サクラ

藤村 綾

サクラ

 わわわ。満開! ねえねえ! みてみて!

 隣で運転をしている彼が、チラッと窓の外に目だけをいざらせ、あ、うん。という言葉ではなく、顔の表情だけでうなずく。

「あのさ、」

 桜ってどうしてきちんと規則正しく春になると花を咲かせるのだろう。毎年、毎年。桜はそしてだれしもが大歓迎をされる。きらうひとなど絶対にいないだろう。あのさ、彼がそこで言葉を切ったのは、あまりにもわたしがはしゃぐからだろう。きっと。いやそうに決まっている。

「友梨さ、いくつになったんだよ。桜ではしゃぐこともないだろ? そんなことより、図面ってどうなってる? もう現場始まってるのに、まだ図面が製本されてないってなにそれだし。で、あした、配筋検査だよ」

 はぁーとため息をつきながらアイコスを装着し吸いだす。

「製本はあさってに仕上がってくるみたい。どこの現場だっけ。検査?」

 村井さんは同じ工務店の現場監督。39歳。奥さんと子どもさんが2人のマイホームパパだ。趣味はサーフィンでだからなのか常に肌の色が黒い。配筋検査やら監督はやたらと検査が多い。多いし忙しい。いちにちの走行距離が200キロを超えるなんてざらで、去年新車で買ったプリウスはもう10万キロに到達する勢いだよといっていた。

 どこどこの現場だよといいながらわたしたちはきゃきゃと笑いあいながらドライブをしている。

 お互いに真っ黒なサングラスに白いマスク。わたしなど黒のニットの帽子を被っている。いまから、銀行強盗にでもいけそうな風貌だ。

 変装。あまりに無防備だけれど、わたしたちなりの気休めな変装。3、4年ほど前に、待ち合わせ場所であっているところを偶然、村井さんの奥さんの友だちとやらにみられてしまったのだ。迂闊だった。世間を舐めていた。

『俺じゃない』

 はたして村井さんは俺じゃない。見間違いじゃないか? と最初はいいきっていたけれど、女の勘というものは地震を察知するナマズではないけれどとても敏感でわたしのことが知られてしまい、奥さんは……。思いだしたくもない。

 過去にそうした苦すぎる結果があるにもかかわらず、こうしてまた今年も桜をみている。

「29歳になっちゃうよ」

 いつもいくいきつけのポイントが2000ポイントほど貯まっているホテルに入る。なんとなく、村井さんが、俺、今年40歳になるよ。というからわたしもなんとなく流れで自分の年齢を口にした。べつに深い意味などはなかった。

「……な、なんかさ。……ごめん」

 なぜあやまるの? あやまるなんてずるい。わたしのほうが悪いのに。それに。あやまってすむ問題でもない。

「だからさ、いいの。わたしが望んでいることなの。このままでいいって。結婚願望なんてないし。ただ、ただね。わたしは村井さんのとなりで眠りたいだけなんだ。ただね。ただばかりいってるけれど、ほんとうにただ、もうひらすら好きなの。いつも考えちゃうよ。あなたのことを……」

 乱れきったシーツの上で呼吸が整ってきたころ、彼の腕に必死につかまりながら話かける。村井さんの腕は細身のわりに筋肉がほどよくついていて男ということをひどく感じさせる。

「……だから、こわいの。こわくて。どうしていいのかわからない。抱かれるたびによくなるの。こわい。村井さんをもし失ったらって考えると。こわくて死にたくなる」

 薄暗くた部屋だからこうして心の中で思い浮かべていることを声に変換できるのかもしれない。わたしの放った言葉たちすべてが濡れていて湿った声になっていた。

 村井さんはなにもいわない。聞いているのかもわからない。何度も何度もわたしはこうしてたまに言葉で愛を伝え、村井さんを苦しめている。

「どうにもならないのなら、」

 遠くでサイレンの音がする。だれかが救急車に乗っているのだろう。この瞬間にもだれかがどこかで苦しみ死んでいる。わたしはそのまま言葉を継ぐ。

「わたしを殺してほしいの。首を絞めて殺してほしい。お願い。もう耐えられない。あなたを失うくらいなら。いっそ殺してもらったほうが本望だから」

 ふっ、と息が漏れる音がし、顔を上げると、白い歯をみせながら村井さんが、は? という感じでふつふつと笑い声をだす。

「バカじゃねーの? 殺せるわけないだろ? いくら頼まれたからって殺したら殺人ほう助になって俺、つかまるわけよ。だったら、俺が殺されたほうがいいんじゃねーの?」

「殺してもいいの?」

 質問を質問でかえす。わたしの悪い癖。村井さんは、殺せるのなら殺してよと真顔でいう。そこには笑いはない。というか冗談ではないようだ。

 ベッドから立ち上がり、村井さんの作業スボンに通してあるベルトをスルッと抜く。かちゃかちゃという金属音が部屋の中で無機質に暴れる。

 ベッドにまたあがり、村井さんの上に乗っかる。

 そのまま目があう。どちらも視線を外さない。目線の相撲を取っているかのようだった。

 やれよ。やれよという3文字でわたしの中にあるかろうじてあった理性が決壊し、頭が真っ白の中でわたしは泣きじゃくりながらベルトで村井さんの首をじわじわと絞めてゆく。

 歯止めが、効かない。このまま、殺してしまば。一生わたしのものだ。

 けれど。殺してしまえば会うことができない。あたりまえだし、わたしは死刑になるだろう。

 迷いながら、しかし、もうベルトを緩めるなんてことはできそうにない。

 わたしは。

 わたしも。か。

 村井さんのスマホが軽やかなメロディーで鳴り響いている。

 

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サクラ 藤村 綾 @aya1228

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