【五.A-17なる少年】
「…………」
私は無言のまま、もう一人の“私”である彼の顔を見てしまう。
彼はどうして無言で自分の顔を見られているのかと、とても不思議そうな顔をしている。
唯一彼だけは、私の他にこの豪華客船に乗船した人物だったのだ。
まだ年端もいかぬ少年のような背格好だったため、私と同じく招待されたただの読者ファンだと勝手に思い込んでいたが、彼こそがこのミステリーツアーを主催した張本人に違いない。
「君があの……
「(ふるふる)」
私はつい、そう“彼”に言葉を投げかけてみるが、彼は首を横に振るだけだった。
そして徐に彼が口を開いて、こう呟いた。
「“私”の名は……カシワギハヤトだよ」
初めて彼が私に対して、ちゃんとした言葉で受け答えをしてくれる。
そんな彼の声音と口調はまだ幼さを残していた。
「き、君の名が『ハヤト』だろうと『ハヤヒト』だろうと、同じことだろ。無駄な言葉遊びはやめてくれっっ!!」
「…………」
声を荒げ、取り乱した私とは対照的に、彼は無言のまま私の様子を窺がっている。
それはまるで私の心の奥底までを彼に覗き込まれているのようにも感じ、それを誤魔化すため、私は言葉を続ける。
「君があの古本屋の本棚に招待状を隠し、私に見つけさせた。そしてこの豪華客船に乗せたんだ! 一体、何の目的があってそんなことをしたというのだ!!」
「(ふるふる)違うよ。それは“私”じゃない」
「わ、“私”じゃない……だと?」
「ああ、そうだとも」
彼は私の質問に再び首を横に振り、自分ではないと否定した。
「じゃ、じゃあ一体誰がこんなことを……」
「……君は何も覚えていないのかい?」
「覚えていないって……何を急に……い、一体、私が何を覚えていないというつもりだ?」
彼に質問していたはずが、逆にそう問いかけられてしまう。
私には何が何だか訳が分からず、言葉を詰まらせ、必死に自分の気持ちに嘘を吐こうとする。
「そもそも……が、あの本に……入れたんだろ」
彼の声が擦れていたため、途中途中で、よく言葉が聞き取れなかった。
「も、もう一度、今口にした言葉を……」
「そもそも君自身が、あの本に招待状を入れたんだろ」
「な、何を馬鹿なことを……そ、そんなことあるわけが……な…い」
私は彼の言葉に激しく動揺してしまう。そうして自分の記憶を振り返ってみたが、彼の言葉に思い当たる節は“無かった”。
「は、話にならない。これ以上、馬鹿馬鹿しい話をするつもりならば、わ、私は家に帰らせてもらうぞ!」
彼の話しがすべて支離滅裂だと、私は彼との話し合いを切り上げようと、踵を返して背を向けた。
このままここに留まっていたら、彼がしたこと、そのすべてを私のせいにさせられてしまうかもしれない。
“私がしたこともない”罪まで被せられたら、とてもじゃないが適わない。
早々にこの場から退散するべきだったが、何故か足が動かなかった。
「ぐっ……な、何をしたんだ!?」
「……私は何もしていない」
私の足はまるで鉛の塊のように
昼に食べたあの食事に何かの毒でも盛られていたのかと勘繰ったが、彼はそれを否定してみせる。
「う、嘘をつくなっ!! な、なら……」
「んっ」
彼は徐に私の足元を指差した。
そのまま釣られる形で、視線を差し向けて見れば、私の右足左足にマネキンの手が絡みついていた。
「ひぃっ。な、なんだこれは!? き、気味が悪いにもほどがあるぞ! と、取ってくれ! 早くコレを取ってくれっ!!」
「……君は
「こ、こんなものは私の両親なんかじゃないっ! ただのマネキンだ! 作り物だっ!!」
彼の言葉に私はイチイチ反応してしまい、そんな言葉を吐き出した瞬間、私の足を拘束していた者達が作り物の手を離す。
見れば執拗なまで足にしがみ付いていた生無き彼らが、バラバラの骸と化したまま、ただ床に倒れているだけだった。
「な、何だこれは……っ!? あの少年はどこへ行った!」
まるで最初から存在していなかったかのように、彼は私の前から忽然とその姿を消している。
狐に摘ままれたのか、それとも狸に化かされていたのか、このラウンジには私しかいなくなっていた。
「まったくもって訳が分からない」
幻覚や幻聴に襲われ、我を忘れていたかのように、今の私の体は心内とは裏腹に冷静なままである。
そしてどうすることもできず、ソファーに腰掛け、息をついた。もう部屋の鍵などどうでもよくなっていた。
先程までの現れた連中がもし現実に存在するのなら、そもそも鍵付きの部屋だろうと意味を成さなくなる。私はもう追い詰められていた。
「それが故、あのような幻覚や幻聴を引き起こしてしまったのだろうか?」
誰に言うでもなく、私は私にそう問いかけてみるが、誰もその問いに応えてはくれなかった。
「そもそも、だ。さっきの“私”という少年は本当に私の知るA-17なる少年なのか? あの事件が起こったのは、もう数年前……いいや、十数年前なはずだ。もし現実に私の前に現れていたのがA-17の少年だとすると、彼が当時のままの姿というのが腑に落ちない」
私は彼が本当に両親を殺したA-17なる少年なのかと、疑問を持っていた。
それにまた意味深にもバラバラにされたマネキンの胴体部分が不自然に三人分あったことも、不可思議でならない。
もしかしたら、彼自身もその中に含まれているのではないのか?
それは同時に彼が加害者ではなく、被害者だったことを意味してもいる。だがそうすると、今私の前に現れた少年は誰なのかという新たな疑問が生まれてしまう。
そこで一つ思い出したことがある。私が彼の名を尋ねた際、こう答えた。
カシワギハヤト――と。
『ハヤト』と『ハヤヒト』これがただの呼び方の違いなのか、それともまったくの別人なのか。ともすれば、彼がA-17なる少年ではなく、まったく別の人物という説も浮上する。
彼に対する考察を重ねるにつれ、ここで分かった事実がある。
A-17なる少年は、自分の中に別人格を宿すことで犯行を成し遂げ、裁判においても、彼の精神的問題から裁判能力が無いと証明され、無罪を勝ち取った。
その後、彼は後にベストセラーになる『ただ一人だけの完全犯罪者』を執筆して、姿を消してしまうのだが、ここで重要な
それは最初、彼のことを豪華客船で主催されたミステリーツアーに誘った人物である。
もしそれが彼の中に居る別の人物であるならば、彼は一人であると言える。
――だが、もしも彼ではない別人ならば、都合の辻褄がつく。
私が導き出した結論は、私の隣に“私”という人物が居たように『A-17なる人物は、最初から
そうだと仮定すると、両親とともに殺されたのはカシワギハヤヒトなる被害者の少年であり、加害者は別の少年ということになってしまう。
だがしかし、彼は事件後に警察の事情聴取や精神鑑定、裁判を経て家に戻っている。犯行に及んだ少年は、どうやって彼の家などを知りえたのだろうか?
他人がその人本人に成りすますには、それこそ並大抵の情報量では不可能だ。自分や両親などの氏名、それに生年月日はもちろんのこと経歴や趣味その他すべてを知り得る必要がある。
でなければ、警察の事情聴取の際に綻びが生まれて、容易に別人であるとバレてしまう。
「被害者の少年から個人情報を聞き出したのか? いや、そもそも最初から、顔見知りだったということも十分に考えられるな」
私は事件の真相を暴くため、どのようなトリックで自らを偽り、カシワギハヤヒトとなる人物に成り済ましたのかと考えていた。
そして、ようやくある結論に辿り着いた。
「彼らは……双子の兄弟だったんじゃないか? もしそうならば、辻褄が合う」
そうそれは『カシワギハヤヒト』と『カシワギハヤト』が双子の兄弟であるという説だ。
もしそうならば双子である以上、彼らの容姿が似ても不思議ではない。
また同じ漢字を用いた紛らわしい名前にしても、昔は祖父の名前を一言一句そのまま子供へと当てはめることもあったくらいだ。
双子の子供を一人に偽装するなら、これほど効果的なトリックは他に存在し得ない。
なんせ、見た目はそっくりそのままなのだから、親でさえ見間違うことがあるくらいだ。
当然、家族のことも十二分に知っている。
ただそこで新たな疑念までも生まれた。
双子とはいえ、人として日本で生を受ければ、必ずと言ってよいほど戸籍を取得しなければならない。そうでなければ、社会から一人の人間として認識されることはない。
それが意味するところは、もし仮に彼らが双子だった場合、警察がそれを見逃すかという点だ。
同じ生年月日、同じ漢字での名前を有していれば、双子であるのは書類上においても一目瞭然。
また家族内で事故ではなく、他殺された場合、尤も疑われるのが残された家族に他ならない。
そして殺した両親をバラバラに解体した意図と、その後に食した観点から見れば、それこそ死の偽装を執り行うには打って付けである。
なんせ食べた分、正しい体のパーツが揃わず、その量によってはそこに残されたものが二人分なのか、三人分なのかの判断がつかない。
だがしかし、そうまでする理由付けが必要になってくる。
犯行現場は会場の船……つまりは密室だ。
遺体なんてものは、海に投棄してしまえば誰にも探しようがない。
それなのに敢えて、三人分の遺体を二人分へと偽装するには、犯人に何かしらの意図がなければ、前後の行動が噛み合わない。
もちろん両親を殺して食べるという狂気殺人犯に対して、一般常識や世の中の摂理や統合性を求めるのが、そもそも間違いかもしれない。
このような殺人事件において、動機がある場合と通り魔的に無差別無計画に殺人を実行する人間も少なくない。
だがそれにおいても、何らかのきっかけがあるはずなのだ。
人によっては学校でイジメられて、あるいは受験戦争に負けて世の中に失望、または突如として会社をクビとなって失業した……などと言った、犯行を実行へと移す動機が生まれてくる。
「――彼らが双子であることが動機だったりする可能性もあるな」
昔は双子が生まれると、その家系に災いを招くと信じられていた。
その理由として諸説あるのだが、先に生まれてきた子供は後に生まれてくる子供の災いや不幸など、そのすべてを持って先に生まれたが故に忌み嫌われ、早く殺さねば末代まで災いが降りかかり、その家系は途絶えてしまうなどと、本気で信じられていた。
それはほとんどが中国やヨーロッパなどの海外においての話であったが、日本の極一部の地方においても、そうであると今なお信仰している地域も確かに存在している。
些か時代錯誤ではあるのだが、現代社会においても外部との交流を一切断ち切り、小さな村一つですべてを賄う地域もある。
そこには昔ながらのしきたりや信仰などという“まやかし”を大切に崇め、時には村娘を襲い、子を孕ませるなども日常的に行われている。
そんなところで双子が生まれようものならば、子供を殺めることもなんてことはない。
だが、すべての人間がそうであるとは限らない。
両親にしてみれば子供は何より大切な宝であり、子供を生かすためには自分の命を厭わない。
そのため、生まれた子供が双子であることをひた隠しにして、戸籍登録しないということも十分考えられる。
もしも彼の家である柏木の家族が、そういった地方の出身ならば、長男であろう子供の戸籍を取得していないのかもしれない。
現実には二人存在しているはずが、世間からみれば、一人の人間しかいないことになる。暴かれたくない過去の事実や後ろめたいことがあれば、むしろ好都合と言えなくもない。
だからこそ同じ漢字を宛がい、呼び名だけを変えていた。そして自分がもう一人の自分になるため、両親とともに殺害した。
そのように考えれば、すべての辻褄が合ってしまう。
「まぁ……それでも憶測の域を脱せないが、動機付けとしては十分といったところだろうな」
私はソファーに長時間に渡って座り込んだまま、彼の動機やそのトリックについての考えを深めていた。
これも私にとってはある意味、癖のようなものだ。
彼らのような犯人の情報から、自分の頭の中で情景を構成し、自らそれをなぞる。
そうすることにより、犯人と思しき人物が犯行を実行するまでに到った動機やトリックを推察する。
他人から見れば、特に面白みを見出せない行為であると重々承知しているが、これが私なりの人生の楽しみ方の一つでもある。
自分が殺されて食べられるかもしれないという状況下においても、私は私のままだった。
また私は“私”こと、『かしわぎはやひと』ではないため、これらすべてが憶測であり、私が都合良くも勝手に一つの物語として紡ぎ上げたにすぎない。
だがしかし、彼のことをもっと知りたくば、私自身が彼自身になりきるしかなかったのかもしれない。
そしてそれは意図して彼に誘導する形で、彼がしてきたことをなぞることにより、更に確実なものへと形を変えていった。
もしかすると、彼は自分という人間をもう一人作りたかったのではないだろうか?
だからこそ、自分が歩んだ道を私に歩ませることで、私を彼へと仕立て上げる……そう思えてならなかった。
だが、彼は何故そんなことをしなければならないのか?
私にはそこの動機というか、理由が未だによく理解し得ない。
別に彼の犠牲者となるのは、何も私でなくともいいはずである。
私と彼との接点を繋ぐのは、あの古本屋で見つけた招待状以外に他ならない。
むしろ、アレを見つけてしまったから、彼に見初められてしまったのだろうか?
その資格を得てしまったのだろうか?
私は未だに暗闇が支配する世界から抜け出せずにいた。
それは一種の呪い……まるで呪詛のように私の足へと纏わりつき、地獄の底へと誘っているようでもあった。
「自分だけがそこから逃げられると思うなよ」
そんな幻聴までが私の耳に齎されると、いよいよ私は自分自身が今現在何をしているのか、また何をしようとしていたのかすら、分からなくなってしまう。
そこで私の意識は失われ、暗闇に引きずり込まれていくのだった。
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