第32話

 そして、お祖父様から指示された日目前となってきた。

 さてどうやって、追い出される形を取るか……

 そう思いながら、廊下のガラスを力一杯拭いていたら、不意に黒い影が私の後をよぎった。

 慌てて振り向くと、長い黒髪を後で三つ編みにしたあのペットの少年だか青年がいた。

 足音一つさせない彼に、私はぞくりと背筋が寒くなるのを覚えた。

 そんな私の様子を感じ取ってか、彼はしっ、と自分の口元に指を立てた。

 黒い黒い瞳が、笑っていないといつもより大きく見える。


「お願いがあります」

「お願い?」


 はい、と彼は今度は笑った。

 途端、眠る猫の様に、目が細くなった。


「私そろそろお#暇__いとま__#いたします。ので、ちょっと騒ぎを起こそうかと。ご協力願えれば」

「お暇……?」

「で、あの瓶を階下に下ろしていただきたく」

「……どうして? 貴方あの中に入ってきたんでしょう?」


 それには笑って答えない。


「それに貴方が『お暇』したら、夫人が怒るじゃない?! 八つ当たりとかされたら困るんだけど」

「でも、アリサお嬢様、貴女一つ騒ぎがあった方がいいのではないですか?」


 ぎくり。


「何でそんなこと」


 それにも彼は答えなかった。

 ただ猫の様に笑うのみ。

 背筋がぞっとする。

 何だか、もの凄く怖かった。


「……何をすればいいの」

「下にあの瓶を下ろして、夫人と男爵が揃っている時を見計らってその辺りを通って下さい。そうしたら、貴女があれを壊す様に用意しておきますから」

「用意って」

「ああそれと、瓶を下ろしたい、というのは邪魔だから夫人がそう言っている、でいいですよ。そうできますから」


 では、と言って再び足音一つ立てず、彼は去っていった。

 私は取るものも取りあえず、使用人棟に戻った。

 そしてハルバートに相談し、瓶を下ろしてもらう様に手配した。


「奥様が? アリサ嬢さんに言うんかい?」

「ううん、あのひとが言ってたのよ」

「あのひと?」

「あの――」


 名前一つ知らない、少年だか青年だか判らない、ペットの役割の。


「そんな奴の言うこと、真に受けるんですかい?」

「……ハルバートはわかんないわ、あの時、何かもの凄く、私怖かったんだから……」


 確かに顔色が悪い、とその場に居たメイド達も口々に言った。


「ともかく嬢さんが出てくきっかけ作りにはいいんじゃないかい? まあ、別にそうしたところであたし等は知らないことだ」


 瓶があの二階の廊下には邪魔だ邪魔だ、と言っていたハッティはそう言った。

 了解、とあの時瓶を二階へと運び込んだ男達はうなづいた。 

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