第14話 支え

 ……さて。

 宿の一室。机に置いた真っ白な便箋を前に、ユリウスは考えた。

 何を書こうか。

 まず、妹のルイサが教えてくれたことをゆっくりと反芻してみる。

 手紙を書くときには、どうするか。ルイサの言葉を一つずつ思い出す。

 それは、剣の稽古をするときにもユリウスが必ず行うことだった。

 毎日の鍛錬を、ただの決まり切った作業にしてしまわないために。

 ユリウスは今でも剣の師の言葉を、稽古前に必ず反芻する。

 それは、一流の騎士となったユリウスにとってはすでに分かり切ったことであったり、もうその段階を過ぎてしまったことであったりもする。だが、それらの言葉を思い出すことで、ユリウスは初めて剣を握った幼い日の新鮮な興奮を思い出すことができた。

 そして、その純粋な気持ちで剣に向き合うのだ。

 さて、手紙の師であるルイサは何と仰せだったか。

 最初の時候の挨拶。

 気温がどうだとか水の温度がどうだとか、ジャムがどうだとか、花がどうだとか、草とか、鳥とか、それからジャムとか、まあそういうことだ。

 これは、とりあえず後で考えればよい。ルイサもそう言っていた。

 時候の挨拶の内容から関連付けて、流れるように本文に繋げていくという高等技術もあるそうだが、ユリウスにはもちろんそんなことをする腕は無い。短剣も持てないのに大剣を持とうとするようなものだ。無謀な真似は、命取りだ。

 それよりも肝心なのは、本文だ。

 本文を書くにあたっては、文章が王都への報告書のようであってはならぬ。

 子供じみた文章になることを覚悟のうえで、自分の思ったこと、感じたことを全てつらつらと書き連ねてみるのが肝要だ。

 相手の攻撃を一撃か二撃は受けるつもりでなければ、こちらの剣も届かぬ。

 まあ、そういうことだ。

 それから、直接的すぎる表現は少し和らげたり、子供っぽい表現は遠回しにしてみたりと調整をする。これがユリウスの最も苦手とするところだった。

 前回の手紙はルイサがうまく直してくれたが、今回は隣に妹はいない。かといって、この宿で下書きをして王都にいるルイサに添削を依頼するというようなまどろっこしいやり取りをしていたら、さすがに時間がいくらあっても足りぬだろう。

 全て、自力でやるしかないか。

 ユリウスは覚悟を決める。

 必要な稽古は、出立前にルイサに付けてもらったのだ。後は実践するしかない。その辺りも、剣と同じだ。

 いつまでも誰かに頼り、直してもらっていても、成長はない。

 見習い騎士も、ベテランの後ろについて回ってばかりはいられない。いつかは、たった一人で魔人と対峙しなければならない時が来るのだ。己の剣だけを頼りに。

 結局は、それが早いか遅いかの違いしかない。

 では、まずは。

 ユリウスはペンを傍らにおいて、目を閉じた。

 前回はルイサに、自分で書けと言われて、とにかく何でもいいからそれっぽい文字の連なりを書こうとしてペンを手から離さなかったが、結局は紙を無駄にしたばかりで何もまとまらなかった。

 だから、まだペンは握らず、ルイサに教わった通り、まずは自分の感情を整理することにした。

 私は、なぜカタリーナ殿に手紙を書こうとしているのか。

 それは、嬉しかったからだ。

 自分の書いた手紙でカタリーナ殿が喜んでくれたことが。

 そして、それをまたこうしてわざわざ手紙という形で返してくれたことが。

 カタリーナ殿のその気持ちが嬉しかった。

 だから、私の抱いたその喜びをまずカタリーナ殿にもお伝えせねばならない。

 それが、一つだ。

 ユリウスは頷く。

 それに、今でも悔やんでいる、例の失敗。晩餐会で自分の話ばかりをして、カタリーナ殿のことを何も聞けなかったこと。

 見送りの時にあなたのことを話しましょう、というカタリーナ殿との約束はまだ果たされていない。

 それを、手紙で話してもらえないだろうか、と提案してみるのだ。

 おそらく、私と違ってカタリーナ殿は手紙を書くことが苦ではない方なのであろう。

 それであれば、手紙でゆっくりとご自分のことを話してもらうというのは、いい考えではなかろうか。

 それが、二つ目。

 あとは。

 手紙なのだから、自分の近況なども話しておくべきだろうか。

 魔人との戦いの話も、詳しくするとなればどうしても酸鼻を極めたものになってしまうが、全くしないというのも不自然だ。

 カタリーナ殿とて、シエラ第一の騎士ラクレウス殿の妹君だ。騎士が魔人との戦いをその役目の一つとするということはよくご存じであろう。

 別に自分を大きく見せようというのではないが、ナーセリでのんびりと暮らしていると思われるのも、騎士としては少しどうかと思う。私もナーセリの騎士として励んでいるということもお伝えしておきたい。

 それが、三つ目。

 そういえば、シエラは最近ずいぶんと寒くなってきたと手紙に書かれていたが、晩餐会のあの夏前の季節に、夜の肌寒さのせいで熱を出して寝込んでしまうような彼女のことだ。体調は大丈夫だろうか。

 最近の体調についてもお尋ねしておいた方がよいであろう。

 これで、四つ目。

 そこまで考えて、ユリウスは愕然とする。

 なんと。

 書きたいことがたくさんあるではないか。

 これに、時候の挨拶も足したら、前回の手紙よりもさらに長い手紙になってしまうのではないか。

 それを、一人で書けるのか。

 何か大きな失敗をしてしまわないだろうか。


 いや。


 ユリウスは首を振る。

 恐れるな、ユリウス・ゼルド。

 目を開け、ベッドの脇に立てかけた愛剣を見る。

 私が初めて一人で戦った魔人。

 “石工”と呼ばれたあの魔人は、それよりも前、見習いとして先輩騎士とともに戦った魔人たちの誰よりも、大きく強かった。

 だが、ユリウスはそれを一人で仕留めてみせた。

 勝ち目の薄い厳しい戦いの中でユリウスを支えたのは、王と国への忠誠。それから、助けを求める住民たちがユリウスに向けた縋るような眼差し。そして、ナーセリの騎士としての誇りだった。

 自分一人の力ではない、とユリウスは思う。

 自分を支えるそれらが後押ししてくれたからこそ、私は“石工”を倒し、今ここにこうして生きている。

 それでは、この手紙を書くという難業に挑む私を支えるものは、何だろう。

 ユリウスは眉間にしわを寄せて考えた。

 王と国への忠誠……は少し関係が薄い気がする。

 王は確かに手紙でも書いてみろと仰せになったが、王への忠誠のため、カタリーナ殿に手紙を書きましたと言ったら、王は、そちはばかかと叱責なさるだろう。

 助けを求める住民……もいない。騎士様、どうかカタリーナ殿に手紙を書いてくださいませ、などと懇願する村人はいないのだ。もしそんな者がいたら、それこそ余計なお世話というものだ。

 騎士としての誇り。それはある気がする。だが、それだけでは足りない。

 ユリウスは考える。

 しばらくとめどのないことが頭をよぎり、そして最後に、あの夜に見たカタリーナの笑顔を思い出した。

 やはり、私はカタリーナ殿に喜んでいただきたいのだ。

 ユリウスは思った。

 そして、まだほとんど何も知らないカタリーナ殿のことを、もっと教えてほしい。

 それこそが、私の今の気持ちだ。

 他は、全て些事だ。

 その気持ちを支えとして、この手紙に挑むしかあるまい。

 ユリウスはそう覚悟を決めて、ペンを手に取った。

 傍らに置かれたカタリーナの手紙と、その脇のルイサの手紙を見る。


 そうだな。ルイサにも手間をかけた。


 そっけない文面の手紙をもう一度読みながら、ユリウスは思った。

 妹への恩。

 まあ、それも支えにはなるであろう。




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