武将たちの名乗りあげ

 さて、参謀達の自己紹介が終われば武将たちの番だ。


「では、まずは涼州時代から付き従ってくれている者たちから始めようか」


 まず馬騰が立ち上がる。


「では私からいくとしよう。

 私は馬(騰)寿成、生まれは司隷扶風郡茂陵県だが育ちは隴西郡だ。

 私の妹が董将軍の嫁という縁で今まで共に戦ってきた。

 兵科は短弓軽装騎兵、ではよろしく頼みますぞ」


 次には韓遂が立ち上がった。


「私は韓(遂)文約。

 馬寿成殿と同じく董将軍の嫁の縁で今まで共に戦ってきました。

 兵科は同じく短弓軽装騎兵、ではよろしく頼みますぞ」


 次は牛角。


「俺は牛(角)本舗。

 同じく同じく董将軍の嫁の縁で今まで共に戦ってきた。

 兵科は同じく短弓軽装騎兵だ、仲良くやろうぜ」


「うむ、では次は并州のものだな」


 呂布が勢いよく立ち上がる。


「俺は呂(布)奉先、生まれは并州五原郡。

 董将軍の息子董(超)文瑾と董(越)遠公とは義兄弟でもある。

 ぜひ先陣は任せてほしい。

 兵科は同じく短弓軽装騎兵だ」


 そして二人の息子たちも立ち上がって言う。


「私は董文瑾」


「私は董遠公」


「父や義兄共々よろしくおねがいします」


 次は曹操が立ち上がった。


「私は曹(操)孟徳、生まれは豫州沛国譙県、祖父は中常侍・大長秋の曹(騰)季興だ。

 だが私は宦官になるつもりはないし、近づくつもりもない。

 董将軍とは党錮の禁の時以来だ。

 兵科は長弓竹弓歩兵、遠距離への攻撃なら我が隊にまさるものはそうそういないだろう」


 そうふてぶてしく言う辺り曹操らしいな。


「では、南方や北方での縁の方々もどうぞ」


 そこでまず朱儁が立ち上がった。


「朱(儁)公偉です。

 生まれは揚州会稽郡上虞県、董将軍とは会稽の反乱にて縁ができました。

 兵科は盾歩兵ですな」


 その次は朱治だ。


「朱(治)君理です。

 生まれは揚州丹陽郡故鄣県、朱公偉殿と同じく、董将軍とは会稽の反乱にて縁ができました。

 兵科は盾歩兵です」


 さらに程普も立ち上がる。


「我が名は程(普)徳謀、生まれは幽州北平郡。

 董将軍とは鮮卑討伐にて縁ができました。

 兵科は短弓弓騎兵だ、よろしく頼む」


 続いて韓当が立ち上がった。


「韓(当)義公、生まれは幽州遼西郡令支県。

 同じく董将軍とは鮮卑討伐にて縁ができた。

 兵科は短弓弓騎兵だ、よろしく頼む」


 陶謙も立ち上がっている。


「陶(謙)恭祖、生まれは揚州丹陽郡。

 交州の反乱鎮圧以来董将軍と共に戦っている」

 兵科は盾鉾兵だ、よろしく頼む」


 その次は孫堅。


「孫(堅)文台、生まれは揚州呉郡富春県。

 同じく交州の反乱鎮圧以来董将軍と共に戦っている」

 兵科は盾鉾兵、よろしく頼む」


 次は蔡瑁だ。


「蔡(瑁)徳珪、生まれは荊州襄陽郡、叔父は大尉の張(温)伯慎だ。

 水軍や弩兵を担当することになると思う」


 次は黄忠。


「黄(忠)漢升、生まれは荊州南陽郡。

 同じく弩兵だが私の弓の腕も期待してほしい」


 その次は黄蓋。


「黄(蓋)公覆、生まれは荊州零陵郡。

 兵科は盾鉾兵、よろしく頼む」


 そんな感じで黄祖や趙雲、張郃、許褚、淳于瓊、陸康や陸儁などもおなじように自己紹介をしていった。


 夏侯惇・夏侯淵などは曹操の配下として戦うようだ。


 どうやら公孫瓚や劉備・関羽・張飛・簡雍たちは盧植のところにいっているようだな。

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