1 猫は【なぜ?】倉庫で丸くなる(中編)

 市が経営戦略として開発を進めている、それなりの規模の湾岸地域。大型のビルが敷地的にゆとりを持ちつつも立ち並び、そこここに広がっている隙間全体を潮風が吹き抜けていく。

 その一角、何故か一本だけ育っている七分咲きの桜の下に、四人は居た。


「2、3日後には満開になるかな? 見頃だ――ぅぼぉっ!?」


 眼を細めて見上げているそのわき腹を小突かれて、信一郎の声の末尾が悲鳴にすり替わった。

 小突く、といえば可愛らしいが、裏拳で肋骨を的確に打ち抜かれるのは断じて可愛らしくはない。「ほ、骨っは、ヤメて……」と悶絶の続きを吐く信一郎を、全く変わらず普通に平常運転を徹したまま、翠蘭スイランはあっさりスルーして自分の質問だけを口にする。


「こちらですか?」


 翠蘭スイランが眼で示しているのは、倉庫らしき建物だった。

 かなりの大きさで、『山崎ロジスティクス(株)』と表示されている。併設されているシステム研究所も『山崎』。日本有数の巨大企業集団YAMAZAKIグループの関連企業だ。


「なぜ、こちらだと?」


「そっ――それは、単純に、これのおかげだね」


 翠蘭スイランの疑問に、「あいたたた……」と続けながらも、信一郎は上着のポケットからUSBメモリを一回り大きくしたようなモノを取り出して見せた。


「これは……」


「そう、発信器のレシーバーだよ。もの凄いお手軽版だけれどね。用途は、家出したり迷子になったペットを見つけるため」


 信一郎の説明に「ああ、なるほど」と納得して、翠蘭スイランは視線を下げた。


「香織お嬢様は予め発信器を猫に付けておられたのですね」


 呼ばれた依頼主の女の子、木ノ下香織が「は、はい」とうなずく。


「桜塚さんは不必要だと言うんですけれど、あの子までいなくなったらって思うとどうしても不安で……」


 傍らに控える香織の付き人、桜塚一弥は無言のリアクション無しだった。主のコメントに無回答なのはいかがなものかと、翠蘭スイランなどは訝しんでしまうところだ。

 もっとも、その辺りについて話を信一郎に振れば、手が出るぐらいなら無言でいて欲しいと即答することだろう。


 ふむ、と一人うなずいて、翠蘭スイランが信一郎へと視線を戻す。


「……入れるものなのでしょうか?」


 うーん、と頭を掻いて、信一郎が倉庫を見上げた。


「YAMAZAKIグループ全体で最近セキュリティが強化されてはいるらしいんだよね。まず、人間については、指紋認証と虹彩認証とセキュリティカード認証を全てクリアしないと入れない」


「ほぅ」


 思ったよりは厳重だったらしく、翠蘭スイランが軽く感嘆した。


「電子機器の持ち込みは、事前にチェック済みで登録された物に限られるし、未登録のVNPアドレス――あ、ネット接続しようとする機械のことだよ? それがあれば即検出される」


「はあ」


 続く説明は苦手分野だったので、何とも曖昧な相づちになった。が、それでも、厳重らしいということは翠蘭スイランにも伝わったようだった。


「それから、あの倉庫内を網羅しきってる防犯用のパッシブセンサがやたら高感度みたいで、体温があってネズミ以上のサイズなら見逃さないんだってさ」


「……はあ……」


 過剰な感度に設定されている体温――正確には遠赤外線――検知システムに、翠蘭スイランが少々呆れ顔になってきた。


「出入り口に設置されてるアクティブセンサも同じくネズミサイズ以上は検知して、警備員とか工場の機械とかの登録されているものでなければ、とりあえず録画だけはスタートさせるんだって。普通は鳥だの枯れ葉だのに誤作動しないで人間を検知するのがアクティブセンサの売りなのにね?」


「………………」


 さらなる過剰な設定の登場に、翠蘭スイランの表情が明確な呆れ顔へと進化した。というか、もう、やや引き気味にすらなっている。


「ちなみに、窓という窓は鉄柵付きの強化ガラスで、軒並みガラス破壊センサ付きね。もちろん全部マグネットセンサ完備、開いたり割れたりしたら一発アウトだよ。あ、そうそう、警備員は最低3人は常駐。それはもう、とっても体格の良いお兄さんたちがそろってるんだってさ」


 さらに続く説明を聞いて、翠蘭スイランの顔が見るからにドン引いたものになった。


「……中にはどこぞの大統領でも居るのですか?」


「もしくは、一体どこの監獄なんだよ? ってね。在庫の保管だけのはずなのに、これでもかって言うぐらいに被せまくってはいるんだよね」


 眉をひそめる翠蘭スイランに、信一郎も苦笑しながら肩をすくめてみせる。

 しかし、そうは言いながらも、信一郎の目元や口振りには少し同情らしきものが混じってはいた。


「まあ、ここのところYAMAZAKIグループは内部情報が漏れたとしか思えない事案が連発しているから、ピリピリしても仕方がないさ。不審人物を見かけたら取りあえずチェックするようにお達しがされてるみたいだし――」


「おい」


 のんきに語っている傍から、もとい後ろから、ドスの利いた声がかけられた。

 少し顔を向けてみると、信一郎達4人の誰よりも背が高く、そして誰よりも幅も広い男が仁王立ちしている。翠蘭スイランは除外するとして、それでも音には敏感なはずの香織にも気づかれないで近づけるあたり、素人の足運びではあるまい。

 というか、そもそも、面構えを見れば素人ではないことは丸わかりだった。


「――と、このようになるわけだね」


 ①少なくとも勤め人には見えない男

 ②メイド

 ③妙にきっちりしているスーツの青年

 ④良い身なりの女の子(目が不自由)


「なるほど、理解しました」


 納得顔になった翠蘭スイラン。①から④までがセットで陳列されていれば、まあ順当に考えて不審に見えるだろう。まさに目前で典型例が展開しているわけだ。


「これでは——」


「うん、これじゃあ——」


 翠蘭スイランと信一郎の声が重なる。


「入れませんね」

「入れちゃうね」


 当然同じ言葉になると思っていた翠蘭スイランは、一瞬うなずいてしまってから、遅れて信一郎へと振り返った。

 信一郎の方は、苦笑を崩さずに、うんうんと独りうなずいている。


「入れる……のですか?」


 意外そうな翠蘭スイランに、「うん?」と、こちらも意外そうな信一郎。

 翠蘭スイランにしてみれば、散々侵入の不可能性をPRされた挙句に真逆の結論を持ってこられれば困惑して当たり前である。その上、逆に意外そうに返されては心外極まりない。


「ご主人様はことを説明されていましたよね?」


 率直に言葉にする翠蘭スイラン

 一方で、眠そうな目を二、三度瞬いてから、ようやく「ああ」と信一郎が声を出した。


「そう聞こえたか。いや、そりゃそう聞こえるか。と言いたかったんだけど」


 頭をかきながら「言葉が足りなかったね」と付け足して微笑む信一郎。

 この手の表情と雰囲気の時は、翠蘭スイランの知る限りでは、作意も悪意も無くニュートラルなはずである。

 つまり、信一郎にとっては何ともない話なのだ。

 ならば、すぐに解決する―—いや、もう解決している、ということである。


 が、その前に——


「おい! お前ら!」


 旅行雑誌なんかで見かけそうな仁王像張りの厳つい男の一喝が響く。


 ——まずコレを黙らせることが必要かしら、と翠蘭スイランは首を傾げた。



(続く)

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