七話 灯火のある場所

 ――舟洞彩葉いろはの切々とした声は、果てないもやに吸い込まれる。


「浩二郎さまは、大学予科の学生でした。深夜に、浩二郎さまの住まいだった下宿館から火が出て……浩二郎さま以外の方は無事でした。浩二郎さまだけが……見つかりませんでした」


 舟洞彩葉いろはは、風呂敷包みから書物を取り出した。

 無地の表紙の左上に『万葉集』と縦書きで記されている。

 彼女は愛おしそうに――そこに挟んだ写真を取り出した。

 

 学生帽を被り、詰襟の白シャツに黒っぽい小袖を着た少年の白黒写真だ。

 自分と大差ない年齢に見える。

 口を真一文字に結んでいるが、明るい眼差しから、陽気な性格が伺える。

 これがコスプレ写真でなければ、ずっと昔の男子学生であることは間違いない。



「この方が浩二郎さん……?」

「……十七歳になったばかりでした……」


 舟洞彩葉いろはは、右目を拭う。

「私は、浩二郎さまが生きていると信じています。ご遺体が見つからなかったのですから、どこかできっと……」


「……そうですね」

 華都はるとが頷くと、舟洞彩葉いろはは嬉しそうに微笑んだ。

 宝物の扱いで、写真をそっと書物に挟む。

 その白い指は、とても細くて――華都はるとは目を逸らした。

 

 

 いつしか、道端にはガス灯が並んでいる。

 修学旅行先の小樽で見たことがあるが、それとは違う。

 石灯籠の上に、ランプシェードが乗った変わった形だ。


 華都はるとは、パーカーの下に吊るしたスマホに触れた。

 コソッと体を捻って『ガス灯』を検索してみようとしたが――止めた。


 ここが『異界』であることは、疑いの余地がない。

 こんな所まで、電波が届いている筈がない。

 前方の車夫の編笠、ガス灯、舟洞彩葉いろはの古風な髪型と物言い。

 そして、婚約者の服装。


 百年前にタイムスリップしたとしても、驚かない。

 大家の方丈凛々子は、「初心者向けの依頼だ」と言ったので引き受けた。

 なのに、いきなり『異界』に飛ばされるとは難儀なことだ、と苦笑いする。

 

 だが、不思議と後悔はない。

 馬車の揺れは心地良く、まるで心音と一体化したように動いている――。

 



「……着きましたわ」

 舟洞彩葉いろはが告げ、華都はるとは前方を凝視した。


 すると、馬車の前に鉄格子の門が現れた。

 蔦が絡みついた門で、それは自然と左右に開く。


 もやは掻き消されるように晴れ――茜色の空が出現した。

 薄い雲の端は紫がかっていて、絵画のように美しい夕空だ。


 舗装されていない道は広く、左右には草原が広がっている。

 トンボが飛び、カラスの群れが山に帰って行く。

 童謡の『赤とんぼ』や『七つの子』を思い起こさせる情景だ。


 その先には、洋館が見える。

 平屋だが天井は高そうで、三角を描く屋根は瓦ぶきだ。

 いくつかの棟が渡り廊下で繋がっているらしい。


 馬車は、大きな棟の玄関前で停まった。

 玄関上部には『院療医』の木製看板が掲げられている。


(ああ……昔だから、右から読むのか)

 華都はるとは立ち上がり、馬車の座席から軽快に飛び降りた。

 馬車の右側にはステップがないが、五十センチ程度の高さなので平気だ。

 

 反対側に回り、再び舟洞彩葉いろはの降車を手助けする。

 彼女は、もう泣いてはいなかった。


 二人が降りると、馬車はすみやかに去った。

 華都はるとは、空を仰ぐ。


 先ほどと同じように、カラスの群れが山に向かっている。

 まるで、映像をリピートしているかのように――。


 舟洞彩葉いろはは、そんな華都はるとの疑念には気付かずに話しかけてくる。


「私、勤め先の病院の院長さまに、凛々子さの長屋を紹介されましたの」 

「……ああ、黄泉比良よみひら荘のことですね」


「院長さまは、凛々子さまのお父上なのです。そして凛々子さまに、この療養所で働かないかと誘われました。今では、ここで過ごす時間が生きがいです」


 その時、玄関の戸が開いた。

 中から、三人の着物姿の子どもが走り来た。


彩葉いろはおねえさん、今日も本を読んで!」

「あたし、『ねずみの嫁入り』がいい!」

「ぼくは『桃太郎』!」


「はいはい。お着換えが済むまで待っててね」

 舟洞彩葉いろはは腰を折って、子どもたちの背を撫でる。


 その温かな様子に当てられ――華都はるとは思わず、「それまでは、僕がこの子たちの相手をします」と言ってしまった。

 

 人付き合いが苦手なのに何てことを――と後悔したが遅い。

 子どもたちが、華都はるとの腰に抱き付くのに三秒とかからなかった。



 ――続く。

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