漢中を抑えてるのだから質の良い銅で銭を作ろう

 さて、この時代でも通貨の価値は信用と市場の大きさ、要するにそれを使う人数でその価値が決まる。


 漫画やアニメなどの原始石器時代では丸い石に四角い穴を開けたものが貨幣として使われていたように描かれるが、実際には流石にそれはない。


 だが、石器時代では道具として重要でかつ保存しやすい「黒曜石」や装飾に使う「翡翠」や「瑪瑙」が物々交換の貨幣代わりに使われていたのも事実だ。


 黒曜石が採れるのは内陸であったりすることが多いので、その他の交換物資としては「塩」や「角」「骨」「毛皮」などが使われていた。


 基本的には利用価値が高くて貴重なもので可能なら保存がきく物が基準として選ばれた。


 その後、殷では希少性があり大きさも同程度である子安貝(宝貝)などの「貝」が貨幣として使われはじめた。


 漢字に「貝」が入る、そのために財、貯、販、貨、貿、買、貸、費、貴、貧などの字は経済的なことをあらわすものとして用いられている。


 のちに周王朝の頃になると材料の貝が不足すると石や青銅で模倣した貝貨ができた。


 その後の春秋時代頃には金や銀、銅の金属が貝の代わりに、絹や麻などが毛皮の代わりに貨幣として用いられるようになったが、その形態は国によってまちまちで斉・燕ではナイフの形の刀銭、韓・魏・趙では鋤の形の布銭、楚では貝の形の貝銭、秦では丸くて中央に四角い穴の空いた円銭が流通し、秦が中国全土を統一すると、貨幣も円銭に統一され、それ以降の東アジアでは銭はこの円形で中心の穴が正方形のものとなった。


 秦で用いていた半両銭という、半両(およそ7グラム)の銭ができたのだが、前漢の時代には半両銭が重くて持ち運びに不便なため軽くて薄い銭貨を造ったが、粗悪な私鋳銭が増えたことで、その後文帝はきちんとした重量や大きさ厚みを規定した四銖銭の鋳造を開始し100銭が1斤16銖(およそ700グラム)の重さにならなければならないと明確な基準の重さを設け、それより軽い場合には不足分の重さを銭を足し、重い場合には使えないようになっていたりする。


 その後武帝は、半両銭の鋳造を完全にやめ、新たに五銖銭を鋳造し、ようやく通貨としての信頼を得られ、五銖銭はその唐初頭まで用いられ続けた。


 前漢を滅ぼした王莽は、春秋戦国時代に用いられていた刀貨を復活させたが、結局後漢では扱いやすい五銖銭に戻った。


 だが、前漢と違い後漢は光武帝が王莽の作った銭を五銖銭に改鋳したが、外戚と宦官の影響力が強まると造幣は一部を除いてほぼ行われなくなり、粗悪な私鋳銭がふえ、民間では撰銭も横行して、信用を失い麦などの穀物や布が交換基準になる物々交換に戻りつつあった。


 その後、通貨の原料である品質の良い銅の最大の場所である漢中と中原を結ぶ桟道を、劉焉が焼いて遮断してしまったため銅不足が致命的になった。


 劉焉が益州牧になったのは実はこの良質な銅も目的の一つだったようだ。


 最も銭の価値が暴落したのは寒冷化による天災の多発と飢饉によるものも大きいのだが。


 とはいえ長安や漢中と言った貨幣鋳造のための技術者が残っている場所を抑えてるのは意外と大きい。


 ついでに漢中と長安の間の道や橋なども整備せなばな。


「とりあえず漢中の銅を用いて確かな品質の五銖銭を作らねばな。

 商業の安定には信用される通貨は重要だ」


「なるほどそうかも知れませんな」


「悪銭は改鋳して全て高品質なものにせよ」


「かしこまりました」


「また道や橋の整備も行わせよ」


「かしこまりました」


 人口で圧倒的に劣る蜀がなんだかんだで魏と戦い続けられたのも、漢中を抑えて良質な銅銭を作れたからというのもあるようだ。


 呉も荊州の銅があったので質は多少劣ってもなんとかなったが魏の抑えていた地域は鉄はともかく銅の入手が難しく、絹を貨幣代わりにせざるをえなかったが、虫食いや黄ばみなどで劣化する絹を貨幣として扱うのはかなり大変なものだったらしい。


 革新的と思われる曹操は貨幣政策に関してほとんど無策で屯田制とは相容れないこともあったろうが、


 劉備は貨幣政策に積極的で成都制圧後すぐに品質の高い貨幣の鋳造に手をつけ、漢中をめぐる戦に勝利している。


 曹操に鶏肋といわれた漢中だが、銅という貴重な資源の最大供給地である漢中を手に入れることは非常に大事なことだったのだ。


 漢中に対する考えの違いが劉備と曹操の考え方の違いでもあったろう。


 最も国力に差がありすぎて結局蜀漢は魏に滅ぼされるわけではあるんだが。


 劉備は大富豪である麋竺、塩商人である関羽、屠殺業兼肉屋である張飛、異民族との交易で利益を上げた公孫瓚など商売に関しては鼻がきいた人物が周りに多いようだ。


 まあそのせいで名士層の支持をずっと受けることができなかったわけでもあるんだが。


 袁術が価値のあるものを安値で買い取るのは逆に洛陽での通貨価値を目減りさせている。


 金がなければ巻き上げればいいという考えなんだろうけど、税と交易などの商売で成り立ってる洛陽でそれをやるのは致命的だ。


 最もこの時代の中国の人間でそれを理解出来る人間は劉備のような人物以外はほとんどいないだろうけどな。


 そして、袁術は兵糧不足を袁紹のもとに攻め込むことで解消しようとしているようだ。


 俺は名目上は漢の将軍であるから袁術というから天子から命令があれば袁紹をいっしょに攻撃しなければならないのではあるが、既に世間では袁術と袁紹の内輪もめであるという風説も強い。


 俺は袁紹へと使者を送った。


「この度は洛陽より兗州冀州への反乱討伐があるとの風説であります。

 しかしながら、私は袁家の私的な争いに我が方の兵を動かす意図はありませぬ」


 やがて使者が戻ってきた。


「言われる通りこれは袁家の問題であるため介入は不要とのことです」


 そして袁術へは袁紹が袁家の問題であるため介入は不要と言ってきたことを伝え、兵糧や兵士の提供は拒んだ。


「袁術がこちらに攻め込んでくる可能性もあるが、普通に考えれば袁紹との決戦を優先するだろうな。

 俺も劉繇とやり合わんきゃならんしな」


 そろそろ曹操や徐庶などには帰ってきてほしいものだ。

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