第6話

 暗く、湿っぽい。薄暗がりの電灯に照らされたそこで検死台の上に転がる一体の死体を二人は睨んでいた。

 皮肉屋スティンガー大嘘吐きモッキンバードの二人組の今日の役職は警察官だった。バビロン特区市の市警としてこの死体安置所モルグに入り込んだのは、この死体の検査の為だった。一連の新型向精神薬『セブン』の臨床試験データの不正疑惑、その最重要参考人だった男が、死んだ。

 皮膚はズルズルに向け、もがき苦しんで血を吐いて死んだのだろか。検視官の死因の鑑定では『高濃度放射線被爆による多臓器不全及び放射線被爆による即死』と書かれていた。死体にしては腐臭もない、当然だった高濃度被爆と言う事は腐敗菌も一緒に滅菌されることに他ならず、今までに見たどの死体よりも匂いが無かった。

 二人はその男の死に顔を覗き込むように見て、モッキンバードはポツリと言った。


「幸せそうな死に顔だねぇ」


死体蘇生イレーシング・デスは出来そうか?」


「無理言いなさんな。死後二十時間以上経ってる。出来たとしても細胞はズタズタ、復活しても血反吐を吐いてまたあの世に行くだけさね。脳味噌取り出したって、違法の違の字も出やしないさ。最悪の死体のコンディションだ」


 モッキンバードが鉗子を手に取って死体の片手にぶすッと突き刺すと抵抗なくそれは刺さり、ゼリーかゲル状プディングのように柔らかく変質したそれをグチャグチャに搔き回して見せる。

 偏に死体の細胞結合が高濃度放射線で緩くなっているようで、遊びたい放題だ。

 二重の意味で使い見どころのない死体だ。重要な臨床試験の不正を働いた証人が死んだとなると、この事態を収めるのは強引な手段が必要になってくる。それこそ強制捜査ショットのような強い捜査が必要だった。


医療薬品局トニックウォーターに強制捜査を申請するか」


「もう、オールド・ファッションたちがやってるさ、今朝息巻いて行ってたよぉ」


「手際が良いな」


国連治安統治監視機構俺達の数少ない仕事だからね。窓際組織の数少ない仕事だ。手柄が欲しいんだろうよ」


古臭い制服組オールド・ファッションに期待だな」


 まるで自分たちが何処にでも通じる服オールド・ファッションを着てないかのような言い方。それもその筈で、スティンガーもモッキンバードも国連治安統治監視機構UNSGM.支給の制服など着ておらず、モッキンバードの下はチェック柄のネオモードパンツ、上は目玉柄のロングパーカーを着ていた。

 スティンガーに至っては継ぎ接ぎだらけの作務衣姿であり、赤道よりも北極に近いバビロン市では季節感が壊れていた。

 当然、UNSGM.の中でも彼らは浮いた存在であり、彼らのやり方は形式を踏んで行く組織捜査方針から過分に逸脱した方法を率先して選び取っている。大なり小なりそれは問題であり、そして功績にもなっていた。

 マリンブルー・クラウドフード社の海底農業作物プラントで製品の乱雑な管理から、海洋生物の生態系に多大な影響を与え遺伝子操作食物の枯れ葉を食べた魚介類の遺伝子汚染を暴いた時など、彼らが拷問まがいの被疑者への尋問の結果判明した大事件を暴いており、ある程度彼らがUNSGM.の方針、組織犯罪及び遺伝子書き換えエンハンスド・アート法の監視に功績を上げたからに上層部も強く彼らを押さえつけようとしなかった。


「こいつの違法性はこの際問うまい。一目瞭然だからな」


「ご尤も、──黒だねこりゃ」


「なら不正を暴かれないための布石は何をする。どうすれば不正が暴かれないか考えようじゃないか」


「オールド・ファッションが会社に踏み込むまでは考えているだろうね。会社内の臨床試験データが市警に渡ったらUNSGM.こっちが令状突き出せば嫌とは言えないからね」


「データを消す、か?」


「誰でも思いつくだろうね。最初の考えファーストステップだ。でもデータはうちの手に掛ればすぐに再生できる。UNSGM.うちが所有する捜査補助AIの『ソクラテス』がちょちょいのちょいだ」


「ならば、コイツが隠そうとした新型向精神薬のデータをどうするか……。販売認可まで時間が無い。バビロン市が認可したら世界は飛びつく、この街に『特許』は存在しないからな」


「あながちそれが狙いなのかもねー。売っちまえば金になるのはこの死体並みに一目瞭然だ」


 モッキンバードはキャキャっとはしゃぎながら目の玉を鉗子で抉り出していた。モッキンバードに悪意はない、あるのはただの好奇心。この男を知り尽くそうとするどん欲なまでの好奇心だった。


「認可まで、不正なデータを僕たちに渡さないとなると。データの凍結かな?」


「ニューロン暗号ならテンプレートの総当たり、精神観測士を招集しないとな」


「こいつにそんな脳味噌あるかねえ。電子データとメッシュデータの互換性はないよ。そうだな、もっと、難解な」


 プチュッと目の玉を潰す姿にスティンガーにビビット来るものがあった。


「遺伝子データコードか」


「なにそれ?」


「アングラケミストリーの流行りだ。ダークタウンで違法薬物のデータにロックを掛ける時、自身の遺伝子データをパスワードにすることが多い。遺伝子データは長大だからな、下手をすると──」


「ニューロン暗号よりも面倒? ああヤダねえ、そうなってくると。死者との会話だ。敵に先手を打たれたって事じゃない?」


「いや……当てはある」


「さすっが大悪党。こっちの事情に強いねえ」


「腐れ縁だ。何の為しか、この街しか居場所が無いだけだ……」


 バビロン特区市。そこはあらゆる技術が許された場所。世界の先進技術を日々技術更新アップグレードし続ける街だ。そんな街にも闇の帳は嫌でも降りる。

 倫理観、道徳観、人間が良し悪しを区別するのなら必然的に現れる『善』と『悪』。双方の区別は一体何になる? 善業のそれは誰しもが分かる。しかしながら悪行とは一体何になるのか。世間様に顔向けできない行為? 法律の枷の縛り? どれもピンとこない。何せ皮肉屋スティンガー大嘘吐きモッキンバードも人の定める体裁の中では悪であり、その悪玉が『悪』を考えるなど何たる皮肉か。


「また小難しいこと考えてる?」


「良し悪しの価値観を考えていた」


「悪徳の栄えを読みなよ。18世紀のフランス最高傑作の作品だ」


「お得意の絵画の解説か?」


「小説だよ。サディズムの語源のマルキ・ド・サドの作品だ」


「時間が掛かるものは遠慮する」


 死体安置所モルグから出て、外を睨むとネオン光で煌々と光り輝く塔がスティンガーとモッキンバードを出迎えていた。

 繁栄と退廃の象徴、夢と挫折のモニュメント。バビロン塔。ネオンの光に照らされたこの街が彼ら二人を出迎える。

 彼ら二人、狗の様に嗅ぎまわり、ドブネズミの様にあさって回る。それを許されているから、それを果たさないと気が済まないから寝る間も惜しんで駆けずり回る、それが彼らの使命のように、自らを縛り付ける宿命のように。


 ……

 …………

 ……


 今日のフレアは何と言えばいいのか、閑散としていた。

 “ヘル・アビス・クラブ”に客は入るには入っている。しかしながら、その大半のお客がユーラシア鉄道の帰還者たち。彼らに総じて言えるのはこの時代で長らく見なくなった『荒くれ者』というレッテルだった。リベリタリアの海賊のように荒々しく、豪傑で、そして総じて言えるのが金がない。

 “ヘル・アビス・クラブ”は大まかに二種類のエリアがある。チープエリアとアップエリア。安上りな施設チープエリアは仮のギャンブル施設や、キャバレーがあり、そこに鉄道の帰還者たちは入り浸り、エルや撫子のような値の張る娯楽アップ・エリアにlikeはあまり落とさない。

 ダンスホールに人は疎らにいて、伽藍の中エルはパフォーマンスをしていた。

 誰も見る事のないフレアほど見るに堪えない者はなく、それこそまさに『哀れ』としか言いようがない。

 どれだけ力作のカクテルを作ろうと、どれだけ派手なフレアをキメようと、誰の目にもつかない。フレアの舞台の向かい側で人のいないダンスホールの静寂を爆音で掻き消そうとするように皿を回す美女は撫子、この“ヘル・アビス・クラブ”高級未成年娼婦の一人だった。

 彼女の付加価値、それは生まれ持って持っていた絶対音感を頼りにしたディスクジョッキー。このダンスホールのエルとの撫子の二大巨頭であった。

 冷えたシャンパンボトルを宙に回し、ソーサーに30dashmℓ。シェイカーにクレーム・ド・フランポワーズ20dashmℓ、コニャックを10dashmℓ、コーディアル・ライム・ジュースをバースプーンで1tsp5mℓ。トップとスレーナーを背中で潜らせるようにボディに飛ばし、シェイク。

 手首を返す様に、絵になる様にシェイクして見るも誰も見るものなど言わせず、折角の高級酒二種を使ったカクテル『セレブレーション』を作っても飲むものは少なかった。

 シェイクしえ終えたそれを、ソーサーに注がれたシャンパンに注ぎ、完成する。


「…………」


 パチパチパチと、疎らな拍手にこれまでにない退屈感。いやむしろ屈辱感にも似た惨めさを感じる。

 チラリとボーイを見ると、ボーイも諦めたように首を振るので、もう今日はこのエリアに入ってくる客はいない事をエルは悟った。数えて二十人いないお客たちにセレブレーションを振舞い、それでお開きだった。エルを入札するお客はおらず、撫子も似たような感じで、ターンテーブルの電源を落としていた。

 客たちは帰っていく。それを引き留めるのも自分を哀れむほどエルも撫子もプライドは捨て切れていない。寂しい寂しいと泣き縋るほど卑屈ではない。


「鉄道が返ってくるといつもこれだ。やってらんないね」


 撫子がステージから降りて、いやいやした顔でエルの方へ来たのでエルも苦笑いだった。


「あっちは楽しそう。お客がたくさん来てる。今日はあの子らに負けだね」


「到着本数が今日は多かったから、たくさんチープエリアに流れてる。残りのシャンパン一緒に飲む?」


「いいねそれ、裏で賄い作らせよう」


 エルと撫子はそう言いボーイにどうするればいいか聞こうとするが、もうアップエリアの閉店準備を始めていたから二人は大手を振って裏に入った。

 シェフたちは大忙しだった。ユーラシア鉄道の帰還者たちは基本的に、腹を減らしているからとにかく量の多いい飯を求めている。油を満たしたフライアーがフル稼働していて、揚げ物の油っぽさで厨房内を満たしていて居るだけで胸焼けがしてきそうだった。

 軽い軽食を貰い、“ヘル・アビス・クラブ”のスタッフゾーンの休憩室でエルたちは管を巻くしかなかった。

 撫子は舞台衣装の和服風のドレスを脱ぎ捨てマタニティドレスに着替えようとしていた。エルも似たようなもので舞台衣装を脱ぎ、適当な服を選んで着ていた。


「ちょいとエル。後ろ止めてくれな」


「はいはい」


 背中のボタンが止めるのに一苦労している撫子に私は手伝った。艶やかな黒髪だった、日本の固有の童顔に黒、黒、黒の黒ずくめの体毛はまるで鴉を思わせミステリアスな雰囲気がある撫子。唯一日本人ぽく無い所は胸の大きさで、ラテン系のジプシーよりも大きなおっぱいには母乳がタップリ詰まっている。

 衣装も脱ぎ終え着替え終わったそんな中、


「あら珍しいじゃないか。もう舞台はお開きかい?」


 そう声を掛けてくる人がいた。


「ああ、マザー。そうなんですよ。ユーラシア鉄道の帰還者ばかっりで、こっちに客は寄りつきゃしない」


 初老に差し掛かろうかという歳のゴッドマザー。しかし老いなどまるで感じさせない矍鑠としたいやむしろ肉食的な、獣じみた気配に恐ろしく思えてしまうほどしっかりとした立ち姿に委縮してしまうエルに対し、撫子はまるで本当の母親に接するが如く親し気だった。

 ゴッドマザー。この“ヘル・アビス・クラブ”の全てを取り仕切る大元締めであり、このバビロン市屈指の敏腕経営者。その迫力にいつもビクビクしてしまう。別に怖いわけではない、ゴッドマザーの一挙手一投足の全てが合理的で無駄のない発言ばかりだからエルの些細なミスを突いてくるから少し苦手だった。


「なら、オフィスに来な。エルもいるんだ腕のいいバーテンダーと話し相手。いいチョイスだ」


 やったと言わんばかりに撫子はグッとガッツポーズを取っていた。

 それもその筈、ゴッドマザーのオフィスにはいつも値段の高い酒を置いていて、普段そんな貴重な酒は日の目を見なず、アンティーク家具さながらの保管体制を敷くのが常だったが、マザーはそんな事はせず、酒は酒だといい飲んでいた。

 確かにその通りだし、物事の核心をついていると思う。酒を資産とするのは間違っている、現に大戦渦で資産価値がもっともないのがそう言った嗜好品の類であり宝の持ち腐れの諺を体現していた。

 大戦渦を生き残った世代の生き証人だからこそ、そんな無謀とも思える事を平然とやってのけ生き抜いているんだ。

 オフィスに通されるとそこは隠れ家的内装で、照明は薄暗く人の出入りを拒むかのような見た目であった。

 ゴッドマザーはエルにボルドー・ワイン、2002年のヴィンテージを渡してきた。これもかなり資産価値のあるモノで、本来ならlike持ちたちの手に渡っていく筈のものだったが、どういった伝手かゴッドマザーが手に入れ今からエルたちの腹の中に納まる事になる。

 カシス・リキュールもある、ワイングラスにボルドーとカシスを混ぜステア、簡単なカクテル『カーディナル』を作り出した。

 丸テーブルに置かれた三つのワイングラスと、ホログラフィック投射機が暗がりの空間に映し出す古代生物の化石の映像が何とも言えない雰囲気だった。


「さあ、座んな。緊張なんざクソの役にも立たないよ」


 そう言うマザーの目はエルの心境を見透かしたようで、エルも苦笑いを浮かべながら座った。ワイングラスに口を付けそうになったその時、


「アンタまたゴム付けずに客を相手したね」


 ギクッとしてしまう。つい先日の事をお見通しといった具合に突いてきたマザーの貌は獣の睨み顔の様で恐ろしい。


「……ごめんなさい」


「別に攻めちゃいないさ。アフターピルでどうにでもなる。でもねぇ、あんたのその抜けたところは自分の価値を貶めてる。分かるね?」


「……はい」


「ガキはなんぼでも作ってもらって構わないが、シッター代も馬鹿にならんのだよ。撫子みたいに面倒見れんのかい? 産んで育てる心積もりも済んでいなくて、生む側も生まれる側も良い事なしのそれじゃ、不幸ってもんだろう?」


「…………」


「まあウチとしちゃあ、一人二人ガキが増えたところで変わりはしないがね。アンタたちが不幸になられちゃ利益にならないってもんさね。アンタの不幸は客に与えるからこそ価値がある、自分自身の不幸は客に撫で付けてやればいいのさ」


 マザーの目は笑っていなかった。まるでそれをすることに本当に怒っているような、そんな様子。

 確かにエル自身も自分をお客に預ける時に好きなようにさせる事が多かった。だが忘れてはならないのが、我々は商品であり、その商品価値を高めるにはちょっとしたこと、コンドームやオーラルセックス、アナルなどの禁止事項を定める事で、客もそれを試そうと、likeの吊り上げを行う交渉をする。客からlikeを搾り取るのに必要な事で、それをしないと言う事は即ち自分を安値で売っていることに他ならない。

 マザーはそれを望んでいないし、エルたちだってそうだった。身を切り売りする商売なのだからそういった事はしっかりしないといけない。性感染症の予防の為にも、自分の価値を落とさない為にも。


「まあ、今日明日は暇だろうさ。アンタらも体を磨きな、今日日の帰還者はロシアルートの連中さ。likeを溜め込んだ奴は最後に釣れる」


 旧ロシア圏のユーラシア鉄道本線の搭乗員は貧困にあえぐ連中ばかり、しかしながらそれらを統率する高給搭乗員は貨物の荷下ろしで再出発までバビロンの夜街に出てこない。だが、彼らとて人間。そして雄ならば性欲の一つも燻らせている。

 そこでエルたちのような娼婦の登場だ。セックスの相手は若ければ若いほどいい、熟年層を求める者もいようが、“ヘル・アビス・クラブ”に来たと言う事はエル・ディアブロたちを求めてだ。

 安く見られない為、股の緩い女と思われない為。縛るところはしっかりと縛らないといけないんだ。

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