僕らの後悔は何れ

日比 樹

後悔1 Echizen Hazuki

 こんな雨の日は死にたくなる。   


 

 ▼



 特に何もない毎日は、俺の心をほんの少しも動かさない。

 淡い水玉模様のビニール傘を持って歩く。

 コンクリートの道は水を吸い込んで処理することも出来ず、落ちてくる雨粒は地面にぶつかり交わり勢いを増しながら下へ下へと流れ落ちていく。それはまるで俺の胸の中に溢れ続ける後悔の念のようで。

 このままずぶずぶと沈んでいって、そうすればいつか、死ねやしないだろうか。

 滝みたいに降りしきる雨に霞んだ視界の中。道路の真ん中に灰色が揺れた。近づいて、しゃがんで、覗き込む。


「お前、帰るとこないの」


 ぐしゃぐしゃに濡れた子猫だった。まるでゴミみたいに転がっていた。


「お前は、死にたくなんない?」


 物言わぬそれに問いかける。


「助けてほしい? それとも死にたい?」


 返事なんてあるはずもないのに。灰色だと思われた毛並みは、よく見ると金色に近いもので。濡れそぼった瞳がじぃっとこちらを見つめ返してくる。諦めが染みついて滲んだみたいな、濁った色だ。


「なんか、俺ら似てるね」


 ふふ、と笑って抱き上げた。


「お前もしかして泣いてる?」


 こんなクソな世界では、皆が素通りしていく。そうしてこの猫はもうすぐここで轢かれて死ぬ運命だったのかもしれない。

 自ら選ぶ死は悲しいものでも何でもない。惰性で息を吸って吐いて人間として機能する。この日々に意味なんてない。いつか死ぬための準備を、毎日しているだけ。死んだ方が楽だと思えるのは仕方ない。


「でも、お前だけ楽にはさせてやんない」


 渇いた笑いを漏らして宙を仰ぐ。ばたばたと大粒の雨が落ちてきて、俺の頬を容赦なく濡らした。


「……そういえばあの日もこんな雨だったよ」


 いつのまにか隣に立っている人物に向かって、俺は緩やかに笑ってみせる。


「それで、またここにいたら会えると思ってんのかよ?」

「ううん、そういうわけじゃないけど」


 ただ、雨の中にいたかった。それが自分への戒めで、だけどそんなことをしたってもう彼女はかえってこない。そんな気分に浸りたかっただけ。


「見てこの傘。綺麗じゃない?」


 水玉模様の傘を傾けて見せる。あずさは微妙な表情をして、ただ見下ろしてきた。


「……そいつ、今頃困ってるだろうな」

「あはは、だろうね。まあ傘なんてまた買えばいいじゃん」

「自分が買おうとは思わなかったのかよ」

「やだなあ、あずさ。分かってない」


 こんなクソみたいな世界で、自分だけクソな人生なんて許せない。


「みんな平等にクソでなくちゃ」


 でなければ、俺は——。


「……泣くなよ、葉月」

「俺、泣いてないんだけど」

「あっそ」

「でも……ちょっと苦しいかな」


 雨の日が来るたびに死にたくなる。また後悔が強くなる。 

 けれど、そういう日には決まって新しい出会いがあってまた俺の足を止めさせる。


「この猫、俺に似てない?」

「確かに。ゴミみたいなとことかすげぇ似てんな」

「違う、そこじゃない。あずさそれ酷いよ」


 むっとして英を睨む。あずさは指先で器用にボールを回して悪戯っぽい笑みを寄越した。

 

「ていうか、あずさはなんでバスケットボール持ってんの? 変だよ普通に」

「近くで練習してたから」

「この雨の中」

「雨だからってできないことはないだろ」

「いや確かにそうだけどさ・……」


 もし見えちゃった人とか絶対引くよね、と思ったけれど、まあこの雨だし逆に見えないか、と思い直す。

 人は他人の事なんかこれっぽっちも見ちゃいない。人は自分にしか興味が無くて、他人の痛みには無関心だ。


「帰ろっか」

 

 それを悪いとは思わない。


「おう」


 雨はまだ止む気配なんてなかったけど、俺は傘を閉じて歩き出した。



 ▼



 君はいつもどれくらい好きかって俺に聞いてきたよね。

 あの時の俺は本当に我侭で、自分勝手で、人の気持ちを考えられないような奴だった。俺の一言で君がどんな思いをするかなんて、想像もしなかった。

 どれくらい好きかって、そんなの今更答えたってもう遅いけど。


 一生泣き叫んでも足りないくらい、俺は君が好きだったんだ。

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