袁紹は劉虞と公孫瓚との対決を優先するようだ

 さて、袁紹配下の将軍である麹義によって洛陽は陥落し、洛陽に残っていた皇甫酈は防戦の最中に討ち死。


 兗州の陳留郡から洛陽への帰途に着き始めていたらしい皇甫嵩も、袁紹の本部隊により急襲されて軍は瓦解したようだ。


 現状では皇甫嵩の消息は不明だが、洛陽における皇甫嵩政権は事実上瓦解消滅し、袁紹が洛陽を事実上制圧した。


「これで袁紹が洛陽を抑えたか」


 元々俺は河東と弘農を押さえ、袁紹は河南尹と河内を抑えるという約定もあったしな。


 が、献帝は曹操が救出して俺のいる南陽へやってきた。


「よくやってくれた」


 俺がそのように曹操に声を掛けると、曹操も安心したようだ。


「は、大命を無事果たせほっとしております」


「では、天子を仮の禁裏へお連れせよ」


「はっ」


「くれぐれも丁寧にな」


「わかっております」


 こうは言っておくが、俺は献帝に政治的実権を渡すつもりはないし、仮にやろうとしても殆どのものはついていかぬだろう。


 史実では董卓の死後に、次第に長安では李傕と郭汜の暴政がひどくなり、両者の権力闘争が私戦に発展し長安の中で合戦となった。


 それに乗じて、張済は献帝を洛陽へ帰すことを条件に仲介し両者は講和を結んだ。


 李傕と郭汜は一旦は献帝の洛陽帰還を認めるのだが、途中で気が変わって献帝一行を追撃。


 更に張済も李確・郭汜と組んで献帝一行を追撃。


 しかし李確の部下の楊奉・韓暹や董承が献帝一行の護衛軍に加わり、李確・郭汜・張済の連合軍を迎撃した。


 楊奉・韓暹は敗北したが、張楊の協力で献帝を洛陽まで連れて行くことには成功。


 しかし洛陽で董承と楊奉・韓暹が対立し、董承が袁紹・袁術・曹操・劉表などに献帝の保護を要請し、袁術とつながった董承は曹操の使者である曹洪を、袁術と結託して追い払ってしまった。


 しかし、楊奉・韓暹・張楊を恐れた董承は、一度追い払った曹操と連絡をとり、洛陽に招き入れて韓暹、楊奉、張楊らを排除した。


 そして曹操は献帝の身柄を拘束し、許昌に連れさった。


 献帝は天子として政治の立て直しを図ろうとしたが、曹操は人心を安定させることを名目として献帝の周辺から昔馴染みの者を排除し、自らの息のかかった者を配して、献帝から実権を取り除いた。


 これによりこの時点で後漢の事実上の最高権力者は曹操といえる状態になったのだな。


 後に献帝の皇后伏氏は曹操暗殺を試みて殺害され、献帝は曹操の娘であった曹節を皇后とする事を余儀なくされ、曹操は外戚として立場をさらに固めた。


 もちろん名目上は天下に号令をかけるのは帝の意思であるとしていたけどな。


 それでも曹操は自ら帝位につくことはなかった。


 それは秦末の動乱期の楚漢戦争で楚の名家の末裔の項梁に担がれた楚王が義帝として即位するも実権を持たず、項梁の死後は項羽に疎んじられ項羽に派遣された英布に殺害されたが、義帝を殺したことで項羽から民心や政治上の正統性が失われ、項羽は滅亡したと言う故事や公孫瓚が劉虞を殺してやはり民心を失い、その結果もあって袁紹に滅ぼされたりしたこと。


 董卓が少帝を弑逆して献帝を即位させたことでやはり民心を失ったことなどをよく知っていたからだろう。


 その後董承らを中心に曹操の暗殺計画がねられたが、事前に曹操の間者によって計画が発覚し、董承・王子服・种輯・呉子蘭らは一族もろとも皆殺しとなって、劉備は曹操から執拗に狙われるようになったと言われている。


 仮に献帝を洛陽から連れ出さずにいた場合、袁紹は献帝を廃して、玉璽を用いて劉寵を正式に新たな天子として擁立しただろう。


 そうなると後漢の権威の正当性を袁紹がほとんど保持してしまう。


 むろん、皇帝親政をしたいだろう劉寵と権力を握りたいだろう袁紹で内部分裂が起きる可能性もあるが、袁紹が皇室復興を口にすればそちらに従うものも多いだろう。


 だからこそ、献帝の身体と玉璽を渡すわけにはいかなかったのだ。


 もちろん献帝を抱え込むことのリスクも有るのだがな。


「皇甫(嵩)義真政権の打倒と言う共同の目的を果たした以上、袁紹がこちらに攻撃をしてくる可能性もあるが……」


 しかし賈詡はそれを否定する。


「袁(紹)本初が現状の洛陽にとどまっても得るものはありませぬ。

 また、袁(術)公路に兵を送った劉(虞)伯安と公孫(瓚)伯圭を放置しておくこともないでしょう。

 我らはその間に荊州南部や益州南部、それに徐州南部などの平定を進めるべきでしょう」


「ふむ、たしかにそうだな」


 おれは献帝により郿塢侯びうこうに封じられ、相国と言う名誉職につくことになった。


 相国は漢代における廷臣の最高職で相国職に就いたのは蕭何と曹参だけであったのだがな。


 日本で言うところの太政大臣のような地位と考えて良いのだろう。


 こうなれば三公・三省・九卿や将軍職などを決めねばならんな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る