16.滝川さんの思い出
その日の滝川さんは、珍しく梅酒を飲んでいた。
綺麗な切子のカットグラスに入ったロックの梅酒は、タブレット端末の映像でもとても綺麗な琥珀色をしている。肩の上の鶏さんもゆらゆら揺れながらほろ酔い気分だった。
「梅酒かぁ。随分飲んでないですね」
『私、梅酒とサングリアだけは好きなんですよね。炭酸は苦手だけど』
「私も炭酸は好きじゃないです。梅酒とサングリアは好きでしたよ」
『千早さんも?』
お互いにアルコールを飲まないので飲めないのだとばかり思っていたが、私たちはそれぞれアルコールが飲めることを知った。
「ブラックな職場で身体と心を壊してから、お薬を飲んでるから、アルコールは全く飲めなくなったんですよ」
『そうだったんですね。私はアルコールは飲めるけど、炭酸が好きじゃないのと、ほとんどのアルコールは味が好きじゃなくて。好きなのは梅酒とサングリアくらいですね』
そんなことを言う滝川さんの今日のおつまみは、とろりと柔らかい半熟煮卵だ。おつまみセレクション交換会で送ってもらったが、あれは本当に美味しかった。
私の今日のおつまみはパリパリ昆布で、飲み物はいつものようにミルクを入れたフレーバーティーだった。
パリパリ昆布は北海道のネット友達が教えてくれたもので、口の中に刺さるくらい乾燥してパリパリになった昆布を食べるのだ。
お互いに咀嚼音や飲み物を飲む音が入ってもあまり気にしない。
一度はタブレット端末の後ろに兄が映ったこともあるが、それも滝川さんは気にしていなかった。
「兄の家で梅の実がなるんですよね。一緒に梅酒作りとかしてみません? ブランデー梅酒とか美味しいって聞きますよ」
『いいですね! 私も気になっているものがあって』
「なんですか?」
私が作りたいのは梅シロップで、アルコールが入っていないものだが、滝川さんは梅酒を作ればいい。
話していると滝川さんも作りたいものがあったようだ。
『クラフトコーラってご存じですか?』
「クラフトコーラ? 存じませんね」
すぐに検索をかけてみると、手作りしたコーラのようだった。
グローブにカルダモンにシナモンスティックにバニラビーンズと様々なスパイスがレシピには書かれている。
「コーラ、お好きでしたっけ?」
『いえ、全然』
「ですよねー」
私も滝川さんも炭酸飲料は好まない。それはお互いに分かっていた。
梅酒も滝川さんはソーダ割りではなくロックで飲むくらいなのだ。
それでもクラフトコーラを作りたい理由。
それが私は気になった。
「滝川さん、クラフトコーラ、小説に出すおつもりで?」
『分かりましたか? 主人公たちに飲ませたいんですよ』
歴史ものだけれど、多少の改変はしても悪くないはずだ。
『歴史ものなんて、当時のことを見て来たひとがいるわけじゃないんだから、みんな後の資料から妄想を膨らませたファンタジーなんですよ。だからコーラがあってもいいはず!』
「おぉー!」
言い切った滝川さんに私は拍手を送る。
歴史ものの物書きには色んないちゃもんをつけて来るひとがいるようだが、滝川さんを見ていると大丈夫だろうなという気分になった。
『牛乳で割るとチャイみたいな感じになるし、ヨーグルトにかけても美味しいらしいですよ』
「それは楽しみかも」
レシピを共有して、私と滝川さんは買って来る材料を確認して、いつ作るかを話し合っていた。
話し合いが終わると、滝川さんがぽつぽつと語り始める。
『交流小説のとき、千早さんが私に「初めまして」ってメッセージ送ってくれたじゃないですか』
「あのときにはすごく勇気がいりましたよ」
思い出して私がドキドキした感覚に浸っていると、私の膝の上の猫さんが尻尾をゆらりと揺らす。それに合わせて、液晶画面の中の鶏さんが滝川さんの肩の上で身体を揺らす。
「鶏さん酔っぱらってますね」
『梅酒の減りが早いのは、そのせいか!?』
戯れにタロットカードをかき混ぜていた私が一枚カードを引くと、カップの三が出て来る。
『そんなこと気にせずに飲みましょうよ。今日は祝杯だ』と鶏さんの声が聞こえてくる。
「間違いなく飲んでますね」
『鶏野郎ー! これはいい梅酒なんだぞー!』
吠えてから、こほんと咳ばらいをして、滝川さんが話を続ける。
『あれ、「初めまして」じゃなかったんですよ』
「ほへ?」
あまりのことに私は妙な声を出してしまった。
『実は、その前から千早さんの小説を読んでいて、すごく素敵だなって思ってました。私の方が先にファンだったんですよ』
「ふぁー!?」
あまりのことにお目目が飛び出るかと思った。
書籍化作家にもなっている滝川さんが、私が声をかける前から私の小説を読んでいてファンだった。
交流小説のキャラを見て一目惚れして、私が胸をときめかせながら話しかけたときには、滝川さんは私のことを知っていたのだ。
「それじゃ、私の小説読んでたんですか?」
『しっかりたっぷりと』
「それで、私が声をかけたのに、何事もなかったかのように『こちらこそ、よろしくお願いします』って……あー!? そういえば、滝川さんは私に『初めまして』とは言っていないー!?」
衝撃の事実に気付いた私に、滝川さんがタブレット端末の中でにやりと笑う。
『私は嘘はついていませんよ』
「それはそうだけど! そうなんだけどぉ!」
私の勇気は何だったのか。
机の上に突っ伏した私に、タロットカードが一枚ぺろりと裏返る。
表になったのはワンドの八だ。
意味は急展開。
望ましい出来事を表すこともあるが、今回はそれのようだ。
『急なことで驚いたかもしれないけど、彼女もそれだけあなたが大好きってことよ』と猫さんの声が聞こえた。
悪い気はしないので、それはそれでいいということにする。
それにしても、書籍化作家がファンだと言ってくれるなんて、私もすごいことだと思っていた。
大好きと言っても、私も滝川さんも、恋愛感情を持たないアセクシャルなので、こういう告白でも身構えることはない。
私は滝川さんの大好きがちゃんと友情であるということを知っているし、私も大好きだと伝えても友情の粋を超えることがないと分かっている。
恋愛をするひととの関係だと、そうはいかなかった。
「恋愛感情を向けられるって、困りますよね」
『受け取れないですからね。千早さん、何かありました?』
しみじみと呟いた私に、滝川さんが同情的な表情になっている。
滝川さんも知っているのだが、去年に私はネット上で妙なひとに絡まれた。
『あなたにこの作品を読んで欲しかった。あなたはあのキャラそのものだ。あなたのことを想っています』
そんなメッセージと共に送られてきたのは、もう終わった交流企画のキャラへの恋文とも取れるもので、相手はキャラクターと私を混同して、私に恋をしていると言ってきた。
私は恋愛感情がないので、そんな感情をぶつけられても困る。
困りますとお断りしても、しつこかったそのひとは、周囲から見えるところでそんなことをしたので、注意を受けて、アカウントを消して消えてしまった。
「恋愛はキャラと役者さんだけで充分ですよね」
『本当に』
私の言葉に滝川さんがしみじみと答える。
私たちはDVDやBlu-rayを見るときにも、役者さんに対して「お相手さんと結婚してー!」とか、書くキャラに対しても、「お相手と結婚してー!」としか叫ばない。
自分が恋愛の中に入るのは想定していないからだ。
滝川さんも私と同じタイプなので、私はすっかりと安心していた。
『そういえば、鶏さんを見てると思い出すことがあって』
「なんですか?」
通話を切る時間になっても、その日は滝川さんは話を続けていた。梅酒も飲んでいたし、少し酔って饒舌になっていたのかもしれない。
『私にずっとついてくる、小さな男の子。「遊ぼう」って言って来るけど、遊びがボール遊びや列車遊びで好きじゃなかったから、断ってたんですけど、断っても断っても、どれだけ邪険にしてもついてくるんです』
子どもというのは残酷なもので、興味がないことにはとことん付き合わない。
それが分かっていないのが子どもというもので、相手に嫌がられていると気付かずに何度も誘ってしまう。
「どんな男の子だったんですか?」
『親戚の集まりであった子だから、親戚だとは思うんですけど』
何度か親戚の集まりで会ったけれど、その後は会っていない。
滝川さんの言葉に、私は鶏さんの正体のヒントがあるように思えてならなかった。
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