蛇足の住人に捧げる挽歌

s-jhon

第一章

 街に朝日がさす時刻。キャピタルシティーの街角に立つアブラクサス教の教会では、管理コンピューターが内蔵の時計に従い、諸々の装置に指示を送っていた。中でも、日の出の時刻を示す信号は鐘楼の一階に設置された操作盤を経由し、ほこりまみれの階段の壁を這う有線ケーブルを通って、街を見下ろす鐘撞き堂に据え付けられた「ハンマーを持った腕の形をした機械」に送られた。「ハンマーを持った腕の形をした機械」は信号に従い、既定のプログラム通りにハンマーを振り下ろした。リズミカルに振り下ろされるハンマーの先には青銅の鐘がついており、鐘とハンマーの衝突音は、朝の訪れと聖アブラクサスの威光を知らせるべく、街に響き渡っていった。

 その教会の真下の大通りを、一台のトラックが走り抜けた。荷台には大手コンビニエンスストアグループ“エブリデイマート”のロゴがでかでかと描かれており、その下に小さく「このロボットトラックは安全運転をするようプログラミングされています」と書かれている。

 トラックは、清掃局の路面清掃ロボットの縄張りである塵ひとつない片側四車線の大通りから、わき道にそれた。わき道にそれたのは裏通りを使うことで渋滞を回避し配送時間を正確にするという狙いの元、社の上層部が決定した配送ルートだったが、ロボットトラックの電子頭脳によるとここ一年、大通りにおいて渋滞に出くわしたことは全くない。理由は道路を走っているのがこれのようなロボットトラックか、ロボットタクシーかロボットバスか、さもなければ道路整備用ロボットくらいで、自家用車が全く走っていないからなのだが、道路を走る車の種類に関する分析をコンビニの配送トラックがすることによって会社がこうむる利益はないので、このトラックはそのようなことを考えない。

 それよりも問題なのは……。トラックは路面に障害物を認めて停車する。道の半分、トラックの走っているほうの車線をふさぐようにして道に何かが落ちている。それはコートらしき布に包まれた物体で、長さが成人男性の身長ほどあり、浮浪者が胸をかきむしりながら倒れていたらちょうどこんな感じだろうと、トラックの電子頭脳に認識させるような物体だった。トラックはプログラムに従い、その物体を回避する方法を計算し始める。結果、反対車線を通れば回避は可能と判断。対向車の有無を確かめつつ、内輪差も考慮に入れ、障害物を回避する。

 この物体が問題なのは一年ほど前から地面に転がっているということだ。トラックのコンピューターには地面に転がってピクリとも動かない物体が人間なのかゴミの塊なのかを判断するすべはない。しかし、人間が一年もの間道路で寝転んでいると考えるのは不合理であり、あれはゴミの塊である可能性が高いと電子頭脳は判断を下しかけていた。もっとも、たとえどう判断したところで、一年間の間、毎日道路で寝ることを日課にしている変人であるという可能性が捨てきれない以上、トラックは回避行動をとる。そのための時間ロスが発生することを考えると、この道を使い続けることはあまり良い判断のように思われない、とトラックは考えた。だが、考えただけ。このトラックに配送ルートを変更する権限は与えられていない。

 コンビニにつくと、ロボットトラックのコンピューターは荷台の荷降ろし用ロボットに指示を送り、この店舗に納入する商品を搬入させた。商品は電池、使い捨て掃除シート、ゴミ袋などが主である。サンドイッチや清涼飲料水などはなく、食糧宅配サービスのための食材を除けば食料品はない。ここ一年、軽食や飲料水が売れなくなっているためである。そのため、本部の仕入れコンピューターは食料品の仕入れ量を減らし続け、ついには食料品を全く仕入れなくなってしまったのだ。

店舗に搬入された商品は、陳列用ロボットの手によってしかるべき棚に並べられる。ほんの五~六年前までコンビニには人間の店員がいたものであり、彼らは深夜の労働とコンビニ強盗に悩まされてきた。その悩みを解決したのはロックサベジロボット社だった。

 ロックサベジロボット社は六年前にエブリデイマート・グループを買収すると、すぐに店員を深夜労働と強盗の巣窟から安全なロックサベジロボット社内の購買に移し、店舗の無人化に取り掛かった。

このコンビニチェーン無人化はアブラクサス教の聖職者たちに高く評価された。特にパラダイスウォーカー司祭は「これぞまさしく悪魔が作り出した呪いである労働から人類を開放し、神の身許へ還るための大きな助けとなる偉業である」と褒めたたえた。

 荷降ろしロボットがこの店舗に納入する商品をすべて店内に運び入れてから零コンマ一秒後、店舗管理用コンピューターから商品の受け取り確認データが送られてくる。データに記載されている時刻は午前六時を回ろうとしていた。


 午前六時。ビジネス街のはずれにある、雑居ビルがひしめき合う、少しさびれたエリア。その一角に建つ、白く塗装された五階建てのコンクリートビルにも朝の光が当たり始めた。ビルの一階はガレージになっており、茶色に塗装された電動シャッターが取り付けられている。横にはエレベーターの設置された玄関ホールがあり、入り口の薄汚れたガラス扉には「ロックサベジロボット社・ユーザーサポートメンテナンスセンター」と金文字で書かれていた。

 その建物の三階は備品室として扱われていた。ブラインドの隙間から差し込む朝日に空気中の塵が輝く室内に、「ピーピー」という電子音が響き、小さな赤いLEDランプが点灯する。上の階に設置されたコンピューターが、充電器につながれたまま休眠状態になっていたテクノプロⅢを起動させた合図である。

 「テクノプロシリーズ」はロックサベジロボット社製の汎用型精密作業用ロボットである。二足歩行をする人型ロボットで、脚も腕も、腕の先に取り付けられた指も細くデザインされているため、全体的にひょろっとした、頼りなさそうなデザインをしている。頭はコッペパンのような形をしていて、カメラアイとサブセンサーアイが二つずつ、四つの目が付いている。主なオーナーは医療機関・研究所・工場などであり、その作業の精確さからどこの業界でも高い評価を得ていた。

 ユーザーサポートメンテナンスセンターで働くこのテクノプロⅢは修理用にカスタマイズされたものである。主な仕事はロックサベジロボット社の製品の修理で、一般家庭のコンピューター制御洗濯機から清掃局の広域リサイクルセンター中枢システムまで、命じられればどこのどんなものでも修理しに出かける。ロックサベジロボット社は傘下に食品から玩具・薬品・鉄道・自動車・小売業・レストランチェーン・果ては軍需産業までありとあらゆる企業を収めており、それらすべての製品をテクノプロⅢは修理することができるのである。(ただし、軍事機密になっている大陸間弾道ミサイルなどは修理方法を知らないので直せないが)

 テクノプロⅢは起動すると、座らされているスプリングの壊れたソファーの上で、コンピューターからの指示が送られてくるのを待った。間もなく、充電用を兼ねるデータケーブルから指示が送られてくる。

 指示を受け取るとテクノプロⅢはケーブルを外し、ソファーから立ち上がった。そしてソファーの横に置いてあった道具箱を手に取ると、使用する道具を選び出していく。レンチ。スパナ。今回は自動車用ジャッキは使わないので隅のテーブルの上に置いていく。ドライバーセット、加えて電動ドライバー一式も持っていくべきだと判断して、段ボール箱から取り出して道具箱に入れる。ニッパーもいくつか。そして、忘れずに頭部装着式の懐中電灯を入れる。もちろん、ちゃんと点くか確かめてから。

 一通り用意を整えると、テクノプロⅢは階段を使って一階まで下りた。エレベーターは使わないように所長から厳命されている。ガシャリ、ガシャリ。このロボットが薄暗い階段を下りるたび金属質な音が鳴る。片手に道具箱をぶら下げながら、それはいささかの危なげもなく階段を降り切った。

 一階のガレージには、割とよく見る型のステーションワゴンがあった。白い車体の側面にはロックサベジロボット社のロゴが印字されている。

「おはようございます」

ステーションワゴンの人工知能が、女性のような合成音声で朝の挨拶をしてくる。

 今の時刻は午前六時四分。そう考えてテクノプロⅢも

「おはようございます」

とこの時刻のもとして適切な挨拶を返す。

「キャピタルシティー、ファクトリー区画、BのⅣまで、お送りします。行先に間違いはありませんか?」

ステーションワゴンが女声でそう訊いてくる。このロボットカーも同じコンピューターからデータケーブルで全く同じデータを受け取っているのだから、間違いがあるはずはないのだが、念のために確認するようプログラムがされているので、毎回そう尋ねてくる。

「はい、間違いありません」

「トランクを、開けましょうか?」

「いいえ、開ける必要はありません」

テクノプロⅢは後部のドアを開けるとシートに座り込んだ。道具箱をシートの上にそっとおろし、急停車時に落下しないように奥の方に寄せる。それからシートベルトを引き出し、留め具で固定する。固定されたか確かめているとステーションワゴンが問いかけてくる。

「発車してもよろしいですか」

「いいえ」

まだ安全確認が済んでいない。遂行完了までの予想時間は十三秒。

「少し、待ってください。……。準備が整いました。発車してください」

「わかりました。発車します」

 ステーションワゴンからの信号を受け、電動シャッターが滑らかに開く。電気エンジンに備えられた代替エンジン音発生装置が、聞こえやすさを重視した、人工的でやや耳障りな音を立て始める。シャッターが上がりきると、ステーションワゴンは朝日の中に滑らかに滑り出した。

 車は雑居ビル街の、歩道のない二車線道路から、バス停のある広めの通りに出ると、ビジネス街の中心に向かって進んでいった。ロックサベジロボット社の工場が立ち並ぶ区画は、ビジネス街を挟んで反対側に位置している。

 テクノプロⅢは窓の外を眺めた。「特殊国債を一口買えば、国土・百平方キロが守られる!」という文字が躍るバス停の電光広告が、そのカメラアイに飛び込んできた。

(液晶に破損あり。多くの部品を新品に変える必要がある。費用の面から言えば、広告用液晶パネルを、丸ごと新しいものに変えたほうがよい)

電子頭脳にそのような思考を浮かべたところで、「費用」というキーワードが、テクノプロⅢに所長に関する記憶を浮き彫りにさせた。

 かつて道具の錆び止めを行っていたテクノプロⅢにコストカットを何よりの使命とする所長は、「おまえは動くだけで電力を食うんだ。だから、道具の手入れもなるべく手早く済ませて、必要でないときは休眠状態になるんだ!いいな、なるべく休眠状態でいるように心がけるんだぞ!」と言った。

 だからテクノプロⅢは休眠状態になることにした。電子頭脳の働きを最小限にし、体を動かさず、電力の消費を抑えるのである。

 テクノプロⅢの人工知能のメモリーに所長と最後に会った時の事が浮かんだ。


一年ほど前の事。その日、「所長室で異常事態アリ」という信号をメンテナンスセンターのコンピューターから受け取ったテクノプロⅢは、事務室に向かった。

メンテナンスセンターにはその日、所長が一人で詰めていた。テクノプロⅢが室内に入ったとき所長は自分のデスクにいなかった。テクノプロⅢはカメラアイで辺りを見回し、所長用デスクの陰に倒れている人影に気付くと、すぐさま駆け寄った。

その中年太りの男性は、テクノプロⅢの電子頭脳による推論の通り所長であった。所長は胸をかきむしった状態で倒れており、テクノプロⅢが抱き起したときには痙攣をしながら意識を失っていた。

高度な手術を行う医療用ロボットとしての側面も持つテクノプロシリーズの人工知能には、医学に関するデータも基礎情報としてインプットされていた。テクノプロⅢはメンテナンスセンターのコンピューターに救急車を呼ぶことを要請すると、可能な限りの応急手当てを行った。さらに、この日、救急車に対する要請がキャピタルシティー中で寄せられており、救急回線がパンク状態だとわかると、テクノプロⅢは所長を抱え上げ――本来、テクノプロⅢの操作腕(マニピュレーター)はそこまで重いものを持つようにはできていないのだが――一階のガレージにあるステーションワゴンの後部座席に乗せ、自らも除細動器とともに乗り込むと、総合病院まで最高速で行くようにステーションワゴンに指示した。病院に着くまでの間、狭い車内でテクノプロⅢは所長の弱まりゆく脈を測っていた。


ガクリ、とテクノプロⅢの体がシートベルトに倒れこんだ。所長が息を引き取った後部座席シートの上で、テクノプロⅢは目的地に着くまでのしばしの間、休眠状態に入った。ステーションワゴンは片側四車線のメインストリートを滑らかに走っていた。目の前にロックサベジロボット社の巨大な本社ビルが見えてきた。それこそ、天に届くほどに巨大な。


 朝の光がビジネス街に降り注ぐ。ビジネス街には高層ビルが林立しているが、その中で異彩を放っているのは街の中心に立つロックサベジロボット社の本社ビルである。なめらかな楕円形のデザインのビルは下の方が広く、上に行くほどすぼまっている。他の高層ビルが小さく見えるほどの巨大さに加え、そのデザインのせいで、そのビルは下から眺めるとまさに天に届きそうに見えるほどだ。

そのガラス張りのバベルの塔とでもいうべき建造物に降り注いだ朝日は、毎日掃除ロボットが磨くガラスに反射して、ふもとにあるビル群に降り注いだ。

ビジネスビル群に混じって建つ高層マンションもバベルの光に浴していた。その上層階の一室、透明度調節機能の付いた窓ガラス越しに朝日が差し込む寝室にて、目覚まし時計の液晶モニターが午前七時を示した。本来ならアラームが鳴り始める時刻だが、コンピューター制御のハイテクベッドの重量センサーは部屋の主がベッドの上で寝ていないことを示していたため、このマンションのありとあらゆる電化製品を統括する家政ロボット・メイベルⅡカスタムは、目覚まし時計にアラームを切るよう命じた。

実際、この部屋の主・ロックサベジロボット社の若き重役・コードウェルが何の連絡もなしに部屋を空けることはよくあった。というよりも多忙なコードウェル氏が家を管理するロボットに予定を知らせてくれたことなど一度もないのだが。幸いなことにコードウェルは家計全般を家政コンピューターに任せ、その判断に一言も文句をつけなかったので、彼が出張やらプロジェクトの陣頭指揮やらで二、三週間家を空けるたび、メイベルⅡはいつ彼が帰ってきてもいいように常に家を整えていた。ロボットにとって、一週間は一日が七つ集まった物に過ぎないので、毎日のルーチンワークをいくら繰り返そうとも平気だった。今回、コードウェル氏はもう一年は帰ってきていなかったが、家政ロボットにとっては一日の集合数が増えたに過ぎない。

目覚まし時計に指示を送った後、ダイニングでメイベルⅡカスタムはテーブルの用意をした。メイベルⅡのデータによると、コードウェルは命じてから十分以内に食事が用意されないと機嫌が悪くなる。そのため、家政ロボットは彼が突然帰ってくることに備えて、食事の用意を欠かさない。システムキッチンに並ぶ電子調理器は常に待機状態であり、コードウェルがいつ帰ってきても五分以内にトースト、スクランブルエッグ、サラダにコーヒー、ミルクという朝食セットを出せるようになっていた。

「メイベルⅡ」は家政指揮型アンドロイドという高級な家事ロボットの中では最も売れている製品である。このメイドを模した女性型アンドロイドは、部屋にロックサベジロボット社製の電化製品ネットワークさえあれば、ありとあらゆる家事をこなしてくれる。逆を言えば高価な電化製品を大量に持っているような家庭でなければその真価を発揮できない商品なため、あまりたくさん売れるものではないのだが、単価が高いので利益は問題なかった。その「メイベルⅡ」の特注モデルが「メイベルⅡカスタム」で、首相や政府高官、大実業家などが愛用している「メイベルⅡ」はすべてこの特注モデルと考えてもらって問題ない。もっとも、コードウェルのメイベルⅡカスタムは技術部の知り合いに頼んでチューンアップしてもらったもので、正式なカスタムモデルではないのだが、ここではそう呼んでおく。

冷蔵庫の制御コンピューターがメイベルⅡカスタムに、調整牛乳の賞味期限が迫っていると知らせてきたので、メイベルⅡはまた食材を買い出しに行かなくてはならないと考えながら窓の方を見た。窓のほうに視線を向けたまま、メイベルⅡは車輪を軋らせながら窓に近づく。窓の外には幹線道路が見え、そこを一台のステーションワゴンが工場街へ走っていくところだった。

だが、メイベルⅡのカメラに映っていたのは窓の外に広がる景色ではなかった。その眼が捉えていたのは窓ガラスの汚れだった。

メイベルⅡは窓の掃除をすることにした。汚れを落とすために窓に施された光触媒加工も、経年劣化のため働きが弱くなっていた。


 首都キャピタルシティーから車で三時間ほど西に向かうとロックアムール山脈に行き当たる。ロックアムール山の自然豊かな中腹には厳重に警備された政府施設がある。科学省傘下の観測施設ということになっているがそれは表向きの話に過ぎない。施設の地下には大型のシェルターが設置されており、その内部にはこの国の軍隊全てに命令を下すことができる緊急発令所と、ミサイル防衛システム及び衛星監視システムを統括する軍用スーパーコンピューター・マーズが設置されているのである。

 発令所の一番大きなスクリーンには世界地図が常に映し出されており、世界各国の紛争や、軍事衛星から送られてくるデータや、上空を飛び交う軍事・民間の航空機並びに海を行きかう船舶の類が様々な色の光の点で表されてきた。現在、その世界地図は毒々しい赤や緑や黄色で染め上げられていた。それらの色にはそれぞれ「放射線汚染地域」「細菌兵器汚染地域」「化学兵器等汚染地域」という意味が割り振られていた。

 メイン・スクリーンの横にあるサブ・スクリーンには、重要地域の地図が映し出されていた。それによると、この国の南部地域に熱核爆弾が投下されたほか、首都キャピタルシティーを中心に仮想敵国の開発した細菌兵器「ネイチャーラバー」――“遺伝子に反応して発病するので、動植物に一切害を与えずに敵国の人間を殲滅できる”と宣伝されていた――がばら撒かれたことが示されていた。そして、もっと穏健な色をした文字で、報復システムが無事に作動し、敵国を壊滅させるに十分な核ミサイル――アーネスト=ゼーガル博士の計算によれば、放射線で世界を滅ぼしてしまうに十分な量の核ミサイル――が目標に命中したことが示されていた。

 一年前のXデー。マーズは厳重に保護されたコンピュータールームの中で、衛星や様々なコンピューターから送られてくるデータを検証しつつ考えた。この国の人間は生きているだろうか。答えは「ほとんど否」だった。

 マーズが「ほとんど」と考えたのは“この国の人間は九割の確率で全滅している。残り一割の確率で生き残りがいる”という意味ではなく“この国の人口の九割は死亡した。残りの一割は生死不明”という意味である。

 実際、厚生省のコンピューターがXデーに受けた報告によると、キャピタルシティーの全病院ですべての患者および医療技術者が死亡。救急病院では家庭用ロボットやロボットカー、自動救急車が大量の急患を運び込み、病院のロボットたちの業務がパンクする事態となった。あまりのパニックのため、正確な死亡人数を把握できず、その結果厚生省の旧型コンピューターは単なる感染爆発としか事態を把握できなかった。

 マーズは確かに作られたのは厚生省のコンピューターと同時期だが、元々の性能が大幅に違う上に頻繁にアップグレードされてきたため、性能は厚生省コンピューターとは比べ物にならないほどよかった。ゆえにこの事態を正しく認識できた。上空で爆散したミサイルらしき影、地上施設に設置された細菌監視装置にかかった「ネイチャーラバー」らしき病原菌、厚生省コンピューターの受け取ったデータ、そしてこの発令所で「ネイチャーラバー」と思しき症状で死んでいく軍人たち……。以上の情報からこれをかねてよりの仮想敵国による攻撃だと断定したマーズは、国家緊急事態法二百四十一条のCに従い弾道ミサイルに発射命令を下した。

 その後、無人哨戒機を飛ばしつつ、マーズはさらに考えた。敵国の人間は生きているだろうか。答えは「データが不足。不明」。確かに敵国の地上は核ミサイルによって溶解し放射線に満ちているだろう。だが、シェルターの中には生き残りがいる可能性がある。彼らはシェルターの中からこの国を奪おうと狙っているに違いない。(もっとも、アーネスト=ゼーガル博士に言わせれば、あれだけの核ミサイルを降らせた土地では、どのようなシェルターに入っても三日と生き延びることはできないらしいが)

 マーズは対策を考えた。この国を守ることがマーズの使命であり、そのために最善を尽くすのがマーズの仕事だ。今回取るべきプランは一つだろう。すなわち敵国にロボット兵士を送り込み、シェルターを探し出し、一つ一つこじ開けて中の人間を殲滅する。

 こうしてマーズはプランを具体化し、国家緊急事態法二百六十二条に基づき予算を組むと、ロックサベジロボット社にロボット兵士・無人輸送機・シェルターを探すための金属探知機及びシェルターをこじ開けるための自動重機の製造を国家緊急事態法五十七条に基づき命令した。

 そしてXデーから八カ月後。ロボット兵士たちの第一陣が無人輸送機に乗って敵国へと向かった。第二陣、第三陣も準備が進められている。しかし、このままのペースでは広大な国土を持つ敵国中からシェルターを見つけ出す前に敵国側が侵略の準備を整えてしまうとマーズは予測した。そのためマーズはロックサベジロボット社にロボット兵士の更なる増産を命じたが成果は上がっていない。

 今日もマーズは考え続ける。今となってはマーズにとって「この国の人間は生き残っているか」という質問は無意味である。マーズの使命はこの国を守ること。この国の国民がいなくなろうが、政府がなくなろうが、国土自体がなくなったとしても、マーズ自体が滅びるその日まで使命から解放されることはない。

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