第32話 対峙
……ったく、この森はいつまで続くんだ。
……分かっていたことなんだけど。
リウォンと村で分かれてから約一日、私はまだ人界と魔界を繋ぐ森“迷い森”の中を走っている。
王都までは行ったことないが聞いた限りだとそろそろリウォンは辿り着いていてもおかしくはない。
……急がないと。
王国の進軍を止めたとしても魔王軍の進軍が開始してしまえばむしろ状況は悪化してしまう。
とは言いつつ、ここはどこだ?
急がないといけないのはわかっている。
わかっているんだけど、こう迷っている今の状態では急ごうにも急ぎようがない。
流石は迷い森と呼ばれるだけはある。
元は魔族、いや魔族なんて関係ない。
魔族、魔物でも人間界に辿り着くのは稀だから。
この森は定期的に木々の配置が変化する、
つまり、道が変化する。
例えるなら生きている迷路だ。
魔族、人族に関わらずに迷わせる。
深くまで立ち入らなければ普通の森と変わりないが、魔界まで抜けるのであれば話は別だ。
単純に直線距離では魔界まで数時間走れば辿り着ける。
しかし、現に数ヶ月も迷い続けた人もいる。
どこ情報だって?
村長だ。
実体験らしい。
だが、アーエルグ村にとってはこの森が魔界との防波堤になっていることには間違いない。
このような森でなければ魔族や魔物が人界に雪崩れ込んでいるだろう。
魔王軍や王国軍の侵攻路に迷い森が入っていないのはこの迷路のおかげだ。
現在進行形で迷っている私からすれば皮肉なことだけど。
しかし、この森に守られているアーエルグ村を住処としているからにはあまり文句は言えない。
!?
走っている最中、急に殺気を感じた。
明確な、ただ殺すための殺意ではなく獲物を見つけたような、そんな視線だ。
またか。
その方向に目を合わせもせず魔剣を取り出し振り抜く。
足下には狼の首が落ちる。
何の種だったか、忘れたけど魔物には間違いない。
やっぱり多いな。
迷い森の深部は魔物の巣窟だ。
さっきから何回襲われているか。
しかし、深部に踏み入れた当初に比べれば襲ってくる頻度は減っている。
ようやく、私の力に気が付いたらしい。
しかし、気付いたからといって狙わないわけではない。
さっきの奴のように襲いかかってくるのは実力の差が理解できないほどの勘がないやつか命知らずぐらいだ。
利口な奴は私が疲弊したところを狙って息を潜めている。
キリがないな。
目算ではそろそろ感じるはずなんだけど。
そもそも私は迷い森を抜けることを考えていない。
さっきも言ったように魔界まで抜けるまでかかる時間は運の要素が大きい。
こんな緊急事態にそれに賭けるほど私は勝負師ではない。
木を切り飛ばして道を開いていけばいいと考えるだろうがそれにも問題がある。
森の深部の木は成長速度が速い。
切り飛ばしてもすぐに切口から伸びてくる。
それは魔界に近づくほど顕著に表れ、王国側だと遅くなる。
それでも王国では最も成長が早い木だと思うが。
この木のおかげでアーエルグ村は木材が豊富に取れ、財源となっている。
コホン、話は逸れたが、つまり迷い森を抜ける手段は殆ど運頼みということだ。
だが、私は別だ。
……深淵を使わないと、ちっ邪魔!!
また、魔物が襲いかかってきた。
本当に馬鹿が多い。
今でも襲ってくる奴は知能がなく本能で動いているから期待するのも無駄なんだけど。
……コホン、私にはこの森を手っ取り早く抜ける手段がある。
深淵を使わないといけないから今の私には身体の負担は大きいけど、緊急事態だから四の五の言ってられない。
使ってしまったら時間との勝負。
私の場合、深淵を使えば魔人化してしまう。
唯一、それを防ぐ方法はリウォンの治癒魔法だ。
だけど、この場にはリウォンはいない。
もちろん、村の出立前に魔人化に関してはリウォンと話し合った。
だけど、驚いたことにリウォンはもしそうなったとしても仕方ないと言った。
リウォンも魔族だ、人族だ、と気にしなくなったようだ。
そうなったとしても私たちには居場所があるからと。
それよりも危険視しているのは魔人化する際の拒絶反応だ。
確かに黒く染まっている間は身体に熱が籠もって頭痛もする。
完全に染まりきるギリギリまで試したことがないから身体が耐えきれるのか分からない。
もし耐えきれなかった場合はどうなるのか。
リウォンからはたとえ人族じゃなくなってもいいから生きて返ってこいと言われている。
もし死んだら、さらに殺されそうなのでそれだけは避けなければならない。
まとめると、深淵使ってからがスピード勝負。
使って、すぐに全てを終わらして、リウォンの下に急ぎ、治して貰う。
多用しなければ魔人化の侵食も遅くなるだろう。
……戦闘で深淵を使わないと考えるのは楽観的か。
戦う前提になっているが、間違いなくそうなると私は確信している。
これは人族とは感覚が違うからな。
意見が合わなかったとき、魔族は言葉ではなく殆どどちらが強いかで決まるからな。
……捉えた!!
いや、これはテヴェレじゃなく、アルカードの魔力?
あいつもう森を抜けたのか。
運が良いのか、実は私が知らない抜け道があるのか、分からないけどこの際どちらでもいい。
とにかく急いだ方が良いだろう。
同時にアルカードの魔力の他に元々探していたテヴェレの魔力も感じた。
二人は戦っているのか?
どうやら交渉決裂したようだ。
アルカードがまともな交渉したと思えないが。
いや、交渉したかすら怪しい。
ちょっと待って……嘘。
アルカードの魔力は著しく減少しているがテヴェレの魔力は変わらない。
しかも私が知っているときと比較にならないほど増大している。
どういうこと……いや、今は二人の下に向かうべきだ。
俺の深淵の力は空間魔法を進化させた次元魔法。
“
私はその場に立ち止まり大きく魔剣を振った。
剣の軌跡に罅が入り、徐々にその罅が大きくなり始める。
しばらく経つと大きく輝きを放ち、目の前には私の身体がちょうど入る大きさの裂け目が出現した。
その中はキラキラと虹色に光っている。
これが“次元移動”。
魔力感知で捉えた者まで通ずる裂け目を作り出す魔法だ。
クリストルとエメラを探すときも使えるには使えたのだが深淵という問題の他に大きな問題がまだある。
対象の魔力を感知しないと発動できない点だ。
魔力が大きかったクリストルだがそれでも人間にしては大きいというだけで感知できるまである程度近づかなければならない。
あのときなら“次元移動”を使うよりも走った方が早かった。
これに関してはこの森からでも感知できる魔力量を持つテヴェレとアルカードに称賛を送るべきだろう。
私はすぐにその裂け目に足を踏み入れた。
視界は一転しすぐに見慣れた、いや大分様変わりした光景が目に入った。
見慣れたのは魔界の風景、様変わりしたのは魔王城の姿だ。
姿と言っても私が出てきたところは魔王城の中の謁見の間だったので驚いたのは内装だ。
どうやら現魔王殿の好みになっているようだ。
それなりの装飾が施されておりキラキラしている。
そんな煌びやかな壁や大理石の床には罅が入り欠けている箇所が見られる。
ブゥンという音と共に私が通ってきた裂け目は消えた。
「アリシア……」
目を後ろに向けると左手を右手で押さえているアルカードが立っている。
傷はまさに今押さえている左手からの出血が酷いが、それ以外はまだ軽傷と言える。
それよりもアルカードがかなり疲弊しているほうに私は驚いた。
肩で息をしており、もしかすると視界もぼやけているのではないか?
周囲を見渡すと多数の魔族が倒れていた。
その誰もが干からびてとても元はヒトであったなんて思えない程薄っぺらい。
アルカードが吸血魔法で周囲の魔族を供給源として戦っていたのだろう。
この吸血魔法があるからこそアルカードは一対一よりも多対一の方が得意な盤面だ。
しかし、結果は劣勢。
負傷ならまだ分かる、が疲労困憊は異常。
そんなアルカードを見るのはもしかすると初めてかもしれない。
私はようやく視線を前に動かしてそこに立つ初老の男を捉えた。
「テヴェレ」
テヴェレ・サーター
元魔王軍参謀にして現魔王。
そして、私の親代わりだった男だ。
背中まで伸びた白髪に細長い耳が特徴だ。
今まで付けていた眼鏡は戦闘の最中に落としたのか、今は付けていない。
服装は昔の黒の怪しげなローブ姿ではなく如何にもといった高級そうな衣服を身に纏っている。
「人間の女……この圧迫感、まさか勇者? どこから現われた? ……まぁいい、それよりもまさか、生きていたとはな。魔王め、まさか相打ちにもできんとは。だが、分からん。なぜ、その吸血鬼を庇う」
……死んだと思っていた。
本当に、生きていた。
お世辞にもこの人の育て方に優しさなんてなかった。
だけど、これでも親だ。
生きていたことに何も感じないほど私は薄情ではない。
しかし、敵として立っている皮肉。
私情は挟まない。
敵であるならばそのように対応する。
「時代は変わる。魔族と人族が争う日々は終わる。手と手を取り合うまでにはまだ時間が掛かるがその兆しがようやく見えてきたところに水を差すな」
「手と手を取り合うか……同じ事をアルカードも言っていたな。馬鹿馬鹿しい。ちょうどいい、教えてやろう」
この言葉は私と言うよりもアルカードに対して言っているように見える。
「元々、私は魔王として君臨したかった。しかし、私にはその才はなかった。だが、あるとき拾った私と同じ魔人族の子どもにはその才があった。私は私の望みをその子どもに託すことにした」
……私のことだ。
テヴェレはさらに狂気染みた笑みを浮かべてペラペラと喋り始める。
聞く必要などなかった。
深淵を使った代償で身体が黒に染まり始めているため早急に決着をつける必要がある。
だけど、足が動かなかった。
テヴェレが何を考えているのか、考えていたのかを聞きたい、知りたいと身体が心が思っている。
「だが、奴は魔王にしては甘すぎた。人界の侵攻を考えてもいなかった。戦えない魔界の民を気遣って、むしろ時が経てば人界と国交を結ぼうと考えていたぐらいだ。そんなもの魔王ではない。魔王とは唯一無二の王。世界を統べようとする野心がない者にその資格はない。そんなとき私にお告げが来た」
「お告げ?」
「ああ、お告げだ。人族が魔界を攻めようとしていると、そして魔界と人界を塞ぐ山脈に大穴を開けるようにと。そのお告げは私に力を与えてくれた。そして、魔界は再び戦場となり魔王は消えてくれた」
魔王が消え……それを願っていた?
「魔王が強いことは分かっていた。人族のある奴に私の魔法を込めた杖を渡しておいて正解だった。しかし、何をしたか知らんが奇跡的にお前は生きていたようだが」
まさか、その杖ってリウォンが持っていた自爆魔法“
全て、全てテヴェレが……?
思っていた真実を超えた真実だった。
「な、なぜ、親だったんだろ!! あいつの!!」
「アルカード、そんなに不思議なことか? だが、考えてみろ。奴が死ねば魔王の座が空く。その座に親代わりだった私が座って何の問題がある? それに魔王となれるほどの力を私は手に入れた」
「ぐっ……」
「そして、ようやく私の悲願だった魔王になれた」
酷薄な笑みを浮かべるテヴェレ。
「分かったか。この世に王は私だけだ。他の王などいらん」
話が通じない。
それにしても、私を消してでも魔王になりたかったのか。
私を思って厳しく育ててくれたと思っていたけど……そうか。
「アルカード、話は無駄のようだ……それと後で説教だからな」
「アリシア、お前は戦っちゃ……!? その顔」
私が振り返るとアルカードは目を見開いた。
どうやら黒の侵食が顔にまで現われていたようだ。
気が付くと、鼓動が速まっており体温も熱い。
立ち話をし過ぎたか。
「結局、俺のせいで使わせてしまったか」
「気にするな。どのみち使っていた。お前は休んでいてくれ。すぐに終わらせる」
「無茶だ。あいつの魔力量は桁違いに上がっている。俺でも吸いきれなかった」
私は声を潜めて言う。
「私……俺は魔王として最後の仕事をやりにきた。邪魔してくれるな。まぁ、見ておけ」
私はテヴェレと対峙する。
手に魔剣を出現させる。
「それは、魔剣。戦利品か。それにその顔の黒ずみは何だ。魔剣にそんな力が?」
黒ずみに関しては私にとってダメージの証なのだが勝手に勘違いしてくれる分には結構。
アルカードをここまで疲弊した脅威は侮ることはできない。
初めから魔力を全開にする。
確実にここで仕留める!
私は地面を蹴った。
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