第7話
昼夜問わず奔り回るのが仕事だった。犯罪の匂いを嗅ぎつけドブネズミの様に漁って回る。それが仕事だった。
人一人が追える犯罪などたかが知れている。しかしそんな常識を当て嵌めるのはこの二人には烏滸がましいと言えた。
その手の人間にはよく知られた人間でありこの二つの呼び名は、本名など忘れ去られても轟き続けた。
地獄から地獄を渡り歩き、地獄としか表現できないその中で口笛を吹いて通し過ぎるある種の自然災害にも似た暴力装置。
人が人として生きる中で一体どれだけの死に向き合うだろうか。両親二人の死、兄弟がいるならそれらの死、祖父祖母の死と親類の死、多く数えたところで十数人がいい所だろうが、彼らの見てきた死人の数々は彼ら自身ももう数えるのが億劫になるほど多すぎて、数えるのが馬鹿らしくもう数えていなかった。
人は死人を見過ぎると感性が死ぬ。二人の共通意見であり、他人を死に追いやる仕事ばかりしていると必然的に、『得』する方を選んでいたから純粋な損得勘定、徹底した利益主義で固められた理論武装で向かう所敵なしの正しく文字通りの『人でなし』だった。
そんな二人が、とあるバビロンのスラムで暴力を振るうなど、至極当然で締め上げられていた男がくぐもった痛みの呻き声を上げていたが、スティンガーの容赦のない拳骨がその男の頬を撃ち抜いた。
「次はどこがいい。どうせ痛みは感じていないんだろう?」
バッキと痛々しい音が響き、完全に頬骨を砕いているであろう音がしていた。
モッキンバードの茶目っ気たっぷりな悪戯顔にそれの残酷さが滲み出ていた。バーナーで炙った鉄の棒に、ナイフ、鞭、人一人が思いつくであろう痛みを与える数々の道具を広げて笑っていた。
「ねえねえ、痛くないなら次これで行こうよ」
目に余るの惨憺たる光景にただでさえ治安の悪い地区でありながら、警察なども寄り付かないし頼りにもしない住民たちがスマートで110番の通報を行いそうだったが、スティンガーの人を射抜くような眼で皆々が見てはいけないモノを見たように素知らぬ顔をして逃げていく。
「貴様の玉を切り取って口に入れてやろうか。それとも乳首を焼き千切るか? ケツに相棒の焼きごてでファックしてやろうか」
「ふざけんなぁ──なんで、……なにもしちゃいない。ほんとうだ、何もしちゃいない」
「そうだろうな。してないだろう、ジキル。これはただの憂さ晴らしだからな」
スティンガーの悪びれない言い方に、ジキルを掴み上げている手を放した。
ドサッと倒れ込むジキルにスティンガーは袖に入れていた小瓶を投げて渡した。本来はジキルの物なのだが、この『憂さ晴らし』の為に取り上げられていた。意味のない暴力、理不尽な苛虐だ。
その小瓶の中身はバイコディン。麻薬性鎮痛薬で立派な麻薬であり、それをむしゃぶりつくように手に取ったジキルがバイコディンパウダーを呑んでいた。
この男、ヘンリー・“ジキル”・スタントンは経歴を辿れば立派なアメリカ合衆国のDARPA、国防高等研究計画局の高等研究員だったが、彼がここまで落ちぶれてバイコディン中毒者となっていたのは偏に、倫理観の欠如からだった。
新カルタヘナ議定書、またの名を『エンハンスド・アート法』の著しい違反行為からだった。この男の転落の人生のあらましをまず話し出した方が、理解は早いだろう。
22世紀初頭、人類史に措いて繁栄は頂点とも言える発展を遂げていた。
第二次ルネサンス期とそう呼ばれた繁栄はあらゆる技術、商業、娯楽、軍事が進化した。AI技術も勿論の事、最も著しく目覚ましい進化を遂げたのは、医療だった。
国際医療法第5201号令、先天的遺伝疾患によるヒトゲノム編集を認可する。
この国際法令は人間から『欠陥』を取り除くことに成功した。色弱や、 色素失調症、ヤング・シンプソン症候群、ウィーバー症候群。ウイルス疾患系の病以外この世から病気と言えるものは消滅した。
その結果行きついたのが、遺伝子の『拡張』だ。
初めに起こった遺伝子拡張のブームは『美容』を目的としたゲノム編集が始まった。肌のシミを消し白くしたい、髪をナチュラルなブロンドにしたい、瞳孔の色をブルーにしたい。そう言った美容の究極の極致が、今では違法になった累積RNA転写エラー除去とテロメア・メビウス術式による実質的な『不老化』だった。
次に起こったブームは、ヒトゲノム以外の因子を自らに書き加えるというモノだった。例えば、とある者は猫耳が欲しいから聴覚類を取り払い頭部に猫の耳を生やし丸っとそちらに聴覚器機能を移植する事や、とある者は身体改造で覇王を目指す為両手の指の本数を計十二本に増やしかつそれを動かせる運動神経細胞を移植し眼は重瞳へ改造され世の覇王と呼ばれた要素をすべて手に入れていた。他にも男性女性の両性器を同時に移植しその二つとも機能している者もいた。
それはもうファッションのように、刺青やピアスと同じ要領で行われた遺伝子拡張の悍ましい歴史の数々、そんな中、やはり肉体を無限の可能性で改良できるならとイタリアのシンクタンクが最悪の『拡張』を行った。
それは──致死性ウイルス細菌のホストを生み出した事だった。致死性を突き詰めたそのホスト、その血液はフグも即死してしまうほど衝撃的で、唾液はコモドオオトカゲも驚きの殺人バクテリアのコロニーという歩く毒物博覧会を生み出され、それが世の何処かに未だに潜伏していると言う事だった。
この報告を受けた国連はスティンガーたちが所属する組織、
そんな中でだ、この男、ヘンリー・“ジキル”・スタントンがやらかした。DARPA研究室で雌のチンパンジーの卵子に人間の遺伝子を掛け合わせた所謂『ヒューマンジー』を生み出したのだ。無論その研究は即時停止、研究チームは解体がなされ、ヒューマンジーは殺処分されジキルは国際法違反の主犯でアメリカ合衆国を逃げるようにこのバビロン市に逃げ込んで身を潜めていた。
だが、そんな子供のかくれんぼじゃあるまいし、スティンガーにはこいつの居場所はどこに居ようとも知っていて、逃げ切る事など不可能なのだった。
「どこに隠れ潜もうとお前の薄汚い匂いは地球の裏側まで香ってくる。ジキル、えらくご機嫌なだなあ」
ショルダーホルスターから
「いてええええぇっ!」
その傷口が見る見るうちに塞がっていく。まるで映像を逆再生しているようなそんな表現が適切な傷の修復のされ方。アウトだ。
「お前、生命倫理の冒涜を今もしているな。ヒューマンジーを作り出しただけでは飽き足らず、今度は自分が実験体か? ええ?」
「僕の体だ。僕のモノだ、僕がどう扱おうと僕の勝手だ!」
「そうは問屋が卸さねえ、立派な犯罪だジキル。行っとくか、
「ひいっ!」
「あはっ! あそこいいよねえ。まるで見世物小屋」
手を叩いてモッキンバードはグレート・スキン国際刑務所に行きたい行きたいと大喜びしているが、スティンガーは遠慮願いたいと思っていた。
あそこは、気持ちが悪い。ただでさえエンハンスド・アート法違反者がぶち込まれる刑務所ということだけあって、中に居るのは人の形を止めている受刑者は殆どいない。腕が六本あったり、首が異様に伸びたり縮んだり、脳味噌を腹に移植して空っぽになった頭を披露している奴だっている。
そいつらを見ていると吐き気がしてくる、そうなる事を望んでいるように自分の置かれた不幸にも気づきもしない化け物たちの巣窟がグレート・スキン国際刑務所で、有り体に言えば地獄だ。シュールで穏やかな、そう、尋常ではない程に不気味な穏やかさに支配された地獄。
「ぼ、僕をあんなとこにぶち込みに来たのか、お、お前は」
「ふっ、そうしてやりたいがな。こっちもお前のケツ追い回すほど暇じゃないんだ」
「じゃあなんで僕の所に来たんだよ! もうヒューマンジーも作ってない!」
「おめえはどこ行っても御縄になるんだ。どこ行ってもどぶ攫いのようなゴミムシなら俺達の飼い犬の方が生きやすい、だろ」
「ふっ、ふざけんな。お、お前らは気晴らしに僕を殴るだろ! 犯人逮捕できなきゃ僕を殴って、雨が降れば僕を殴って、道端に落ちてるガムを踏んだって僕を殴る。いい事なしだ!」
再度スティンガーはジキルの胸倉を掴み上げた。
「少なくともエンハンスド・アート法違反者のお前はどこに行ってもあのゴミ捨て場にぶち込まれる、CIAにICPO、FBIにSIS、世界中の警察機構がお前を狙ってる。──お前は感謝すべきだ。俺達がこんなに優し尋問で体の再生するお前を肉ダルマにして吊し上げてないんだからな」
「今からする気だろそれ!」
カサカサという耳障りな、不快感を煽られる音と共にそれは現れた。
スティンガーのボロボロの作務衣を這い上って肩に乗る『虫』。虫と形容するにはあまりにも肉々しく、そして大きい。この虫を形容するのなら映画『エイリアン』に登場するフェイスハガーのような、そんな見た目。
唯一違う点と言えば、それが手乗りサイズで、足の先端に棘が生えている事だった。
「何だよ……その気持ち悪い虫──僕に食べさせる気か!」
「バカ言え、可愛い可愛い俺の『武器』だ。コイツの棘は刺されるとチクッとするがフルーティーな痛みだ。一瞬でお陀仏できる……こいつに撃ち抜かれたくなったら、四の五の言わず俺達の飼い犬になりやがれ」
「ここでお前は俺達に飼われる、遺伝子工学顧問としてな」
「それ、って。し、仕事くれるって事?」
「ここで一生ごみを漁りたいなら、あの世に送ってやらんでもない。答えは? yesか、ハイか」
「一択ってことね……まあ、ここで虫みたいに生きるよりかはいいかも……」
ジキルは恐る恐るトレーラーに入り、薄汚い服の上から白衣を着て、ハードディスクのデータを調べ始めた。
その様子に、モッキンバードはどこか不満そうだった。
「大将。アイツホントに大丈夫?」
「腕は確かだ、類人猿と人間の遺伝子の僅かな差を埋め『ヒューマンジー』なんて
「
「その前に『セブン』は発売される。あの企業は裏での闇取引の噂もある」
「どこと?」
「ノヴァアクロン通運。元ロシア系の運送業者で、今ユーラシア鉄道線の30%の割合を占める大手企業だ」
「じゃあ──」
「間違いなく、ノヴァアクロン通運が運び屋になる手筈になっている筈だ。バビロン市の『セブン』認可まで時間が無い」
「旦那も強引になったねえ。こういった連中すぐに遊園地にぶち込むのに」
「腐れ縁だと言っただろう。俺もお前もエンハンサー手術のベースを作ったのはコイツの術式があったからだ」
モッキンバードは目を丸くして驚いていた。
「おっどろき、たまげた。じゃあこいつは俺らの生みの親って訳だ」
人でなしの二人組。
この二人の『能力』を生み出したのはこのジキルの遺伝子拡張術式がベースになっていて、そのせいでよりエンハンスド・アート法の扱いが面倒な事になっている。
ヒトの体に、ヒト以外の能力など過ぎて物を付け加えるなど、正気の沙汰ではない。
「今回の事件はかなり匂う」
「何が?」
「バビロン市検察が捜査して尚その研究データに薬機法の不正なしとする意味が分からない。バビロン特区市議会が噛んでいるかもしれない」
「ふはっ! ──いいね。突拍子無さ過ぎて現実味がない当たりが
「笑い事ではないぞ。バビロン市は言うなればエンハンサーの伏魔殿だ。一体どんな違反遺伝子拡張者が潜んでいるかわからん」
「ダークタウンの遊園地。グレート・スキン国際刑務所がランドなら、こっちはシーって訳だ」
「危ない表現だな」
「危ない事は慣れっこでしょ?」
二人はジキルのデータ解析を睨みつけるようにして、スマートのタイマーを表示する。あと三日。
『セブン』が一般に発売されるまでのリミットだった。
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