海の呼び声。
海鼠さてらいと。
傷だらけの海
夜の海を眺めていた。
昼間と違って夜のそれは暗い空の色が染み込ませたように、完全に闇に閉ざされていた。闇から放たれ続ける心地よく、どこか寂しい波の音だけが、それが存在している事を雄弁に物語っている。
私は。
ぽつり、と口の端から言葉が漏れた。「私は」この言葉の続きはいつも決まってる。今まで頭の中で何百と問い続けたこの疑問に対し、満足な答えを未だに出せないままでいる。
風が吹いた。強い風だ。そいつは足元の砂を巻き上げ、さらさらと音を立てる。ぶつかってきた風は数瞬体の中に留まり、背中の向こうへと抜けていく。私は吸った息を大きな塊にして吐き出すと、ゆっくりと闇の方へ移動した。歩く度、闇に近づく度、足元がじゃりじゃりと音を立てる。波の音が近くなる。波はまるで呼んでいるようだった。必死に呼んで、呼んで、呼んで。寂しくて泣いているように感じた。
「ねぇ」
気づくと私は、向こうへ語りかけていた。そいつは同じ言葉しか返さないけど、苦しそうに、そして寂しそうに泣いている事は明らかだった。
「私もそっちに行けばいいの?」
波は大きく頷いたような気がした。それに呼応するように小さく頷くと、更に歩みを進める。やがて、足に冷たい感覚が走った。下を向くと、足が闇に浸かっていた。私は巨大な海の穂先で幽霊のようにぼうっと佇んでいる。
このまま闇へ飛び込んだら楽だろうか?
吸い込まれたら良いのだろうか?
いや.......。
「ごめんなさい。私はまだそっちに行けない」
私には.......私にはまだ出来なかった。波はまた、寂しそうに音を立てた。私は冷たい海水から砂浜へ戻ると、ふと空を見上げた。
綺麗だ。沢山の星が空を飾っている。こんな綺麗な場所、やっぱりここでしか見られない。沢山の星達を束ねる様に浮かんだ三日月。その近くに一際大きく、明るいお星様が輝いている。あれがきっと.......。
「.......お母さん」
あれが本当に母の来世なのか、私には分からない。でも、なんとなくそんな気がした。私は首が痛くなり、空を見上げるのを辞めた。
そこで初めて気づいた。落差に。
空はこんなに賑やかなのに.......海は真っ黒。
星空の楽しさも、暗い闇に満ちた海には届かないみたいだ。夜の波の音。きっとこれは、亡くなって波になった人が寂しくて、寒くて、泣いている声なんだ。じゃあもし母が星じゃなくて、波だったとしたら?そしたら私は.......。
「うぅん、ダメ.......」
頭の中に過ぎった暗い考えを振り払う。
私は再び海の近くまで行く。寂しさを訴える声を、叫びを、聞こえないようにして。
そうして屈んで、右手で海を掬った。それを口へと持っていく。塩辛い味が口内に拡がった。母は.......母も、こんな気持ちだったんだろうか。塩辛い涙に塗れて、孤独のまま。
そしたらこの味は.......。
「ごめんなさい」
私じゃこの寂しさを埋められない。
私は、私に出来ることをしよう。
肩にかけたカバンを開ける。数輪のポピーが顔を覗かせた。私はそれを丁寧に取り出すと、そっと海に入れた。
「どうか、安らかに」
私は手を合わせる。
こんな事をしても、かつての私が犯した罪が許される訳じゃない。でも、それでも。
「私もいつか、そちらに行きます」
波がまた、同じ声で泣いた。
海の呼び声。 海鼠さてらいと。 @namako3824
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