02-10 情報提供するとは言ったが、漏洩しないとは一言も言っていない。
――魔の針、サンセットバレー活動支部。
悪趣味とも思えるような豪奢な彫刻が立ち並ぶ赤い絨毯の廊下を、齢七歳程度であろう少年が気だるく歩く。少年の腕の中にはその容姿にしては少々幼く思える人形が二つ、背には大きな手芸用のバッグを背負っていた。
少年はその場所では人形師と呼ばれていた、ここには年齢も人種も族種も関係がない。その腕と体に宿るエナが全てだった。人形師の少年はそこが気に入っているものの、時折こうして個人の予定に関係なく召集を受けることばかりは非常に面倒くさく思っている。普段はこんな召集には応じない、今日だって少年は既に仕事を請け負っている身だったのだ。だが、それでも来いと言われれば仕方がない。
廊下を歩いていくと、柱に寄りかかる影が少年に気がつき「よう」と手を振って挨拶をする。熊のような大男はその体躯に似合わない調理用のエプロンを身につけている、皆は彼をコックと呼んでいた。少年も彼の名前を知らなかった。
「メルク、やっと来たか」
だが彼は少年の名を知っているらしかった。そも、召集に応じない少年……人形師メルクをわざわざ来いと呼びつけたのはコックだった。
「遅いぞ」
「うるさいな。忙しいところをなんとか隙を見つけてきたんだ、むしろ感謝しろよな」
「全く……」
小言がはじまりそうな予感がしてメルクは顔を顰め、さっさと要件を終わらせてしまおうと話を切り出していく。
「それで話って?」
「革細工師……レザーナが討たれたから緊急会議だそうだ、まああの欲張り女だからそのうちやるとは思ったが。タイミングが悪い」
討たれた、ということは死んだのだろう。そこまで聞いてメルクは、レザーナが贈り物をそのうち届けるから受け取ってくれと言われていたことを思い出す。結局その届け物はメルクの元に訪れることはなかったので、それがどれほどのものかはわからない。だが、彼女がいうなら相応のものだろうと期待していただけに残念な気持ちになる。あの女、勝手に約束しておいて勝手に死にやがった。
「ふーん。……でも一応上流魔族でしょ、誰にやられたのさ」
「導きの勇者と輝きの勇者だ」
「二人?」
「片方は老いぼれが若返った姿らしい」
「変なことするね。……あぁ、もしかしてジェムードの足を砕いたのと同じやつか。へえ、二人がかりとはいえやるじゃん」
「あぁ、今回のは中々歯応えがありそうだ」
「あーはいはいレシピの話はお店でやっててね、僕はそういう趣味ないから」
聞くだけで食欲が失せそうなフルコースの話なんてされても困るし、最悪吐きかねない。それもそうだったが、メルクの中にはある疑念が先ほどの話で明確に形になろうとしていた。二人の勇者、そして、最近の魔王様の動き。魔の針は元々魔王様一族に仕える職人たちの集いだ、だからこそ魔王とは活性化時期以外でも交流がある。しかしここのところ魔王様は人が変わったようだ、少なくともメルクを拾い上げてくれたあの頃とは様子が違いすぎる。
「どうした」
「……今回の依頼、何かおかしくはないか?」
魔の針のみんなが今躍起になって取り組んでいる魔王様からの依頼も、なんだか質が違う。いくら好きな人の為とはいえあの人はこんな悪戯に悪趣味なものを欲しがるだろうか。
「おかしいとは?」
「いや、だって。……魔王が結婚式を執り行うにしても、わざわざこんな回りくどいことする必要あるか? いくら王の血族の娘を魔族に引き入れるためとはいえ、もっと楽な方法だってあるだろ」
もう死人が出たのに、止めないなんてことあるか?
「……そうだとしても、此方が考えることではないだろう」
「だ、だけど」
「メルク」
コックの赤い目がメルクを静止する。その威圧にメルクは喉を潰されたような感覚に陥ってしまい、結局何も言えなくなってしまった。
「不用意に踏み込みすぎるな」
「……っ、…………あぁ」
おいやめろよ、コックがそんな反応するなんてまるで本当に何かがおかしいって言っているようなものじゃないか。
「ただ」
先を歩くコックの大きな背が応える。
「イレギュラーが起きていることは間違いない。――覚悟を決めておけ、今回は荒れるぞ」
会議の場への扉を押し開くその手には、どこか焦りのようなものがあるようにメルクには思えた。
……幾度となく繰り返されてきた魔王と勇者の戦いに、魔の針そのものが巻き込まれるのは初めてのことだという。魔王と勇者はそれが当然のように時代の境目で争い、その結末が世界を左右するとはいうものの。それに巻き込まれるものたち側にいざ立つとなると中々堪ったものではない。ただでさえ、ここ数年の魔の針は災難続きだというのに。
「(なぁ、ニコラス。あんたの言ってたこと、本当になりそうだ)」
友人からの知らせが脳裏に過ぎる。どうして彼がこのことを伝えようと鳩を飛ばしてきたのか、メルクには分からない。
「(やだなぁ、でも仕事からは逃げられないもんなぁ)」
確かな予感は、運命を引き寄せる。
結局どうやっても血というものは、どうやっても引きちぎれないものらしい。
「……クリス兄さんとは、戦いたくないなぁ」
迫り来る因果と恐怖は、いつだってメルクを待ってくれるほど優しくはなかったのだ。
◆
「すまないな。クリス、パスカル」
森を抜け、二つの鳩手紙を飛ばしたニコラスはその魔法の羽ばたきを眺めながらため息をついていた。一つ、二つ、足元の小石を蹴飛ばしながら森での出来事と得られた情報に考えを巡らせるものの彼が出した答えは単純明快。面倒なことになった、その一言だけだった。
勇者と接触したのはよかった、彼らはこの大陸を動かす大きな役目を果たすことだろう。だが、英雄と接触したのはかなり宜しくなかった。ニコラスは考える、まだその時ではない、と。
事実、彼女の存在によって予定が狂ってしまった。全くどうしてこうなるやら。
「まあ、いっか」
そこまで考えを詰めて、その上でニコラスは荷物を放り捨てるように背を伸ばす。あぁ、肩が凝る。真面目なフリも、バカのフリも、どちらにせよ慣れないことをしているのだから疲れるというもので。
「そういう意味じゃラッキーかもな。――かははっ、ああ、面白くなってきた……!」
ニコラスは“もういいや”と湿気にぐちゃぐちゃになってもなお外すことがなかった右手の小手を取り払う、応急処置に応急処置を重ねたそれは随分とひどい状態だったが憎らしいそいつは今なお濁ることなくそこにいる。
「頼むぞ小さな勇者たち、お前たちが代わってくれるなら本望だ」
恨めしく見上げた右手の甲には、神が示した勇者の証である神の紋章が仄かな輝きを放っていた。
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