△▼原因不明(心当たり多数)△▼

異端者

第1話 嵐の中で馬鹿たちが叫ぶ

 突然の雨だった。

 「山の天気は変わりやすい」という言葉は、知らないこともなかったが、それにしても急過ぎだと思った。

「今日の採集、どうすんだよ?」

 隣で、長身の呆けた青年、清水長吉が言った。

「さあ? ……あのお偉~い先生にでも訊けば?」

 俺、岩瀬幸也は適当に答えた。

 窓の外は、とんでもない大雨、いや嵐と言った方が正しい。とてもじゃないが、植物採集なんて、できる状況じゃない。……が、相手がアレだ。ひょっとしたらひょっとするかもしれないが……まあ、考えるだけ無駄だ。よそう。

 風もきつくなってきたせいか、このボロ家、通称「E大研究林宿舎」そのものがギシギシと音を立てているような気がする。本当に気のせい……だと、良いのだが。


 どうしてこうなったのかは、一年前の秋にさかのぼる。

 本来なら、俺たちは、この時に三日間の植物採集の実習を終え、二度とこの、地球の果てになど来ることが無いはずだった。だが、二日目の晩、あの悪夢のような事件が起こってしまった。

 夕食は鍋と言うか、人数が多いのでごった煮のような物をいくつか鍋で作っていたのだが、その鍋の一つ、我らがF班の鍋に偉大なるかのお方、大森教授が怪しげな「食材」をポイポイと投入し始めたのだ。キノコやら草やら木の実やら、おおよそ「食べ物」と呼べるのかも怪しい物が多数。しかし、誰も、学生はおろか他の講師ですら止めない。

 それもそのはず、このE大は地方の私立、それも三流大学だ。昔はそこそこだったらしいので、そのころの名残りのこういった施設は残っているものの、その分野で有名な「権威」とやらに逆らえる輩など居るはずもない。実際、そういった人間が一人いるだけで宣伝効果は絶大で、それ目当ての受験者も少なくないそうだ。

 さて、本題に戻ろう。この後、教授は「これ、美味しいから」と無邪気極まりない笑顔で、その「毒物」を勧めたくださった。しかも有難いことに、我々F班の分を取り分けてくださる。いやもう、食べるしかないというものである。ああ、有難や、有難や。

 毒を食らわば皿まで! ……そんな勢いで我々はその「毒物」をかき込んだ。そして、案の定、全員食中毒で寝込んだ。(なぜか勧めた当の本人は無事だった。事前に解毒剤でも飲んでおいたのか、それとも体の構造自体が違うのだろうか。……いつか、血管の一本一本まで詳細に解剖してその違いを比べてみたいものだ。)

 こうして、この「殺人未遂」事件は大学の体裁上隠蔽され、我々F班、計五名はめでたく実習受け直しとなったのである。

 世間では三流と言われて久しいこの大学だが、その三流さゆえに隠蔽技術のノウハウは豊富なようで、この事件が明るみに出ることは一切無かった。

 しかも、他の講義の都合もあるからと、翌年、大学三年の夏休みの最中に設定してくださった。この就職難の時代、三年の夏休みは既に暇ではないというのに、そういった世俗から離れて学業に励めるのだ。ああ、有難や、有難や。


 ――こうして、今に至る。

 このボロ家に居るのは、将来は世捨て人を目指しているくたびれたシャツの俺、岩瀬幸也。(ここまで来たら、もう意地でも「頑張らない」と決心を固めている。我ながら立派であると、自負している。)背は高いが顔も中身もぱっとしないヒョロ男、清水長吉。基本マイペースで童心というよりも思考も体格も子供そのもの、道草明男。極度のインドア派眼鏡(オタク)野郎、中谷公平。(そんなのでなぜ、フィールドワークがあるこの学科にしたのかが、良く分からない。)毒舌眼鏡に加えコテコテの関西人という駄目な紅一点、赤間千代美。そして、指導講師として君臨する偉大なるかのお方、大森完次郎教授。以上の計六名である。

 もう、この紹介からも分かる通り、まともな人間が誰一人居ない。……というか、この施設自体、精神科の隔離病棟のように思えてくる。案外、そうなのかもしれない。確かきっと、今頃大学は夏休みのオープンキャンパスの最中だ。その最中、こんな怪しげな連中が出入りしていてはまずいので、こんな人里離れた辺鄙な所に隔離したに違いない!

 ――陰謀だ! これは陰謀だ!

 そう叫びたくなったが、叫んだところで誰も聞くべき人間が居ないことに気付いてやめた。

「で、どうするよ?」

 長吉の声で現実に帰る。

 よく漫画とかで、一瞬で異様に長い回想シーンとか入るのがあるが、あれってどうなんだろう? 対峙している敵は、攻撃モーション途中でじっと待っているのだろうか?

「さあ、なるようになるんじゃない?」

 俺はまた適当に答えた。

 コイツも馬鹿だ。俺に訊いたって分からないと分かっていて訊いている。

「行きますよ! ほら、準備しなさい」

 背後からとっても聞き覚えのある、それでいて聞きたくない声がした。言うまでもない、大森教授だ。

 その背後には、なぜか準備万端となった残りの三人が居る。一人、明男だけ虫取り網と昆虫採集用プラスチックのケースを装備しているが、気にしてはいけない。

「あんたら遅っいなぁ……生きてる意味あるん?」

 赤間の毒舌が飛ぶ。

 一人なぜか中谷だけが、ふらふらしながらクフクフと薄気味悪く笑っている。……うん。立派な隔離病棟だ、ここ。

 俺と長吉も慌てて雨ガッパを着て準備を終える。

 こうして、遭難必至ともいえる嵐の中で、今日の植物採集はスタートした。……もう、死にたい。微妙に死にたい。神様、これは何の罰ゲームですか?


「うおおぉ……虫は……虫はどこだぁ!」

「うふ……あは♪ へへ……ははあ♪」

「え~、ですからこの樹木は――(以下略。というか嵐で聞こえない)」

「このアホジイイ。さっさと死なへんかなぁ……」

「なあ……こんなので今日の分、いつ終わんの?」

「だから、俺が知るかよ……」

 案の定、実習は過酷な状況を呈していた。……というか、暴風雨の音で声がかき消されて、ほぼ会話が成立していない。俺と長吉だけなぜか成立しているような気もするが、きっとそれは気のせいに違いない。

 本来なら、この実習はこうまで過酷なものではない。研究林を歩き回り、植物のサンプルをほんの少しずつ採取しながら、講師がその植物について解説する。そんなごくごくまともなものだ。それがこうまでも悲惨というのは、この中の誰か(おそらく教授)が呪われているんじゃないかと、本気で思う。

 風は勢いを増し、雨ガッパ越しに叩きつける雨粒すら痛い程だ。

 繁茂する植物や地形の起伏に遮られてただでさえ視界の悪い場所なので、こんな状況では少し前を見るのが精一杯だ。

 足元を見ると地面がぬかるんで、液状化一歩手前まで来ている。いつ土砂崩れが起きてもおかしくない。幸い、俺のすぐ右側にはおあつらえ向きの斜面があるし……。

「ああ、この葉っぱはね~味噌汁に入れると美味しいんですよ。あとね――」

 教授……少しは空気読んでください。

「あ~あ、どこかの地面の中にクワガタでも居ないかな~」

 明男……貴様は虫取りに来たのか実習に来たのか……。

「うはは……ぐふふ……へほへほ……」

 中谷……いや、もうお前はどうでも良いや。関わりたくないし。

「なあ?」

 隣で女の声がした。おそらく赤間だと思うが、彼女を女性だと思うこと自体滅多に無いので理解するまで少々掛かった。

「……へ? 何?」

 ――何か用? どうせろくなことじゃないんだろ?

 俺はそんな考えを隠さずに表情に出した。

「あたしら……迷ってへん?」

「え?」

 赤間はそれを聞くと、じれったそうにもじもじした。そして「死ねや」とつぶやいた。それさえ聞こえなければ、まだ女の子らしくて可愛かったのかもしれないが……というか、なぜこんな暴風雨の中で悪態だけがはっきり聞こえるんだろうか?

「だ~か~ら、迷てる! ほら、そこの倒木。見覚えあらへん?」

 そう言って、赤間が指さした先にあるのは、確かに見覚えのある倒木だ。それもついさっき。つまり……。

「教授! 道に迷ってます!」

 俺は叫ぶようにして、そう言った。

「『迷った』? ああ、君ら若いもんは往々に人生にして迷う者です。しかし――」

「違います! 『道に』迷ってるんです!」

「そうでしょう、そうでしょう。若者は人生という道に迷い――(以下略)」

 ――人生に迷っているのはアンタだろうが!

「ミ・チ・ニ、迷っとるんじゃ! ボケジジイィ!」

 バキィ!

 目の前で木の枝が折れて、泥沼と化した地面に教授が倒れた。

 俺は、状況を理解するのに数秒を要した。

 そしてようやく、赤間が木の枝で教授の後頭部を強打したのだと分かった。

「おお! すげえ!」

 長吉はなぜか嬉しそうだ。

 コイツ……普段はテンション低いのに、こういう時にたまに異様にハイになる。隠れドSじゃないかと俺は密かに思っているが……いや、きっとそうだ。

「吹けよ嵐! 来いよ虫!」

 ……こちらは更にハイテンション。明男、お前はもう少し頭を使うべきだ。こんな時に虫取りしようとする馬鹿は世界中でもお前しかいないぞ、多分。

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