第8話・噂の灯里


 郁美にヘアアレンジをしてもらっている灯里は楽しそうで、尊の仲間たちとも打ち解けたようだった。

 夏休みに入ってからなかなか会う事が出来なかったから嬉しい。

 それにしても危ないところだったと尊は思う。

 自分がもう少し駆けつけるのが遅かったら彼女がどうなっていたかと思うと、ゾッとした。

 この花火大会で人が溢れかえる中、灯里を見つけ出せたのは奇蹟に近かったかもしれない。

 彼女はずいぶん怖い思いをしたようだが、もうだいぶ落ち着いたように見える。


「オイ」


 灯里たちから少し離れた場所で椅子に座っていた尊に声をかけたのは、信介だった。

 尊がどうしたのかと問うと、信介は唇の端を吊り上げてニヒルに笑う。


「噂の灯里、かなり可愛いじゃねぇか」


「まぁ、そうだな」


 尊は素直に頷いた。


「勉強も出来るし、スポーツも出来る。誰にでも優しいしクラスのみんなから人望もある……今のところ思いつく問題は、少し引っ込み思案なとこだけだ」


 俺の自慢の生徒だ、と答えると信介は、そうか、と頷いた。


「そういやお前、聡には連絡してやったのか?」


「え? あ、ヤベェ、してねぇや。今、電話繋がるかな」


 尊は立ち上がると信介から少し離れ、聡に電話をかける。

 連絡を受けてからだいぶたってしまっていた。

 聡はかなり心配しているはずだ。

 数回のコールの後、聡は電話に出てくれた。


「聡、遅くなってすまねぇ」


『尊! 灯里様はっ!』


 心配でたまらなかったという声に、尊はもっと早くに連絡を入れるべきだったと反省した。


「大丈夫だ。灯里、家を出てたんだけど、ちゃんと見つけ出せた」


『家を? やはり何かあったのか?』


「あぁ」


 尊は聡に当麻の部下が家に灯里を迎えに来ていたらしいという事、追い返そうと思い出かける約束があると言い家を出た事、そして街の不良に絡まれた事を報告した。

 心配をかける事になるから黙っていようかとも思ったが、きちんと伝えた方が聡も何かしらの対処出来るだろう。


『そうか。尊、ありがとう。本当に……本当に、ありがとう………』


 全てを聞き終わった聡は、何度も尊に礼を言った。


「気にすんなよ、灯里は俺にとっても大事な生徒だからな。だから、俺も聡に連絡を貰って良かったよ」


 灯里は尊にとっては、もう生徒以上の存在だ。

 今回聡が尊に迎えに行ってほしいと言ってくれなかったら、今頃灯里はどうなっていたか。

 それを思うと、尊の方が聡に礼を言いたい気持ちだった。


「聡……こっち、来られそうか?」


 そう問いかけると、聡は無理そうだと答えた。


『申し訳ないが……実はまだ会議中なのだ……』


「おい……電話に出て大丈夫なのか?」


『お前からの着信だったからな……急用だと言って抜けてきたのだ……。今からまた戻らなければならない』


 だから、聡はこちらには来る事が出来ないのだと言う。


「そうか、残念だな……。じゃあ、灯里は俺が責任を持って家に送るよ」


 尊がそう申し出ると、すまない、と聡は言った。


「気にすんな。さっきも言っただろ。灯里は俺の大事な生徒だからよ。こっちはバッチリ俺に任せておけ。それよりも、会議戻らないといけないんじゃねぇのか?」


『あぁ……じゃあ、申し訳ないが、頼む……』


「オウ、まかせとけ」


 聡は最後に、ありがとう、と言って電話を切った。

 尊は通話の切れたスマートフォンをぼんやりと眺めながら、ちゃんと送って行くから安心しろ、と呟く。


「尊、電話終わったか?」


 電話が終わったタイミングで信介が声をかけてきた。


「あぁ、終わった」


 尊が信介の元へと戻ると、


「聡は、こっちに来られそうなのか?」


 と信介が聞いてきた。

 信介はちらりと視線を尊から仲間たち――正確に言うと、典子と正義へと向ける。

 二人は聡と同級生で、高校時代からの先輩だ。

 仲間たちで集まる時にいつも聡だけが居ない事が多いのを、残念がっていた。


「いや、来れない……。会議が長引いてるんだってよ」


「そうか……じゃあ、仕方ねぇな」


 信介は頷き、缶ビールを手に取った。

 それを尊に渡しかけて、


「今日は止めとくか」


 と続け、代わりに紙コップを渡す。


「あぁ、サンキュー」


 尊は頷き紙コップを受け取った。

 花火大会が終われば、灯里を送っていかなければならない。

 万が一の事があってはならないのだ。

 それに、だらしなく酔っ払った姿を灯里に見せたくもない。


「オレンジでいいか? それとも、あの子と同じアップルにする?」


「こっち、オレンジ貰う」


「じゃあ、自分で注げ」


「あぁ」


 尊は差し出されたオレンジュースのペットボトルを受け取ると、紙コップに注いだ。

 そして、自分の仲間たちに囲まれて楽しそうな灯里へと視線を向ける。

 今日は学校では見る事が出来ない彼女の姿を見る事が出来た。

 今、普段はあまり接する事がない大人たちに囲まれている彼女も新鮮だが、制服姿ではない、私服姿も新鮮だった。

 キャミソールに薄手のカーディガンを羽織り、ショートパンツ姿の彼女の姿は、とても健康で魅力的なボディラインだった。

 実際、この可愛らしい姿を他の男どもに見せたくなくて、尊は彼女に自分のパーカーを着せる事で隠してしまったのだ。

 しかも、フードを被らせて誰だかわからなくさせるという徹底ぶりだ。

 それは、教師である自分が生徒である彼女と二人で居る事を隠すためもあったが、どちらかと言えば男としての独占欲が近かったような気がする。

 出来る事なら、今は口にする事が出来ない彼女への想いを告げる時まで、どこかへ隠してしまいたい。

 だけど、そんな事をするわけにはいかない。

 だから自分は彼女に想いを告げるその日まで、彼女を見守るのだ。


「やべぇ、あの髪型も、感じ変わって可愛いじゃねぇか」


 郁美のヘアアレンジが終わったらしい。

 いつもの長い髪を下ろしているだけの姿ももちろん可愛いが、郁美がアレンジしてくれた三つ編みがカチューシャになっているヘアスタイルも似合っていた。


 彼女はこれから大人になるにつれてますます可愛らしく、そして綺麗になっていくのだろう。

 尊は自分が彼女に想いを告げるその日まで、今と変わらず自分を好きでいてほしいと思い、それを願う事しか出来ない今の自分に苦笑した。

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