっ」


「聡兄さん!」


「聡!」


 聡は灯里と尊の元へと駆け寄って来ると、尊を睨みつけた。


「尊! お前、灯里様に何をした!」


 と聡が尊に腕を伸ばそうとするのを、灯里は慌てて止める。


「あ、あのっ! 何でもないの! 何でもないんです、聡兄さんっ!」


 灯里は聡にしがみついた。

 聡は灯里に止められ、尊の胸ぐらを掴み上げようと伸ばした手を引くが、納得出来ないといった表情で灯里を振り返る。


「では、どうして灯里様はお泣きになっているのですか」


「そ、それはっ……」


 真っ直ぐに自分を見つめる聡から、灯里は一瞬視線をそらした。

 視線をそらした先には尊が居た。

 尊は少し困ったような表情で灯里を見つめている。


「目に、目にゴミが入ってしまっただけですっ」


 灯里がそう答えると、聡は怪しんだようだが、尊が助け舟を出してくれた。


「灯里がそう言ってんだから、そうなんじゃねぇの?」


「ほ、本当にそうですからっ……」


 尊は聡と典子の事で灯里が責任を感じていると思っているから、助けてくれたのだ。

 本当は尊への気持ちが溢れそうで泣いてしまったのだが、それを尊に気付かれるわけにはいかない灯里は助かったと思う。


「そうですか……灯里様が大丈夫ならそれでいいのですが……」


 聡はまだ納得していないようだったが、引き下がってくれた。


「聡、仕事は終わったんだな」


「あぁ、なんとかな」


 聡は会議が終わると同時に会社を飛び出してきて、そして家の近くで尊と灯里を見つけたらしかった。

 聡は灯里を見つめると、


「灯里様、帰りましょうか」


 と言う。

 聡は灯里にとって家族だ。

 家族である彼が帰って来たからには、灯里は聡と共に家に帰ればいいのだ。

 つまり、灯里を送ってきてくれた尊とは、ここでお別れという事になる。


「先生、今日は一日、ありがとうございました」


 灯里がそう言うと、あぁ、と尊は明るく笑った。


「本当にすまなかったな、尊。だが、助かった。本当にありがとう」


「気にすんなよ。古城は俺の可愛い生徒だからな」


 生徒、だから。

 可愛い、よく出来た、彼にとっての良い生徒でいたいと思った。

 彼は教師で、自分は生徒で。

 きっと自分はそれ以上にはなれないのだ。

 それなら、彼にとって良い生徒でいたいと灯里は思った。


「尊、戻るのか?」


 聡がそう聞くと、尊は少し考えて頷いた。

 尊はどうやらあの雑居ビルの屋上へ戻るらしかった。

 彼は自分を送るためにお酒も飲んでいなかったのだ。

 戻って飲み直すのかもしれない。

 それに、あのビルにはきっとまだ奈央も居るはずだ。

 尊は奈央に会いに戻るのかもしれない。


「先生、本当にありがとうございました」


 もう一度礼を言うと、尊は笑って手を振り背中を向けた。

 尊の姿が見えなくなるまでその場で見送っていると、それを待ってくれていたのだろう、遠慮がちに聡が声をかけてきた。


「灯里様、帰りましょうか」


「はい」


 灯里は頷き、聡と共に家に向って歩き出した。


「灯里様、今日は楽しかったですか?」


「はい、とても」


 灯里は頷き、今日出会った尊の友人――聡の友人の事について口にした。


「聡兄さん……典子さんの事……どうして紹介してくれなかったんですか?」


 単刀直入に問いかけると、聡は苦笑した。

 隠していたわけではないのだ、と彼は言う。


「聡兄さん……」


「はい……」


「典子さんを紹介してくれなかったのは、私のせいなんですよね」


 ごめんなさい、と謝った灯里を、聡は困ったような表情で見つめた。

 確か、尊は聡や典子を高校時代の先輩だと言っていた。

 という事は、聡は高校時代から典子と一緒に居た事になる。

 彼は仲間たちと楽しい高校時代を過ごしていたはずなのだ。

 だけど、多分それは途中で終わってしまったのではないだろうかと思う。

 何故ならちょうどその頃――聡が高校生の頃、灯里が古城本家を追い出されて、聡と和利の家に引き取られてきからだ。

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