呂布の陳留攻撃
さて、董旻は洛陽を制圧し、黄河を挟んだ対岸にある孟津をいずれ目指すことになるのだが、現状では洛陽復興を優先させている。
「船を使って渡ろうとするよりも川が凍ってからその上を渡ったほうが安全であるし、占拠した以上は荒廃した洛陽を放置しておくわけにもいかぬしな」
俺自身は洛陽にあまりいいイメージを持ってないので、出来れば近付きたくないというのも本音だがな。
その一方で敖倉を無事に制圧した呂布は東の陳留を目指している。
兗州の一番西にある陳留は古来より交通の要衝であり、反袁術連合軍の多くが駐留した、酸棗もここに含まれている。
そして史実では袁紹と曹操の決戦となった官渡はその北で白馬は黄河の対岸に存在し冀州の鄴はその北であり、街道などのつながりを考えれば、陳留は俺がどうしても抑えて置かなければならない場所だ。
この陳留のある辺りは戦国時代には魏の首都である大梁を中心に栄えていたが、後の秦代には荒廃し、前漢に陳留に郡治が置かれたその後はそこそこ栄えていた土地であった。
最も黄巾の乱や反袁術連合軍の駐留後の略奪などで今は荒廃している可能性は高いがな。
史実では曹操が袁尚の本拠である鄴を攻め落としたあとに本拠地を移したのも兗州より冀州のほうが安定していたからの可能性が高い。
そして、現在の兗州を収めているのは袁紹の甥である高幹で、この人物は演義ではほとんど出番がない地味な存在だが、史実においては袁紹軍の統治者や武将としてはかなり優秀で、并州から関中にかけて、かなり広範囲で曹操軍の後方を撹乱して曹操を悩ませている。
もっともそれに対処した鍾繇のほうが外交能力などで上まわっていた結果、高幹は曹操に一時降伏しているし、反逆して処刑されているし、現状の呂布ならば負けることはないと思うがな。
・・・・
その頃の呂布は陳留についての情報を集めさせていた。
「ふむ、袁紹に兗州を任されている高(幹)元才は其れなりに有能らしいな」
呂布の幕僚である高順がその言葉にうなずきいった。
高順は義に厚く清廉な人柄で、自らも含め兵士の鎧や武器の手入れを徹底しており、その統率力はかなりのものである。
「はい、堀と鹿砦を用いた強固な陣営を構築しているようであります」
鹿砦とは先を尖らせた竹や木の枝を鹿の角のように陣地の外側に尖ったほうを向けて地面に斜めに突き刺して並べた防御用の垣でそれを紐などで結び合わせたものが逆茂木である。
これが後には有刺鉄線を使った拒馬や馬防柵といった形に発展していくのだがその防御力は決して低くない。
そして馬はもともと森林で生活していた生物であるため、枝のような先が尖ったもののある方には決して進んでいかないという欠点があった。
そして後漢の時代においては弩という防御用には非常に優秀な兵器があることもあって騎兵では陣営に対しての攻撃はかなり難しくあった。
もっとも北方騎馬民族などは陣地攻撃に固執せずに略奪できる場所へ攻撃を行う事が多いので必ずしも役に立つとは限らなくもあるのではあるが街道の途中にあるそれは無視できるものではなかった。
「迂回して陳留を目指せば後方から攻撃を受ける可能性が高いか。
そして陣地攻撃に俺の騎兵では分が悪い。
ならば外にいる連中は俺が蹴散らす。
営を落とすのはお前の陥陣営に任せるがいいか?」
呂布は高順へそう言うと高順は力強くうなずくのだった。
「は、私にお任せください。
必ずや陥としてみせましょう」
高順の兵は盾兵や弓兵といった歩兵部隊で構成されている。
それ故に「営」すなわち防御施設のある駐屯地に対して攻撃を行い陥落させる役割を持っている。
故に彼と彼の配下につけられた異名は”陷陣營”というものである。
史実における曹操配下の地味な名将である楽進は”陷陣都尉”と呼ばれていたりして、彼らは派手ではないが重要な役割を担っているのである。
現代戦でも航空機や戦車といった兵器のほうが派手で目立つが最終的に市街地の制圧には歩兵が必要でその兵科としての重要性は変わっていないのと同様であると言えよう。
「では俺は奴等の目を集める囮となるとするか」
鹿砦を攻略する方法はいくつかあるが城攻と同じようにただ力攻めするだけでは損害が多くなる。
そこで鹿砦を攻略するために使われるのは火計、つまり油をかけて焼き払うというものであるが当然これを行うには自分たちは風上から行わなかれば逆に自分たちが焼かれることになりかねない。
「よろしくお願いいたします」
「ああ、任せておけ」
呂布は配下の騎兵を率いて自らが囮となるべく兵を進めた。
「我は董相国の義子、呂(布)奉先!
天子に弓引く逆賊袁紹に従うものよ。
今すぐに弓を捨て我もとに下るがいい。
今ならば温情もかけていただけよう!」
「ふん、貴様が呂布か。
我こそは四世三公たる袁(紹)本初様の甥たる高幹元才様のおぼえもめでたき猛将たる郭援なり。
そちらこそ潔く降伏するがいい」
郭援の叔父は鍾繇、従兄弟には鍾会がいるが本人が言う通りなかなかの猛将である。
最も演義では全く出番がないが。
「戦いもせず降伏することはやはりないか、ならば敵を崩すぞ!」
呂布は郭援の部隊の右脇へ馬を走らせ、すれ違いざまに弓で攻撃を行う。
そして騎兵たちもそれに続いて弓を用いて攻撃し、彼らは馬を止めること無く距離を取りつつ俊敏に動き回りながら弓矢で攻撃をしようとした。
董卓配下の騎兵は鐙も普及しておりその安定感は鐙なしのときとは比べ物にならないものである。
それに対して郭援の対応は……。
「方円の陣を敷け。
馬が近づいたところを弩で的確に射よ!」
麴義が公孫瓚の騎兵に対して対応したように弩で対応をする。
呂布の配下の弓より放たれる矢と郭援の配下の弩から放たれる矢が交差しお互い小さくない損害が出た。
「ふん、なかなかやるな、しかし!」
しかし弩は威力は高いが再装填のための時間がかかり、騎兵の馬上弓に速射性では圧倒的に劣っていた。
その連射性の差によって郭援の兵はだんだんと士気を奪われ隊列を乱した。
そして、 郭援の方円の陣が崩れたときには後方の陣営から火の手が上がっていた。
しばらく時を戻すと、高順の兵は先頭に大盾と投げ槍、その後ろに油の入ったツボを投げ込むための投弾帯を持った兵、その後ろには矢の鏑の目の孔の部分に油紙を詰めた火矢を持つ兵、火矢の油紙に火をつけるために松明を持った兵が整然と整列しながら風上より、高幹の陣営に近づいていた。
近づいてくる兵をたただみているわけはなく陣地より弩の矢が飛んでくるが、膠で煮込んだ革を貼り付けた大盾と鎧兜のために致命傷となるものはほとんどいなかった。
「槍を投げよ!」
「おお!」
槍が投擲できる距離まで近づくと兵士が一斉にそれを投擲した。
その射程は20m前後ではあるが矢に比べるとその重さによる殺傷力はかなり高い。
「ぐわああ!」
袁紹の配下の兵の鎧の装着率はこの時代にしては高いほうであったが、雨のように降り注ぐ槍を防ぐことを想定してはいない。
「油を投げ込め!」
「おお!」
そしてその後ろから投弾帯を振り回し、油の入った陶器の壺が鹿砦に向けて投げ込まれた。
「火矢に火をつけ、矢を放て!」
「おお!」
そしてトドメとばかりに火矢が降り注ぐ。
高順の配下の兵がそこまで多くはなくとも200を超える火矢が放たれればぶちまけられた油に火が回るのにさほど時間はかからなかった。
「盾をつかって堀を超えよ!
陣を落とすのだ!」
先頭の兵が持っていた大きな盾を渡し板の代わりに堀にかけると兵はその上を渡って敵陣に突入した。
こうして陣営が陥落すると戦いは呂布の勝利により終わり、郭援は降伏し、高幹は冀州へ向かい逃げていった。
そして陳留は呂布が開城させたがここもまた洛陽同様荒廃していた。
「小癪なことをするものだ」
呂布は陳留の復興のためにしばし時間を取られることになる。
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