王妃さまのご衣裳係 路傍の花は後宮に咲く

結城かおる/角川文庫 キャラクター文芸





「……はあ、つまらない」

 今朝から数えて十六度めのため息が、ごく若い女官の唇から逃げた。


 世界の中心にあって、天から命をけて地上を統治する天子さまには、幾多の国がぬかずいているが、ここ「りようこく」もそうした国々の一つである。

 すなわち、この国の君主が天子さまに朝貢して「涼王」の称号を与えられ、君臣関係を結んでから既に三百年が経つ。「りんとく」と称する涼国の都には、「せいきゆう」が青いがわらを波のごとく連ねて鎮座し、まさに王の宮城にふさわしいたたずまいを見せている。

 若い女官は嘉靖宮の北側にある後宮のちょうど真ん中、たいせいと呼ばれる大きな池のほとりに腰を下ろし、鯉が餌を期待して寄ってくるのを眺めていた。

 歳の頃は十七ほどで、黒々とつやを帯びた髪と磁器を思わせる白い肌、そしてあいを含んだ大きなひとみを持つ少女だった。お仕着せの女官の服──「じゆ」と呼ばれる丈の短い上着に、腰から下は「くん」と称するを身にまとっているが、襦の赤紫色が彼女の肌を美しく引き立てていた。

「つまらないったら、つまらない」

 まるで彼女の愚痴に賛同するように、もしくは餌を催促してのことか、鯉は口をぱくぱくさせる。

「ごめんね。お前たちが可愛い尾びれを振ってびを売っても、何にも持っていませんですよぅ」

 女官は手にした小石をぽちゃんとみなに放った。同心円状に広がるさざ波の下、鯉たちが鈍い動きで身を翻す。彼女の足元で、名も知らぬ白い花がそよ風に揺れた。

「ああ、お前たちはいいわねえ。私みたいな宮仕えの苦労も知らず、池の中が太平無事で治まっていて……」

りんぎよく! こんなところで何をやっているの? 王妃さまがさっきからあなたをお捜しなのに」

 軽い足音に続いて背後から投げかけられた𠮟責に、「鈴玉」と呼ばれた女官は振り返った。声の主もやはり女官姿の少女で、栗色に近い明るい髪とりんいろの頰をしている。

 鈴玉は同輩のとがめにぷっとむくれ、裙をはたきながら立ち上がった。

「別に怠業じゃないわよ、こうりよう。落とした腕輪を探していただけ」

 彼女は疑いの眼を向ける同輩に背を向け、すたすたと持ち場へ戻っていった。

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