建徳元年(194年)

さあ、正式に聖漢の時代が始まったぞ

 本来は興平元年となるはずであった194年、前年に起きた廃帝劉協の死による代替わりに伴う代始改元が行われ建徳元年となり、聖帝は正式に即位を行った上で聖漢の頂点にたち、国の災いをその身に受け、それによりすべての民を災いから守る聖なる存在へとなった。


 これによりその地位に取って代わろうとする者はめったに現れなくなったのである。


「まあそりゃそうだろうな普通は」


 聖帝の生活はその下の相国などの働きとその健康維持のため、一定以上は保証されるが、政治的権限は特になく、その身に統治地域で起こるすべての災いを受けるなどということをやりたいなどと思うものがそうそういるわけではないのである。


 この時代は諱のような言霊がまだまだ信じられていたのであるからなおさらである。


 そしてその下で公儀の長として董一族が相国として実際に政務を統括して聖帝の補佐を行い、それは長子相続を行なうものとされ、15年をめどに隠居してその地位はさらなる長子が引き継ぎ、次男が継承する大将軍、曹操の子孫が継承する中央情報管理局長官、賈詡の子孫が受け継ぐ太尉、荀彧の一族が受けつぐ司空、蔡邕の一族が受け継ぐ司徒による聖帝の御前で行なう御前会議を政策決定機関として機能させるように決定したのであった。


「おそらく平和な時代を長く続けようとするのならば、上層部は一定の家で占めたほうが良かろう」


 何でもかんでも実力主義にしようとするとかえって、売官などがはびこって腐敗しやすくなるものでもある、ただしこれは激動の時代になるとかえって組織の硬直化が起こる原因となる可能性が高いのだが。


「こればかりはどちらにも対応できる政治的形態は存在しないからどうしようもないがな」


 何れにせよこの年が新たな中国大陸における統一国家の始まりの年となり、そして聖漢はその後長きに渡って続いたのである。

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