第47話

【シルフィ】


「治癒魔法に頼らない医療の提供。加えて舞妓や巫女の衣装まで……よろしいのですかシルフィさん」


 と天狐。【色欲】の魔王No.3。女の私でさえ誘惑されそうになる色気。

 同性でもこれなのだから、異性のアレンは間違いなく刺激されているはず。

 なのに、いつもと変わらない幼稚な言動。

 シオンの抜擢。ペニシリン発見・生産において、適任者は彼女。

 きっとアレンは彼女と引き篭もっている間に色々仕込んでいたのね。


 さすがに【色欲】の魔王が修道院にやってくるタイミングは偶然だったのでしょうけど。

 シオンに確認したら、「彼の話を聞き漏らさないよう一言一句完全記憶している」とのこと。

 ……ごくり。彼女は生命の研究に忙しいことは知っているけれど、無理を言って羊皮紙に落とし込んでもらったわ。

 

 そんな彼の語録を就寝前に読むのが最近の楽しみであることはここだけの話ね。

 さて、アレン語録によると彼がワクチンと呼ばれる講義をしたときにこんな言葉を残していたわ。

「幸運の女神は準備を怠らない者にだけ訪れる」

 ……きゃー! きゃー! かっ、カッコ良い。出た! 出たわアレン格言!

 たまらないわね。これで日本酒何合いけるかしら。これ以上の肴は他にないわ。


 おっとごめんなさい。取り乱したわ。

 これらの講義、言葉からも彼がいずれ治癒魔法の恩恵に預かれない人間に救いの手を差し伸べようとしていたことは火を見るより明らか。

 アレン魅力語りに熱が入ると言うものよ。


 飢饉を亡くす。種族差別を失くす。遊女の不遇を改善する。

 彼の領域は一体どこまで遠いのかしら。

 現在となってはここぞというときだけ魅せて、残りの日は幼児化(ここでは頭脳的な意味)してくれて本当に良かったと思っているわ。

 きっとアレンもそれを意識してのことなんでしょう。

 なにせ24時間365日、神アレンで接しられたらこちらの身が持たないもの。

 雲泥の差、なんて言葉はまだ生ぬるい。比較することさえ烏滸がましい。


 けれど彼は神じゃない。人間だ。類稀な才覚と人の上に立つ圧倒的なリーダー力。

 それらを持ち合わせておきながら、奴隷たちからは『遊び好きの子ども』だと見られたい願望があるように見受けられる。


 彼は絶対的な支配者になりたいんじゃない。奴隷のみんなと仲良くやりながら、彼らの能力や意欲を尊重した上で、理想を追い求めたいのね。

 一人でできることには限界があると。

 自主性のない強要や強制では成し遂げられないことがあると。

 一丸となって目標に進むことで偉業が果たせると。おそらくこれがアレンの領域。


 いえ、私ごときが彼の存在を推し量ることはできないのだけれど。

 でも彼、私のことをこの修道院No.2って言ってくれたのよね。

 ……えへへ。つまり彼を最も理解し、最も近いところで支えているという意味よね?

 私の頑張りをきちんと認め、評価してくれている。えへへ。いけない。柄にもない乙女みたいな笑みを浮かべてしまいそうになるわ。嬉しすぎるわね。


 私の全て——労力・金・時間(彼が望むなら喜んで子孫だって残すつもりよ)全てを使ってアレンを推すわ。

 そのためにはまず彼を【怠惰】の魔王に就任させることが先決かしら。

 本当は【色欲】の魔王やその幹部が彼と近くなることに思うところもあるわけだけれど、そこは早く慣れなければいけないわね。

 

 嫉妬心で身を焦がしている場合じゃないの。

 私の小さな尽力で彼の望む理想を実現できるなら、それでいいわ。むしろ光栄なことよ。この境地に至れてこそ真のアレン愛好家というもの。

 なによりエルフ、ドワーフ、鬼、アラクネ、妖狐と交流の進行がどう考えても人間離れしているわ。

 いちいち嫉妬しているようじゃ、初動や対処が遅れてしまう恐れもある。煩悩との向き合い方も習得しておかないといけないわね。


 というわけでアレンが巫女装束を贈ったという天狐に意識を戻す。

 彼女たちは舞妓と呼ばれる衣装と巫女装束をすぐに気に入った。

「修道院に遊びに来るときには可能なかぎり着て欲しい」というお願いだったにもかかわらず、彼女たちのフォーマルになっていた。


 九桜のときもそうだったけれど、彼は女の好みに合う衣服を見極めるのもセンスがある。彼女たちの本能を目覚めさせるような衣装を一瞬で見抜く。


 ちなみにアレンは空狐と天狐に舞妓の衣装と巫女装束を渡すより早く、「もしお気に召すようでしたらこちら、どうぞ」と謎の敬語と共に漆黒のドレスを贈ってくれたわ。

 感想? 

 彼の黒子くろこに徹することを誓ったわ。私の礼装よ。最高だわ。


「構わないわ。アレンはああいう人なの。きっとお近づきの印に、ってことでしょう。貴女たちが気にしなくても大丈夫よ」

「そう言っていただけると助かります」

「それにしてもこの舞妓の衣装。いいわぁ。妙にしっくりきます。うち、もうこれ手離されてへんわ。味見してもええの?」

「姉さん!」


 空狐と天狐は姉妹。京美人の空が姉、物腰柔らかな姉気質の天が妹。

 京美人、京言葉というのはアレンから教わったわ。

 で、味見ときたわね。まあ【色欲】の魔王幹部。きっとそういうことでしょう。


 思うところがあるけれど、彼のようないい男にメスが寄ってくるのは仕方がないこと。

 私がどうこう言うことじゃないわ。

「ええ。彼が望むなら構わないわよ」


「……へえ。あんさん気に入ったわ。いい女どす。うちは女もいけるさかい、どうや」

「姉さん! ごめんなさいシルフィさん。恩人の貴女に失礼なことを」

 

 性に奔放な姉とそれを戒める妹。

 ふふ。様式美ね。仲が睦まじくて微笑ましいわ。

「気にしなくていいわ天狐。これから【色欲】の魔王と【怠惰】の魔王の仲になるの。配下である私たちも遠慮していたら友好な関係なんて構築できないもの」


「それを聞いて安心したわぁ。実は九尾の姐さんが彼に直接お礼を伝えたいそうでね。聞くところによれば、なんや、お礼はいらん言うて姿を現さなかったらしいやないの」


 私は痛むこめかみをおさえる。


 アレンは梅毒の一件を、

「本当に褒め称えるべきはシオンだよ。賞賛や感謝の言葉は彼女に伝えてあげて欲しいな。それからシルフィ。彼女にしかるべき報酬を。俺の財布から研究に必要な資金を立て替えてもいいからさ」

 と謙遜して結局影の中から姿を現さなかった。

 さすがに【色欲】の魔王に失礼だと思ったのだけれど、そこは流石上に立つ者。


「次期【怠惰】の魔王はきちんと約束を果たしてくれたでありんす。彼がそこまで言うならあっちはそれでいいでござりんす」と頭を下げて感謝を伝えてくれたわ。


 でも、やっぱり直接会って感謝の気持ちは伝えたいわよね。

 私が逆の立場でもそう思うもの。


「……その節は私たちのご主人様が失礼したわ。ごめんなさい。本当にこの通りよ。ただ彼も悪気があったわけじゃないの。ああいう人なのよ。きっとシオンに花を持たせたかったのだとは思うのだけれど」

 

 誠心誠意頭を下げる。


「あっ、頭を上げてください!」

「そうやそうや。カッコ付けたいのが殿方という生き物やさかい、気にしてへん。ただ姐さんが彼に感謝を伝えたいならうちらも叶えてやりたいんどす。理解しておくれやす」


「ええ、それはもちろん」

「ご無理を申し上げていることは重々承知しております。ですが姉の言う通り、九尾姐さまの願いを叶えてあげたいんです。なんとかなりませんかシルフィさん」


「そうね……その、場所が場所ではあるのだけど——ちょうどドワーフたちが建設中だった温泉という入浴施設が完成するのよ」

「温泉。興味を惹かれるわぁ。この修道院は本当に面白いどす。それも彼の発案なん?」


「ええ、そうよ。彼曰く『裸のお付き合い』というらしいわ。お世話になっている人の背中を流す独特の文化があるそうでね、ちょうど奴隷たちで計画はしていたんだけれど」

「まさかシルフィさん……?」

 と考えていることが読めたのか、天狐が「いいんでしょうか?」とでも言いたげな表情で確認してくる。


「鬼たちの【鬼殺し】——アレン曰く、日本酒と呼ばれるものなのだけれど——を入浴中にお酌して欲しいと言っていたわ」

「それはまた色々とちょうど良いどすなあ」

「でもアレンさんはお礼は不要だとおっしゃられているんですよね? 姐さんと一緒に浸かっていただけるでしょうか?」


 と天狐。私が最も頭を悩ませていたのはそこなのよ。

『裸のお付き合い』と呼ばれる文化は簡単に言うと、お世話になっている人の背中を流し、お礼を直接伝えるもの。

 状況的にはぴったりじゃないかしら。ただ、彼は遊郭での一件を謙遜しているし、そうなると——。


 空狐、天狐と視線が重なり合う。

「騙すしかない/かしら/わけですか/どす」

「——ただ、その、一つだけ注意して欲しいことがあるのよ」

「なんどす」「なんでしょうか」
























「彼、酔うと幼児化してしまうのよ」


 ☆


【アレン】


「シオンー! シオォォォォォォン!」

「どうしたアレン。キミが私の研究所に足を運ぶなんて珍しいじゃないか。どうしたんだい?」

「ペニシリン生産のために海水を錬金術スキルで電気分解したんだよね?」

「うん? ああ、そうだが」

「石鹸を作ろうと思うんだ。石鹸というのはかくかくしかじか(要するに鼻が幸せになる)。ほら、この修道院って女の子が多いでしょ? もしみんな温泉のリラックス効果を感じたら石鹸は必需品になると思ってさ」

「ふむ。それより鼻息が荒いぞアレン」


「化学だからシオンも興味あるでしょ? 石鹸は油脂とアルカリを合成したものでね。界面活性剤と言って汚れを水に分散させることができるんだ。大丈夫。シルフィには事前に許可を取ってエリーたちに【発成実】を発動してもらったから香料も用意しているから」


「いや、人の話を聞きたまえよ。香料の心配などしていなかっただろう」

「ハッカとレモングラスでしょ。それからジャスミン、ラベンダー、バラ。今回は手に入らなかったけどバニラやアーモンド、それから果物も追加しようかなって。えへへ」


「驚いた。研究にしか興味がないこの私が人間に対して初めて恐怖を抱いたかもしれん。とまあ半分冗談として——面白そうだね」


「そうでしょ。脂肪とアルカリをどうやって入手するかが問題だったんだけど、前者は植物性油脂だから解決してたんだけど、後者がなかなか難しくて。でも塩水の電気分解に成功したって聞いてさ。これで水酸化ナトリウム、アルカリは問題なさそうだから。香料は錬金術スキルで抽出してもらえると嬉しいな。あっ、感想はアウラに聞いてみよう。アウラー! アウラー! ちょっと良い? 現在大丈夫かなー⁉︎」


「一つだけいいかアレン。キミのやる気スイッチはどこにあるんだ?」


 えっ? できれば奴隷のみんなに見つけて欲しかったんだけど……まあ、いいっか。

 教えてあげるよ俺のヤる気スイッチの場所。

 それはね——、

















 ——股間さ!


 女神「いやあ! アレンチャンネルがBANされたぁ⁉︎ 登録者数12柱なのに!」


 おいどうすんだおめえ! このあとサービス回の混浴浴衣祭りだぞ⁉︎

 ただでさえ美少女(美人)揃いの修道院がもっと華やかに——いい匂いに包まれる楽園になるんですよ! 見逃していいんですか⁉︎


 女神「オリュンポス十二神さまに抗議して来ますので、温泉回、ちょっと待っててくださいね! 私、アレンさんのあられもない姿見たいんです!」


 よくよく考えたらあんたも相当の変態じゃねえか。ふんっ、まあいい。

 器もアソコも大きいことを証明してやろうではないか。ぶへはははははははははは!!

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