4.ハンネとトーマス、リュリュについて噂す

 二日降り続いた雪が止んで、久々の快晴の午後。

 皆、冬のわずかな晴天の間に買い物をしておこうと思うのだろう。

 雪景色のレーゲンブルトの街は、にわかに活気づいていた。


 ハンネもまた、取り寄せてもらった旅行記を受け取るために、久々に街に出た。

 届いたという連絡は十日前にもらっていたのだが、陰鬱な空から降り続く雪の中を歩きたいとは思わない。そんなことをするくらいならば、暖炉の前でマリーら女の子たちと一緒におしゃべりしつつ、繕い物でもしている方がまだしも、である。

 しかし、この晴天。

 知的な娯楽に飢えていたのと、何日も領主館内に押し籠められた体が、そろそろ外の新鮮な空気を欲して、じっとしていられなかった。

 本屋で本を受け取っての帰り道、領主館へと向かう坂道の途中でマッケネンとトーマスの姿を見つけた。


 マッケネンはなんだかんだと言いながらも、やはりトーマスと語り合うこと自体は嫌いじゃないらしい。最初は熱心に話し合っているようだったが、段々とトーマスの距離が近くなり、最終的にマッケネンの腕にトーマスが腕を絡ませようとすると、やや乱暴に振り払われた。


「そういうことはするなと言ってるだろうがっ!!」


 怒鳴りつけてマッケネンが足早に去っていくと、トーマスは少しばかり傷ついた表情でしょんぼり佇んでいた。


「フラれちゃったわねー」


 ハンネはそっと近付いて声をかけた。

 トーマスがハッと顔を上げ、すぐさま取り繕うように、いつもの不敵な笑みを浮かべた。


「やぁやぁ、ハンネ嬢。とんだところを見られちゃったね」

「随分とご執心ねぇ、トーマス先生。それにしても、ちょっとばかりゴリ押しが過ぎるんじゃなくって?」

「だって、多少強引に行かないと、あの人わからないでしょう?」

「そもそもマッケネン卿を選ぶのが間違っていると思うわよ。彼はこのテのお遊びはしないタイプの人間でしょう?」


『遊び』の一種として、恋の相手に同性を選ぶのは、帝国においてさほどに珍しいことではなかった。他国においては厳しく罰する場合もあると聞くが、この国では社会風俗の一種として認められている。

 ハンネもまた、トーマスにとっては娯楽の少ない田舎における『お遊び』の一つだという認識だった。だが……


「……ハハッ! 確かにね」


 一拍置いて答えたトーマスの笑顔に、かすかな翳りを感じて、ハンネは眉を寄せた。


貴方あなた、まさか本気だとか言うんじゃないわよね?」


 同性間の恋愛が許されるのは、あくまでも『遊び』の範囲であった。

 男女間であれば、自然、子を生すという目的のために営まれる行為も、同性であればただ欲望を満たすだけに留まる。であればこそ、後事の心配なく付き合える相手として、同性を選ぶ者も少なくない。

 反面、子孫を残すことを考えたときに、同性同士でのは決して認められなかった。

 あくまでも仮の、疑似の、恋愛ごっこ。

 万事に開放的な帝国人であっても、その辺りの区別は厳格であった。

 ハンネの問いが多少うわずったものになったのも、こうした社会通念上、で同性を好きになることなどない、という思い込みがあったからだ。


 トーマスは苦笑を浮かべ、首を振った。


「そんなに怖い顔をするものではないよ、ハンネ嬢。僕だってこんな片田舎では、なかなか同好の士も見つからないし、ちょっとした駆け引きを楽しむくらいなことはいいだろ?」

「それは私が決めることではないわよ、トーマス先生。でも、マッケネン卿が嫌だと言うなら、無理強いするものじゃないわ。貴方も場数を踏んできたなら、引き際くらい心得ているでしょう?」

「もちろん。そうした引き際については、定評があるよ。僕は」


 トーマスはニッコリと笑って請け負うと、ハンネに背を向けて歩き始める。

 ハンネは少し遅れてついてゆきながら、なぜか少しばかり気持ちがとがめた。なんとなく、トーマスが傷ついているように見えたのだ。


「ねぇ、トーマス先生。私、私ね。思うのよ」


 思わず口走ったものの、ハンネは自分でも何を言おうとしているのか、よくわからなかった。

 トーマスが立ち止まり、振り返る。逆光となった表情は見えなかったが、無言でハンネの言葉の続きを待っているようだった。

 ハンネは何度か言いかけた言葉をのみ込んでから、一番言いたいことをまず伝えた。


「私はどういう形であれ、誰かを好きになるってことは、素晴らしいことだと思ってるの」

「…………そうだね。僕もそう思う」

「だから、貴方が誰を好きであったとしても、私と貴方の関係性が崩れるようなことはないと思うのよ…………たぶん」

「君と僕の関係性……というと?」

「友人であると思いたいわ。違うかしら?」


 ハンネの言葉に、トーマスはしばし沈黙した後、フッと笑った。


「いや。とんでもなく光栄だよ。ハンネ嬢、君はとても賢い。だが賢い女というのは、得てして恋には不慣れで、失敗ばかりする。だが最上の友人を得る才能はあるんだ」

「貴方がその最上の友人というわけね」


 ハンネは緩やかな坂道を上りながら話し、トーマスの横に立った。かすかな緊張を残してトーマスを見れば、その顔には悪童めいた稚気と傲慢さがある。

 ハンネはホッとした。

 いつものトーマスだ。


「君は優しいね、ハンネ嬢。優しくて、真面目ないい子だ。いつか君が恋に落ちるような男が現れればいいんだろうけど」


 一緒に歩きながらトーマスが言うと、ハンネはうーんと首をかしげた。


「私、その『恋に落ちる』っていうのが信じられないの。落ちる、なんて怖くない? まるで自分で自分のことがどうしようもできなくなるみたいで嫌だわ」

「実際そういうものだからね」

「私はちゃんと、でいたいのよ。たとえ恋愛するとしても」


 ハンネとしては至極真面目に言ったのだが、トーマスはいかにも愉しげに笑い飛ばした。


「ハハッ! まともでいられる恋ならば、それはもう恋と呼ばない。恋愛は錯誤だと、かの賢者ニコデムスも言っている」

「まぁ、嫌だ。だったら、私はきっと恋愛には向かないわ」


 ハンネがプンとむくれると、トーマスは肩をすくめた。


「そう? まぁ、そういう人もいるよ。人間誰しもが恋するわけでないし、する必要もない」


 何気なく言われて、ハンネはハッとしばし固まった。

 その言葉はすとんとハンネの胸に落ちて、心地良く響く。

 自分でも理解できなかったが、なぜかハンネはとても嬉しく思えた。少し興奮気味に、トーマスに問いかける。


「そう思う? 本当にそうかしら? だったらいいのに。姉たちからは、しつこいくらいに結婚しろと言われるの。兄の元妻だった人なんて、離婚するとしても、恋愛の一つ二つしていないと、人として成長しないって!」

「人は恋愛で成長なんてしないよ。ただ楽しみ、そして悲しむだけだ」

「あら、詩人っぽい」

「そう。恋をしたところで、人は愚かな詩人になるだけさ。それを成長と呼ぶなら、その人はとても前向きな人なんだろうね」

「あぁ、そうよ。義姉……あぁ、元義姉は詩人なの」


 ハンネはため息をもらした。

 兄のルーカスの元妻ヴィルマ・ラルドンは、高名な作家であり詩人だった。(ちなみに彼女はアドリアン小公爵の従僕であるサビエルの母でもある)

 彼女はルーカス同様に恋多き女性であるので、まさしく恋愛なき人生など考えられないのだろう。であればこそ、ハンネにもまた恋せよ乙女と、熱心に勧めてくる。

 ハンネは時々、憂鬱だった。

 まるで恋できぬ自分はいつまでたっても一人前ではないと言われているようで。

 だが、そんなハンネの煩悶はんもんを、トーマスはあっさり叩き斬っていく……。


「物書きの助言なんて、話半分に聞かないと。まともに受け取るなんて、それこそ聡明なるハンネ嬢らしくないね。見たところ、君は十分に成長した立派な女性だよ。自分で考え、行動できる。それ以上に成長するところなんてあるだろうか?」

「でも、人としてはまだまだ未熟よ」

「くだらない謙遜だ。本当は思ってもいないくせに。成長してそんなことを覚えるなら、むしろそれ以上の成長なんて害でしかないよ」

「……貴方には、多少の謙遜を覚えてもらって、成長していただきたいわね」


 あまりにズケズケ言ってくるトーマスに、ハンネは少しばかりの皮肉で報いようとしたが、当然相手は一枚上手であった。


「ハ! 僕が謙遜を覚えたとして、それがどうして成長したと言えるんだい? ただ誰かにとって ―― この場合なら君にとって、多少都合のいい人間になったというだけのことだ。だったら、僕は自分自身にとって都合のいい人間になるよ。そのほうが楽しく過ごせるからね。その点でいうなら、そうだな……最近ようやく、冷めたお茶よりも、温かいお茶のほうがおいしいと思えるようになったよ。どうだい? ちょっとは僕も成長してるだろ?」


 ハンネは思わず噴き出した。


「それは確かに成長したわね。おいしいお茶を飲むことは、人生においてはとても大事なことですもの!」


 それから二人は、深遠なる人生について、軽妙に語り合った。

 領主館までの短い道のりの中で、急速に友人としての信頼を深め、ハンネはトーマスからマッケネンとの馴れ初めについても聞くことになった。


「まぁ、じゃあトーマス先生はその時からマッケネン卿に恋い焦がれていらしたわけね」

「いや。その時はただただ鈍臭どんくさい人もいるものだと思ったまでだよ。でも、印象深くはあったな。優しそうな目をしていたからね。でも再会したときには、すっかり面変わりしていて……名前がわかってなかったら、すぐに同一人物とは思えなかったな」

「あらあら……噂をすれば、だわ。マッケネン卿、どうしたのこんなところで」


 領主館の門前に立っていたマッケネンにハンネが声をかけると、トーマスがまた、からかうような口調で話しかける。


「おやまぁリュ……じゃない、マッケネン卿! どうしたんだい、そんなところに突っ立って。もしかして僕を待ってたの?」


 マッケネンはムッスリとトーマスを睨みつけた。


「待ってたわけじゃない。確認だ」

「まぁ? 心配していたの、マッケネン卿」


 意外そう問いかけるハンネに、マッケネンはますます渋い顔になった。


「そういう解釈をしないでくれ、ハンネ嬢。単に気になっただけだ。さっきもコイツが雪の中で寝ようとしていたから……」


 素っ気ない態度を取りながらも、こうして心配をしてしまうあたり、マッケネンの人の良さが滲み出てきてしまう。


「なんだかだと、優しいのよね、マッケネン卿は。そういうところがほだされちゃうんだわ。違って? トーマス先生」

「違いない」


 トーマスは頷いてから、ハハハッと大笑いした。ハンネも笑い、マッケネンは一人、ますます苦虫を噛み潰す。


「ハンネ嬢が一緒なら、さっさと宿舎に戻ればよかった」


 クルリと背を向けようとするマッケネンを、トーマスがあわてて止めた。


「まぁまぁそう言わず。せっかくなんだし、三人で温かいお茶でも飲んで、この北の最果てで出会うことになった我ら三人の友誼ゆうぎを深めるとしよう!」

「お前の出す茶はたいがい冷めてるだろうが」

「あら、マッケネン卿。トーマス先生は最近になってやっと、熱いお茶がおいしいとわかったそうよ。だからちゃんとあったかーいお茶を淹れてくださるわ」



 こうしてレーゲンブルトで出会った三人の貴重で得難い友人関係は、多少のぎこちなさを帯びつつ、愉快に始まったのだった……。



【END】

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