九話 失くさざるもの

 華都はるとは、中庭を真っすぐ進む。

 一人が通れる狭い石畳の左右には短草が生え、それを白い花々が囲む。

 夕陽の下でも花は朱に染まらず、白い輝きを放っている。

 

 そして――どこからか、水の流れる音がした。

 滝も川も見えないが、その音は不思議と清烈にに耳を打つ。



 ――程なくして、北棟に着いた。

 長方形のシンプルな建屋で、屋根にはひさしがあり、下は回廊になっている。

 木の階段を三段登った先には、黒塗りの開き戸と、大きな窓が連なる。

 開き戸の横には――驚いたことに、ドアホンがある。


 突如として現れた現代機器に、華都はるとは驚いた。

 クラシカルな木造建築から、明らかに浮いている。

 

 我が目を疑い、顔を近づけて眺めても――やはりドアホンだ。

 スクエア型の樹脂製のカバーの上部には、丸型レンズ。

 下にはスピーカーと押しボタン。


 つまり――この機器を知る者が、滞在していると言うことだ。

 押したら、誰が応対に出て来るのか――

 

 興味と少しの恐れに駆られつつも、ボタンに指を伸ばす。

 すると――ボタンに触れるより先に、扉が内側に開いた。

 華都はるとは驚き、伸ばした腕が固まる。



「……君が、桜橋くんか」

 扉を開けた青年は、にこやかに微笑んだ。

 声はやや低く、中肉中背で、人当たりが良さそうな雰囲気だ。

 前髪を緩やかにかき上げたツーブロックヘアで、清潔感がある。

 

 ライトブルーの看護師服姿で。『公衆衛生学科 上野まひろ』と記したネームプレートを付けている。


 現代の看護師スタイルに緊張が解け、安堵して挨拶をした。

「こんばんは。あの……僕のことを御存知なのですか?」


「うん。君が見た新聞記事を作成したのは、僕だから」

「えっ」


 意外過ぎる答えに、まじまじと青年を見上げた。

 この人も死者なのか、との疑念が生じる。

 それを払拭するように、青年は扉を大きく開けて華都はるとを招き入れた。


「安心してくれ。僕は生きている人間だ。たまに呼ばれて、ここでアルバイトをしている。方丈さんとは、ちょっとした御縁があって」


「……大学生のかたですか?」

「大学院生だよ。君が例の依頼を引き受けたと聞いて、待ってたんだ」


「はい……」

 華都はるとは、何となく頷いた。

 彼の身上は分からないが、自分と同じ霊能力者なのかも知れない。

 だが、ゆっくり話している隙があるだろうか。

 ここまで来たら、依頼の解決を優先したい。



「それで……長野綾子さんの件ですが」

「ああ。彼女の昔の恋人が、霊界に行く前に間に合って良かった」


 大学院生は、先だって廊下を行く。

「この医療院は、現世への強い執着のために、霊界に進めない魂が留まる場所だ。ほとんどが、この街で亡くなった人たちだと聞いている」


「あの子どもたちも……?」

「東西の棟の人々は、自分の『死』を自覚していない。その状態で療養所から出ても、現世で亡くなった場所に留まり続け、いずれは魂が消滅するらしい。人々が『死』を自覚するまで『治療』を続けるそうだ」


「では、この北棟で過ごしている人たちって……」

「『死』を自覚しつつも、霊界に向かうことを拒否している人々だ。百年も経てば、生前の記憶を失くし、『死』の自覚も消える。その時は、東西の病棟に移される」


「そういうことでしたか……」


 華都はるとは、嘆息が止まらない。

 舟洞彩葉いろはの「末期の病の人々が入院している」の言葉は真実ではなかった。

 だが、彼女はそう信じているに違いない。

 彼女もまた――亡き婚約者への想いゆえに、霊界に行けないのだと理解する。

 彼女自身が、入院患者なのだ。

 だが、彼女は生前の記憶を持っている――



 大学院生は、舟洞彩葉いろはのことを知っているのだろうか。

 訊ねようかと思った時に、彼はある扉の前で足を止めた。

 『十二号室 長野綾子』と書かれたプレートが掛かっている。

 彼は、プレートに手を当てて説明する。


「だが、チャンスがある。一度だけ、現世にメッセージを送ることが出来るんだ。長野さんは、昔の恋人が亡くなったことを知り、そのチャンスを使った。彼女の恋人の魂は、まだ生前に住んでいた家に留まっているだろう」


「分かりました。やります!」

 決意を込め、名前のプレートを見つめる。


 自分の力が役に立つ。

 長野綾子さんの恋人の家が分かれば、霊道レイドウを開けられるだろう。


 扉を軽く叩き、長野綾子さんに呼び掛けた。

「こんばんは。あなたのメッセージを読んだ者です。入ってもよろしいですか?」


 すると――か細いが答えが返って来た。

 その声は、歓喜に震えていた。



  ――続く。

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