閑話:廃帝と自称「忠臣」たちの末路

 劉協や王允達がなんとか冀州の鄴までたどり着いた後の話である。


 劉協は仮の宮殿を与えられてそこで贅沢な暮らしをしていた。


「うむ、袁(紹)本初は素晴らしい忠臣であるな。

 ケチ臭い董卓などとは大違いだ」


 まだ元服前の劉協には政治的権限は当然のように与えられなかったが、彼には豪華な食事が与えられ、運ばれてきたそれをちらっと見ては、気にいって食べたければその場に置かせ、食べたくなければ他の者にそのまま下げ渡した。


「うむ、やはり牛馬羊の羹や鴨の蒸し物、鶏や豚の皮の炙りは美味でよいな。

 天子である朕が食べたくないものを食べさせようとした奴がおかしいのだ」


 この頃の肉料理における調理法はあつもの青銅製のかなえを使って煮込む、むしもの蒸し器でむす、あぶり肉を炎で直接あぶり焼きにする、なます酢漬けにしたものを刺し身にする、 ほしし塩漬けにして乾燥させるなどで、まだ鉄鍋で油を使った炒めるや揚げるといった調理法はない。


 なので手間ががかる煮たり蒸したりして柔らかくなったものや炙りの場合は脂の多い皮の部分を貴人は好んで食べ、パサパサして美味しくない肉の部分は食べずにそのまま下賜することが多かった。


 この時代の牛馬は農耕を主として、祭事のときの生贄、運搬や移動手段として重要なため、基本的にその肉を食べるのは倒れて使い物になくなったか、非常時のみで、羊は毛織物の毛糸として使われていたので、いずれも高級な食材であった。


 そして羹は肉と骨に様々なものを発酵させた醤などとネギやニンニクなどの薬味を入れてじっくり煮込めば、骨から出汁が取れるし肉も柔らかくなる為、特に好まれた。


 しかしこの時代の青銅は手に入りづらい錫ではなく、鉛との合金である鉛青銅であることのほうが多く、鼎を使って煮込んだ羊羹などを好んで食べた上流階級は鉛中毒になりやすかった。


 この頃の食器は漆器と磁器が主流であり、金銀器や陶器も用いられていたが青銅器は用いられていないのが救いであるが。

 

「お気に入りいただき恐縮でございます」


 袁紹は自分は涼州出身の貧乏人である董卓とは違うのだということを、贅沢な料理を天子(正確には廃帝劉協)に供出することで違いをアピールしようとした。


「穀物もせめて飯であるのは当然であろう。

 粥など朕が食べるわけがない」


 飯は蒸したもの、粥は煮たもので蒸したもののほうが遥かにうまいのである。

 羹を煮たもののうえに、かぶせた蒸し器で飯を炊く事ができればそれほど手間はかからないのであるが。


 粥であっても蓋をせずに煮たあとで火をとめ、余分な水を捨て蓋をかぶせて、時間をかけて蒸らせば炊くとほぼ同じようにふっくら仕上がるが庶民にはそんな食べ方はしていられない。


「しかし、胡食であっても麵餅が一番うまいな」


 中国では穀物を粉にしてそれに水を混ぜて平らに伸ばして食べるという麺料理は漢の時代には殆どなかったが、それを好んで食べたのが霊帝であり、同じものを食べていた彼もそれを好んで食べていた。


 だが穀物を粉にするというのはかなりの重労働である。


「わざわざ、麦を美味しく食べやすくするようにと、苦労して粉にさせられる方の苦労を考えてもらいたいものだ」


 一方の王允達”忠臣”達は皇帝誘拐の実行犯として即座に捕縛されて獄へ入れられていた。


「くっ、袁紹めは己の欲のために天子を利用するつもりか!」


 王允がそう憤ると蓋勳も同調する。


「これなら董卓のほうがまだマシであったかもしれぬな」


 そんな事を言った所で、天子を連れてきたという理由だけで袁紹が官位などを与えてくれると思うほうが浅はかであったのだが。


 やがて鄴城攻略戦が始まり董卓軍に城外を囲まれ一ヶ月も経つと当然市民は飢えるものがでてきて、城内では流言が流れていた。


  董卓の元から逃げ出してきた廃帝劉協はいまだに贅沢な食事をしており袁紹や郭図も同様であると。


「そういえば、あの廃帝は稗粥など食えるかと言って逃げ出してきたらしいぞ」


「俺たちはまともに飯も食えないで餓死しそうなのに許せねえ」


 この流言を聞いて郭図は袁紹へ進言した。


「廃帝が贅沢な食事をしていることに、住民が不満を持っているようです。


 もはや役に立つこともなさそうですし毒を食わせて始末するべきでしょう」


「そうだな、牢に入れておる者たちもついでに始末してしまえ」


 その日の劉協の食事は豪華な牛の羹であった。


「うむ、これはうまそうであるな」


 この羊羹に添えられた盃の水にはたっぷりの鴆毒が含まれていた。


 鴆とは大きさは鷲ぐらいで緑色の羽毛、そして銅に似た色のクチバシを持ち、毒蛇を常食としているためその体内に猛毒を持っており、耕地の上を飛べば作物は全て枯死してしまうとされる想像の生物と思われているが、実在するピトフーイのような有毒鳥類がこの時代の中国にはまだ存在していたのだ。


「が…あが?」


 彼は胸を抑えるとばたりと倒れそのまま起き上がることは二度となかった。


 鴆毒はヤドクガエルの皮膚から取れるものとほぼ同じ強力な神経毒であるステロイド系アルカロイドのホモバトラコトキシンが含まれており、即時に心臓に作用して不整脈や心臓停止に至らしめるのだ。


 同じものは王允や蓋勳たちが飲む水にも含まれていた。


「がは!」


「ぐああ!」


 こうして廃帝劉協は毒殺され、王允や蓋勳たちも同様に毒殺されて、その後を追わされたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る