あやかし島のイタチの子
三ツ沢ひらく
一、少年少女
第一話
目にしみる茜日に気を取られていたら、斜め後ろにいたはずの気配が消えていた。
学校からの帰り道、並んで歩く影を見失うのはいつものことだ。わたしはなんの気なしに来た道を引き返す。
古い住宅を囲うブロック塀の角を二、三回曲がったところでようやく目当ての姿を見つけ、小さく息を吐く。
「なぎさ、家に帰るよ」
黒いランドセルを背負ったまま、地面を何度も何度も踏みつけているわたしのおとうと――
わたしに気づいていないのか、渚はずっと下を向いて、まるでたくさんの虫かなにかを潰すように、とにかく地面を蹴っている。
「ちゃんとついてきてっていつも言ってるでしょ」
返事はない。
ただひたすらに踏みつけ、足裏で念入りに消し、少し位置をずらして、また踏む。
奇妙なダンスにも見えるし、地団駄を踏んでいるようにも見えるその行為の理由を、わたしは少しだけ理解している。
渚に近づいてその足元を覗き込むと、西日に浮かび上がるような不思議な影がゆらゆらと地面を這っていた。
細くて長い蛇のような影だ。それがブロック塀の向こうの影からずっと続いていて、うねりながら渚の足元にまで伸びている。
実態のない、影だけの影。もしかしたら影のように見えるだけで影ではないのかもしれない。それが伸びては渚に踏み消され、枝分かれして伸びて、また消される。というのを繰り返している。
困ったことにこれが始まってしまうと日が暮れるまで終わらないのが常だ。
わたしは夜が近づくとこういうものが見えたりするが、多分渚は朝から晩までずっと見えているのだろう。視界にちらちらと映り込むおかしな影が煩わしい気持ちはよく分かる。
だから、渚に向かう影をわたしも踏む。踏むというより、わたしの影で通せんぼうするというイメージに近い。そうするとうごめいていた影は先に進めなくなるのだ。
「なぎさ、見て。こうやって太陽に背を向けて、後ろ向きで歩くの。あれは影に入ってこれないから、わたしの影に入っていれば大丈夫」
渚は今わたしに気がついたようにゆるりと顔を上げて、目を丸くする。
「これ、まゆこにも見える?」
「見える見える。ほら、後ろ歩き。どっちが早いか競争だよ」
「わかった!」
太陽を背にしながら飛び跳ねるように後ろ歩きをする渚を見て、こうしていれば普通の小学生なのになとぼんやり思った。
普通じゃないように見えるのは不思議な行動のせいもあるし、それに加えて渚がとびきり綺麗だからかもしれない。渚の黒い瞳は金環に彩られていて、光の加減でキラキラ光る。泣いたりしたらもう、ものすごく光る。
そんなおかしなものが見えてしまう不思議な目に、外国の人みたいな陽の光に透ける髪と、白い肌にぽってり染まる唇。
「まゆこ遅いー!」
黒目黒髪鼻ぺちゃなわたしとは「きょうだいなのに全然似てないね」って逆に言われないくらい似ていない。周りの人たちは美しいおとうとを持つ平凡な姉に気を使ってくれているようだ。それもそれで腹が立つのだけれど。
「待ってよなぎさ」
それでもわたし達はきょうだいで、絶対に家族だ。
▽
わたし達の住んでいる島は、とても小さいけれど人々は温かい。東京から引っ越してきてまだ半年しかたっていないのに、島のみんなは昔からここにいる子どもみたいに接してくれる。
「『猫に?』」
「小判」
「『豚に?』」
「真珠」
「『
「いたちの……?」
動物の名前が入ったことわざをテストに出すなんて国語の先生が言ったから、昨日から休み時間はずっとこうだ。
一クラスに三十人はいた東京の学校とは対照的に、転校後のこの学校には全生徒が三十人もいない。
少子化の影響で小学生と中学生が同じ校舎を使うようになったというこの島唯一の小中学校に、わたしと渚はあっという間に馴染むことができた。
ちなみに小学四、五、六年生は合計八人しかいないため同じ教室で授業を受けている。よって六年生のわたしと四年生の渚は同じクラスだったりする。
半年前にこの島に引っ越してきたときは子どもの少なさに驚いたけれど、すぐに慣れてしまった。むしろ過ごしやすいとさえ思う。
答えを考えているふりをして、窓の外を眺める。教室でずっとことわざの当てっこをするよりも、校庭に出て雲が流れるのを眺めている方が好き。
「まゆ、聞いてる?」
「うん」
「分からないからってごまかすなよな」
前の席から問題を出してくるのは、数少ない同級生の
「答えは『鼬の道切り』。意味は連絡がぱったりとだえること。今日の一時間目の授業で先生言ってたろ」
「うーん、そうだったっけ」
ぽやぽやと記憶を辿ってみても、思い出せない。一時間目といえば眠くて眠くて仕方がない時間だ。居眠りをしてしまっていたのかもしれない。そう言うと京くんは困ったように眉を下げた。
「朝弱すぎだろ、まゆもなぎさも。登校したと思ったらすぐぐったりして、学校が終わる頃になると元気になる。もしかして学校嫌いなのか?」
「そういうわけじゃないんだけど。京くんこそ毎日放課後にビーチバレーしてるのに疲れないの?」
「鍛えてるからな!」
そのぱっと花が咲いたみたいな笑顔を見るとつられて笑ってしまう。テスト勉強や雲を眺めることよりも、京くんとおしゃべりしている時間が一番好きかもしれない。そんな自分の変化に驚いているのは紛れもないわたし自身なのだ。
変化といえば、以前と時間の使い方もすっかり変わってしまった。転校前のわたしは休み時間になったら友達とドッジボールや縄とびをしたり、どちらかというと京くんみたいに体を動かして過ごしていたけれど、島に来てからはゆっくりと時間が過ぎるのを噛みしめるように生きている気がする。
渚が変わってしまったから。
それに合わせようとしたのかもしれない。
学校にいる間、渚はずっと机に伏せている。
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