かろやかな飛脚
かおりさん
第1話
『かろやかな飛脚』
山の中の、車1台が通るのがめいっぱいの細い道。車でゆっくりと走っていた。左側は山肌をコンクリートで補強してある上に、山苔が一面に緑色で覆っていて、右側は木が林立していてガードレールはないが、木がその代わりをしていて、何も怖いという思いはない。
窓を開けて森の空気を楽しんでいると、大きく左側に道がカーブしていて、その先が見えなくなった。より減速して歩くような速さでカーブを曲がると、道の真ん中に見たこともない動物がいた。
短い角が2本あって、見た目は鹿のようだが顎は少し丸びを帯びている。そして目は何とも愛くるしい。
その動物も私も驚いて、動物は道の脇に私は車を停止した。しばらくお互いに見ていると、動物はまた道の真ん中に来た。私はギアをパーキングに入れて、驚かせないよう動かずにいた。
動物がゆっくり前方に歩き始めて、車が怖くないんだな、慣れているのかな、と思いずいぶんと離れてからゆっくり車を発進させた。
アクセルを踏まずに、トロトロと歩くより遅い速さで、動物の後を着いていった。
しばらく行くと、道の右側が少しひらけた土地になり、草が生い茂りその奥は山へとさらに森深くなっていた。動物は道からひょいっと草むらにかろやかに飛んだ。
そして私を振り返り見ていた。私は車を動かすよ、動くからね、と言ってアクセルは踏まずに道を進んだ。一瞬、動物は両足を空に浮かせて驚いたようだが、再び道の真ん中に戻った。
バックミラーに見ると、動物が真っ直ぐ私を見ていた。動物が見えなくなってからアクセルを踏んだ。
あれは何だったのだろう?あの動物、不思議な現象なの?写真に撮ればよかった。でも何となく撮りたくなくて、撮ってはいけないような気がした。
家に帰り、パソコンでしらべると、日本カモシカだった。まだ幼い子供の日本カモシカ。だから車や人間に警戒心が薄く、少し好奇心もあったのかもしれない。
それにしても、野生の日本カモシカを見たのは初めてで、帰り道からの興奮冷めやらぬ思いがずっとあり、あれこれと考えた。
もし、普通のスピードで走っていたら、あの出会いはなかったかもしれない。あの山の細い道には山の掟があって、その掟に従わなければ人間は分け入ってはいけない。看板を立てておいて欲しい。山の掟ありスピード落とせと。
山に行くと、車を降りて空気を吸って、少しその場所に立って山と一体化する気持ちになる。私と日本カモシカは山の中で、ほんの少しの間そんな気持ちだったのかもしれない。
日本という冠が付いているのに、現代では野生で見かけるのは珍しい。少し調べると国の特別天然記念物に指定されている。個体数は、絶滅するまでではないらしい。
地球温暖化に森の気温も上昇して、動物や昆虫、植物の生態系も変わりつつある。あの日本カモシカは何かメッセージがあって、あの道にいたのかもしれない。
今の人達は(私)日本のカモシカに出会っても、その存在を知らない。不思議に思ってしまう。ただ山に自然に生息しているだけなのに。
日本カモシカは『日本書紀』643年に記述がみられる。大化の改新以前から、そんなに古くからの日本の冠動物なのだ。人は自然界の中で、人だけでなく動物達も一緒に発展して繁栄してきた。どちらかが生きていけない環境は、どちらも生きてはいけないのだ。
あの幼い日本カモシカは、僕たちの未来に僕たちが育っていく環境をよろしくね、そう言ってあの道を通る車にメッセージを託しているのかもしれない。
かろやかな飛脚のメッセンジャー。
その伝言を伝えておきたいと思う。
かろやかな飛脚 かおりさん @kaorisan
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