怪異譚
きくへい
お白様
これは、私の地元に伝わる『お白様』という存在についてのお話です。
お白様は、私の地元にある池の守り神とされている存在です。池に棲むあらゆる生物を守り、祝福を授けるとされています。もちろん、私のような若い世代の人間は、神様や祝福などといった迷信を信じるものはいませんが、親世代、またはその上の世代の方々は熱心に信仰しています。
お白様にまつわるお話としては、地元では年に一度の夏に、お白様の池を祀る『お白様賜り』というお祭りが開かれます。池の周りに出店が立ち並び、太鼓を叩いたり盆踊りのようにみんなで踊ったりするような、どこにでもあるお祭りです。ですが、いわゆる地主様と、その血族の方々だけは参加せず、みんなで池の裏にある大きなお社で何かの儀式を行っています。その儀式は地元の繁栄を願う特別なものであるとされ、地主様の血縁者以外には参加はおろか見ることすら許されていません。
そんな楽しいお祭りの『お白様賜り』ですが、十年前のある時、私はこっそり、地主様たちが行っている儀式を覗き見してしまったんです。今回、そのときの様子を説明しようと思います。
十年前。あれは私がまだ十八歳の、高校三年生の夏。お白様賜りの夜のことです。あの日は恐ろしく蒸し暑い、曇りの夜のことでした。
根暗で友達もいない私でしたが、出店で売られる食べ物を目当てに、ひとりでお白様賜りに参加したんです。フランクフルトやリンゴ飴なんかの、どこのお祭りにもあるようなものを少ない小遣いで購入し、池のほとりにあるベンチで黙々と食べていたんです。
そんな時、池の反対側にある大きなお社に、地主さんを含めた五人組が入っていくのが見えました。前述した通り、お白様賜りの夜は、地主様たちの血族が儀式を行います。毎年のことだと、いつもなら特に気にもかけないのですが、その夜だけは違いました。お社の扉が開かれた時、出店の灯りに照らされて、少しだけ中の様子が見えたんです。暗い室内に、ガラスか何かでできている水槽のようなものが。
今まで一度も見たことがなかった、お社の内部。しかも水槽のようなもの。好奇心に駆られた私は、お社の内部で行われている『儀式』とやらを盗み見てやろうと思い立ちました。
影も薄かった私は誰にもばれることなくお社の近くへと到達できました。出店のほうから見えないよう、裏に回り、どこか内部を覗けるような亀裂などがないかと探していました。
ふとその時、足元に何か白いものが蠢いているのが見えました。よく見てみると、それは丸々と太った蛆虫でした。それが五、六匹ほど、地面の上を蠢いています。気味が悪くなった私は、壁伝いに移動することにしました。すると都合よく、古くなったお社の壁の一部が欠けた場所があり、中を覗けるようになっていたので、そこにしゃがみ込み、お社の内部を覗きこみました。
しかし、あいにく天気は曇り模様。お社の中は外の闇よりもなお暗く、私の目では何が起きているのか判別がつきません。かろうじてわかるのは、中に入っていった地主さんたち五人組が、なにかボソボソと話し合っていること程度。
中も見えず、声もはっきり聞こえない。苛立ちが募り、興味を失った私は、もう帰ろうと踵を返そうとしました。だけど、その時。
「びちゃあっ」という、まるで水から何かを引き揚げたような音がお社の内部からした後、「どんっ」と、床に重量物を置いたような音と振動が響いてきたのです。私は驚きました。しかし、本当に恐ろしかったのは、その後です。
「ずちゅっ、ぶちっ」「ぐちゅっ、くっちゃ、くっちゃ」「じゅるる、ずーっ」という、何かを嚙み千切り、咀嚼し、啜るような音が次々と聞こえてきたのです。まるで、中にいるであろう五人が、『“何か”を食べている』かのような、食餌の音が。
恐ろしさのあまり逃げ出そうとした私でしたが、怖いもの見たさと好奇心には勝てず、再びお社の内部を覗きこみました。するとちょうど、曇り模様だった空がわずかに晴れ、月明かりがお社の上を照らしました。月明かりはお社の天井のわずかな穴から内部を照らします。そして私は、見てしまいました。その中で起きていた、おぞましい『儀式』を。
お社内部には地主様を含めた五人の老人たちが円を描くように座り、やはり、何かを食べていたんです。彼らの中心には、膨張し、ぐずぐずに蕩けた肉塊。それも、おそらくは元人間であったであろう、醜い水死体でした。
彼らはその肉を、まるで犬のように噛み付き、千切り、食べていたのです。しかし、おかしいのです。彼らの咀嚼している肉片には、白く長いミミズのような何かが無数に蠢いていたのです。『アニサキス』という寄生虫をご存じでしょうか? 魚なんかに寄生する、白く細い、肉眼でぎりぎり確認できる程度のごく小さな生き物です。彼らがくちゃくちゃと音を立てて食べている水死体の肉片には、アニサキスを何倍も大きくしたような、まさに白いミミズと形容するにふさわしいものたちが大量に巣食っていたのです。それを、地主様たちは「お白様を賜るは、何よりも尊きこと」「ありがたや、ありがたや」などと呟きながら、狂ったように食べています。
よく見れば、お社の中の壁には大きな水槽があるではないですか。その中には、数万匹はくだらない大量の白いミミズたち…『お白様』が蠢いています。おそらく彼らが食べている水死体は、あの水槽の中から引き揚げられたのでしょう。あの水槽は、お白様の培養する『生け簀』なのでしょうか。…だけど、お白様はこの社の前にある池に住むという、守り神のはず。池に棲むあらゆる生物に祝福を授けるのでは…?
私はそこで理解しました。『池に棲む生物に祝福を授ける』のではなく、『池に棲む生物に“寄生する”』のだと。そして『お白様賜り』とは、何の意味があるのかは分かりませんが、寄生された生き物を食し、体内に取り入れる儀式のこと…。
おそらく池にはお白様という寄生中の幼生が無数におり、それらを人工的に養殖するために、この社の中の水槽で死体を餌に増やしているのでしょう。
なんのために増やす? なんのために食べる? この水死体は…?
そして、「その寄生虫を食べた彼らの肉体はどうなる?」
疑問とおぞましさ、そして目の前で繰り広げられる人喰いの生理的嫌悪感からか、私は覗くのをやめ、思わず地面に嘔吐してしまいました。それに気づいたのか、お社の中から「だれじゃあっ」と地主様の声が。
私は、「見つかったら、次の水死体にされる」と恐怖し、一目散に逃げだしました。社から離れ、出店を駆け抜け、自分の家の、自分の部屋に逃げ込みました。ガクガクと震えながら布団に潜り込む私を、両親は不思議がりました。ですが、私はお社の中で見た光景を伝えることなどできませんでした。言ったとて、信じてもらえるはずもなし。そしてなにより…「私があれを見た」という噂が村に広まれば、地主様はきっと…。
それから私は、あの夜に見たことを全て胸のうちにしまい込み、決して口外することはありませんでした。県外の大学に合格し、逃げるように地元から去った私は、それから十年、一度も帰省したことはありません。おそらく、二度とあの地へ戻ることはないでしょう。
地元の繁栄を願う儀式、『お白様賜り』。その実態は、地主とその親族らが、お白様と呼ばれる寄生虫を、その体内に取り込むおぞましい儀式でした。はたしてそれが、どう地元の繁栄につながるのかは分かりませんし、私は知りたいとも思いません。できればもう、忘れたいのです。
ですが最近、よく脳裏に響くのです。地主たちが水死体と、その肉片の内に蠢く無数の『お白様』。それを食べる、「ずちゅっ、ぶちっ」「ぐちゅっ、くっちゃ、くっちゃ」「じゅるる、ずーっ」という、あの音が。私の脳にこびりつき、離れないのです。
だれか、たすけてください。
お白様 -終-
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます