第10話ローマのパン屋さん(4)


───プルプラ、スピーツォイ、セーモの3人は行き倒れになったモーゼル川の河原に座っている。


 それがパン屋で暮らすようになってからの日課になっていたのだ。

 当初辛かったパン屋での仕事だったが、パンこね女たちの愛情でずいぶんと気持ちが軽くなった。


 ペーツォ(天使)たちは河原にやってきても座っているだけで何

もしない。ほとんど口もきくことなく、ただただ川の流れを見ているだけだ。


 パン屋の若い従業員たちに辛く当たられたときも、パンこね女たちに優しくされたときも、自然とこの場所に足が向くのだった。


 川面を見つめながら、ただぼーっとしている。


「デキムスさんに助けられたとき、パン屋にカラがいると思ったんだけどいなかったね?」


 珍しくセーモが口を開いた。

 セーモの言葉にハッと我に返ったプルプラがしばらく考え事をして返答する。


「うん、それにリンコもいないよね」


スピーツォイが続く。


「カラにもリンコにも会いたいよね…」


 3人はまた黙り込んで川を見つめた。

 そして誰が合図をとるでもなく、同時に立ち上がり、パン屋に向かって歩き始めた。



───パン屋に戻ると中庭が何やら騒がしい…


「なんだ、この小汚いのわ!」


「お前に食わせるものはねえぞ!」


「お!?こいつ睨んでやがる!」


 ペーツォ(天使)たちは気になって中庭に向かって走った。


 中庭では従業員の男たちが輪になって騒がしくしている。


 輪の中心に何かがあるようだが、ペーツォたちには見ることができなかったので、さらに進んで近くまで走り寄った。


 プルプラ、スピーツォイ、セーモの3人は視界の邪魔になっていた男たちをかき分けると我が目を疑った。


 そこにいたのは《リンコ》だったからだ。


 リンコは敵意むき出しで周囲の男たちを威嚇している。ヴィヴィパーラにいたときの、あの知的で優しいリンコの面影はすっかり消えていた。

 それでもプルプラ、スピーツォイ、セーモはそれが彼であることを確信していた。


「リンコ!!」


 セーモがそう叫んで走り出し、プルプラとスピーツォイもそれに続いた。


 リンコのほうもペーツォたちに気づいてハッとし、涙を浮かべながらセーモに駆け寄る、


 3人と1匹はピョンピョンと跳ねながら抱きしめ合い涙を流している。


「なんだ、お前たちの猫だったのか…」


 和の中にいたプリニウスがつまらなさそうにつぶやく。


 チビのクリウスと痩せて背の高いルティリウスが意地悪な顔をして言った。


「宿無しのクセに猫なんか飼いやがって…」


「せっかく捕まえて虐めてやろうかと思ってたのに…」


 ルティニウスの言葉を聞いて恐ろしくなったプルプラが小さく震えた声で言う。


「やめて、虐めないで…友達なんだ」


 プルプラの言葉を聞いて周りの男たちはケタケタと笑う。


「猫が友達なのかよ〜!」


「子供みたいな奴らだな」


「宿無し仲間ってヤツか!?」


 中庭の喧騒を聞きつけて店主のデキムスがやって来た。

 プリニウスがデキムスに耳打ちし、事の詳細を伝える。


 クリウスがちゃかした口調で言った。


「デキムスさん、こいつら友達なんだそうですよ。猫と友達だなんて笑っちゃいますよね〜!」


 それを聞いたデキムスが困った面持ちで答えた。


「友達か…たしかに友達は大切にせんといかん。ローマ人は仲間を絶対に見捨てない。このローマ帝国は市民たちの友情で成り立っているんだからな。ただ…」


 デキムスは首の後ろを右の手のひらでさすりながら言葉を続ける。


「ただ、猫はいかんな…猫は。ここはパン屋だからな。ここはローマ市民の胃袋を支えているパン屋なんだよ。もし食中毒でも出したらワシの責任問題になるんだよ…」


 そう言うとデキムスは口を曲げて困り顔をつくりプルプラたちを見つめた。



───その時、リンコがプルプラたち3人から離れて走り出した。 


 プルプラとスピーツォイとセーモが呼びかけたときにはすでにリンコは建物の影に消えた。


それから1分くらい経つとリンコが中庭に戻ってきた。

リンコは口にネズミを咥えていて、デキムスの前にそれを放り投げる。それから今度は反対側の建物に向かって走りまた姿を消した。


そこにいた全ての者は呆気に取られて身動きすらせずにリンコの様子を見守っている。



数十秒経ってリンコが口にネズミを咥えて戻って来て、またデキムスの前に放り投げた。

 そしてまたさっきと同じように、すぐに建物に向かって疾走する。


リンコはこの動きを数回、数十回と早業で続けた。


「おお~!!」


しだいに男たちから歓声が上がり、それは回を重ねるごとに大きくなっていった。



5分もしないうちに、デキムスの前にはネズミの山が出来上がった。ネズミはすでに絶命しておりピクリともしていない。


プルプラが悲しそうな顔をして言った。


「リンコ、なんて酷いことを…ネズミたちが可哀想じゃないか」


スピーツォイは顔をしかめ、セーモは口を押さえて涙目になりながらネズミの死体の山を睨んでいる。


ところが、デキムスはさっきまでとは打って変わった喜びの表情をたたえて芝居がかった仕草で言った。


「おお~なんて凄い猫なんだ!まるで名将ゲルマニクスのようだ!猫はまずいと言ったがこいつは例外だ!パン屋の天敵であるネズミどもをこんな短い時間で捕まえたんだからな。こいつは『猫将軍』だ!」


デキムスはそう言うとリンコに近づいて抱き上げ、天高く掲げて誇らしげに周囲の者たちに披露し讃えた。

 それからリンコを胸に抱きしめて頬ずりをして言った。


「今日からお前はパン屋のネズミ捕り大将だ、守護神なんだよ!腹いっぱい食わせてやるからな!」


 プルプラ・スピーツォイ・セーモの3人の天使たちは、変わってしまったリンコへの驚きと悲しみ、そしてリンコとまた一緒に暮らせるという喜びの感情がごっちゃになっている。


 3人はリンコを称賛する男たちの喧騒とうらはらに、呆然と立ち尽くし沈黙していた。




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