Op.1-21 – Encounter
––––7年前、2016年の8月上旬
「(久しぶりの福岡ね……)」
ロサンゼルスを深夜に発ち、約12時間のフライトで羽田空港へ。入国審査を終えて約1時間半の待ち時間の後に飛行機へと乗り込み、2時間ほどで福岡空港へと到着した。
時刻は現在午前8時20分過ぎ。
パッセンジャー・ボーディング・ブリッジ (PBB) を通過、案内に従って手荷物受取所へと向かう途中に大きな窓から外を眺めてみると既に昇りきった太陽の強い日差しが滑走路を照らし、駐機する多くの飛行機から巨大な影を伸ばす。
ロサンゼルス (LA) の日差しとどちらが強いのだろうか、そう思いながら瀧野は久方ぶりの日本、そして故郷である福岡の容赦なく浴びせられる日光を煩わしそうにしながら目をすぼめる。
LAの気候は年間通して天気が良く、4月~10月にかけてはほとんど雨が降らない。真夏日には35℃まで気温が上昇するものの湿度が低いため日本の夏のように肌がベタつく暑さではなく不快感はあまり感じない。
しかし、乾燥が酷く、その対策には気を遣わなければならない。また、日差しが非常に強く、サングラスに日焼け止め、羽織ものが必須となる。瀧野の肌が白く、潤いも保たれているのは彼女の日々のケアの賜物である。
瀧野は2007年に福岡県立鶴見高等学校を卒業、同年9月からロサンゼルスへ渡り、LMIに入学。ジャズ作曲科を専攻し、2011年に首席で卒業。OPTビザを取得した後、LMI時代の教授たちとの繋がりでゲーム会社やラジオ局、テレビ番組などへの作曲提供や作曲のアシスタントを経験。また、それに並行して演奏活動と数名の生徒にレッスンをして生活していた。
アーティストビザを取得して活動を続けるうちに彼女への評価が高まり、LAを拠点としたマネージメント会社にスカウトされて契約、2014年に『瀧野花ザ・トリオ』でデビュー。翌年には念願だったビッグバンドでの作品を制作し、リリースした。
瀧野は卒業祝いと誕生日祝いを兼ねて一時帰国した2008年の3月以降、日本に戻っておらず、この時の帰国は8年半ぶりとなっていた。これは自分が音楽家として生きていくための基礎をアメリカで築き上げるまで戻らないという強い意志の表れでもあった。
荷物受取所へと
羽田空港の国際線では『Welcome to Japan』という文字を至る所で目にしており、8年以上日本を離れていた自分はもはや外国人と同じ感覚になってしまっている。
LAには7万人以上の日本人が住んでおり、これは在留邦人数では世界の都市で最も多い数字である。瀧野も時折日本人と関わることはあったがそこまで多くなく基本的に日本語を使わない生活に終始していた。また、両親との連絡も次第に減っていき、1年に数回テレビ通話をする程度になっていた。
「(もう博多弁なんて喋れないだろうなぁ……)」
そんなことを考えながらキャロセル (回転式コンベアのこと) に自分の荷物が流れてくるのを待っている間に長らく見ていない博多の街や方言に思いを馳せる。
キャリーバッグを手にした後に預けておいたキーボードを受け取って到着ゲートへと向かう。
「花!」
懐かしい声を聞いてそちらの方へと顔を向けると両親と妹の姿。瀧野は笑顔で手を振りながら3人の元へと駆け寄る。
「元気しよった?」
「何とか元気に暮らしよったよ」
無意識に方言が口を突いたことに驚きながらも8年半ぶりの再会とは思えないほどに会話を自然と交わし、そのまま自宅へと向かって行った。
#####
5日が経って時差ボケに身体が慣れてきた瀧野はハヤマ中井センターにいた。2日後からは予定しているライブのリハーサルが始まる。携帯でスケジュールを確認しながら恩師である折本恭子のレッスンが終わるのを待っていた。
––––ガチャッ
レッスン室の重い防音ドアが開かれる。
「光ちゃんちょっと待ってて」
中からは折本の懐かしい声が聞こえてきた。更に中からは小さい女の子がうだうだ言っている声が聞こえてくる。
「花ちゃん! 久しぶりね〜!」
「先生、お久しぶりです!」
アメリカ生活の長い瀧野は思わず折本に抱きつき、嬉しそうにピョンピョン跳ねる。折本は少し驚きつつも小学校から高校卒業まで見続けた生徒を抱きしめ、少しだけ目を潤ませる。
「先生、レッスン終わるまでまだ20分くらいありますけど大丈夫ですか?」
少し落ち着いた後、掛け時計を見て時間がまだ早いことに気付いた瀧野が折本に尋ねる。
「大丈夫、大丈夫。この時間に呼んだのも花ちゃんに会わせたい子がいたからなの」
折本は笑顔で瀧野に告げ、レッスン室に入るように促す。
懐かしのハヤマ中井センターのレッスン室。8年以上が経った今でも折本のレッスン室は4階のUの部屋。グランドピアノが2台並べられ、生徒と講師がそれぞれ一緒にピアノを弾けるようにされている。
その左側のピアノの鍵盤の上で突っ伏している1人の少女。明らかに疲弊しきっており、そのまま寝そうな勢いである。
「(何だ、この子……)」
後ろの椅子には可愛いらしい猫のキャラクターがプリントされたトートバッグ。譜面台の横にある教本を見るにその中に楽譜を入れてきたのだろう。
「(量多いな……)」
「ほら、光ちゃん、さっき話したお姉さん来たよ」
「む〜」
折本に言われて顔を上げた少女はそのまま後ろを振り向き、瀧野の方を見る。その大きなパッチリとした目には多くの水分をため、その白い頰は少し紅く染まっている。
「(え、泣いてる?)」
折本は生徒を追い込むような指導を決してせず、1人1人に合ったレッスンをする。現に瀧野がLAで行ってきた数人の生徒へのレッスンは折本をモデルにしているほどだ。
瀧野はもう1度ピアノに置かれた大量の楽譜を見た後にぐずついている少女に目をやる。瀧野の頭に一瞬、折本が厳しい指導をしているのではという考えに辿り着く。
「ほら、挨拶なさい」
少女は折本の側に寄って手を掴みながら瀧野を見つめて口を開く。
「初めまして、結城光です」
シャイなのか小さい声で瀧野に名前を告げる。折本にくっ付いている様子から嫌っているどころかすごく懐いている様子である。瀧野は更に不思議がる。
「初めまして、光ちゃん。瀧野花です。よろしくね」
瀧野は一旦、疑問をそっちのけにして自己紹介し、光に笑顔を向ける。光は恥ずかしそうにしながらちょこんと頭を下げる。
「花ちゃん、何か演奏してくれる? この子に聴かせたくて」
「はい、もちろん」
瀧野は折本の問いかけに即答し、鍵盤に手をかける。
「ほら、光ちゃん、お姉さんがピアノ弾いてくれるよ? アメリカで長く活躍するくらい凄いのよ。聴いたら光ちゃんもピアノ弾きたい気分になるよ」
「アメリカ……」
光は「アメリカ」という言葉に反応し、小さい声で復唱した。
瀧野はクスクスと笑いながら椅子に座り、鍵盤に指を置いた。
<用語解説>
・OPTビザ:Optional Practical Training の略。留学生がアメリカの大学を卒業した後、最大1年間まではアメリカに滞在して、専攻と同じ分野の仕事に就いてもよいという制度。
・アーティストビザ:科学、芸術、教育、ビジネス、スポーツ、テレビ、映画などの分野で「卓越した能力を有する」「卓越した業績を残した」者 (アーティストなど) に発給されるビザ。
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