ある三人のお話 ― ハンネとリュリュとトーマスと ―

1.リュリュとトーマス、図書館にて再会す

 新年を間近に控えた朱梟しゅきょうの年(*1)、夏頃。


 レーゲンブルト騎士団所属の騎士マッケネン卿は、かねてからの念願であった帝都アカデミーの図書館に来ていた。

 去年は主である領主ヴァルナル・クランツが、小公爵アドリアンの身辺保護に怠慢があったという(表向きの)罰で、新年の上参訪詣クリュ・トルムレスタンを禁じられたので、一年ぶりの帝都である。

 多くの朋輩ほうはいが近くに控えた帝都結縁祭ヤーヴェ・リアンドン(*お見合い祭りのようなもの)に浮き足立つ中、マッケネンにとってはこのアカデミー図書館に入ることのほうが、よっぽど重要で切望したことであった。

 どこまでも続く本の列に圧倒されながらも、深呼吸をして、その静謐せいひつなる空気を味わっていたのだが ―――


「あー、リュリュちゃんだー」


 その名で呼ばれた瞬間に、マッケネンは息を吸い込んだまま止めた。


『リュリュ』 ――― そのふざけた名を、マッケネンは忌み嫌っている。

 たとえ亡くなった両親が愛情をもってつけてくれたのだとしても、いい年をした、顔に傷もあるようなゴツイ男が、愛らしいものを呼びかけるのに使われる『リュリュ』なんて名前で呼ばれれば失笑ものだ。

 そのため公的な証書などを除き、対人において、その名はほぼ封印していた。

 にも関わらず『リュリュちゃん』などと気安く呼んでくる人間 ―― 一人しか心当たりはない。


「……トーマス・ビョルネ。貴様……」


 憤怒の形相で振り返ったマッケネンに、トーマス・ビョルネは悪びれもせず、白々しく「うわー、コワーイ」などと怖がってみせる。だがニヤニヤ笑っている口の端に、性格の悪さが滲み出ていた。


「なん……ッ」


 なんでいるんだ、と怒鳴りかけて、マッケネンはかろうじて怒声を封じた。

 ここは図書館である。当然、静かにしていなければならない。私語が過ぎれば追い出される。


 今日は月に二度しかない帝都アカデミーの図書館開放日だった。

 この日を待ち望んだ人々は、限定二百人までの入館許可の札をもらうために早朝から並んで、ようやく手に入れる。

 マッケネンも前月は叶わず、今回ようやく手に入れた入館札の番号は百九十五だった。ギリギリだ。のんびり朝ご飯を食べていたら、おそらく目前で情け容赦なく終了の札がかかって、涙をのむことになっていただろう。


「やだなー、リュリュってば。僕がここに居たって不思議ないでしょう」


 しゃあしゃあと言って、トーマスは長い灰色の髪を軽く掻き上げる。


「それは……わかっている」


 マッケネンは苛立ちを懸命に押し殺して、静かに同意する。

 アカデミーにおいて権威の象徴でもある『賢者の塔』の住人であるトーマスがここにいることは何らの不思議もない。だが……


「なんでわざわざ声をかけてくるんだ?」

「え? 駄目だった?」

「ここがどこかわかってるんだよな? 俺がここに入るのにどれだけ苦労したかわからないか?」

「えー……」


 トーマスはヘラヘラ笑いながら、マッケネンを見つめて、首をかしげた。


「なにー、どうして入館札なんて下げてるの? 一般人みたいに」

「一般人だ。正当な」

「えぇぇ??」


 トーマスが大袈裟に聞き返したところで、さすがに見かねた司書がやって来た。


「ビョルネ師、頼みますから静かにしてください。できないなら、とっととご自分の部屋にお戻りください」


 いかにも堅物らしい、一分の隙もない司書服に身を包んだ男が、抑揚のない声で注意する。トーマスは大袈裟に肩をすくめてみせてから、クイとマッケネンの上着をつまんだ。


「はいはーい。さ、行こう。リュリュちゃん」

「お前っ……」


 マッケネンは怒鳴りかけて、冷たく睨んでくる司書の目に気圧けおされて、どうにかこらえた。一緒に行け、と顎で促され、仕方なくトーマスの後にいて行く。

 二階に上って『立ち入り禁止』の札が下がった扉を開くと、そこには暗く長い廊下が伸びており、ズラリと左右に扉が並んでいた。

 トーマスは中途にある扉 ―― それだけ青色が塗られて、所々剥げている ―― の鍵を開けて入るなり、クルリと振り返った。


「なーんでわざわざ並んでるのさ、リュリュちゃん。僕に言ってくれれば、いつでもご招待したのに」


 バタンと背後で扉が閉まったのを確認してから、マッケネンはもはや声量を気にすることなく不満をぶつけた。


「フザけるな! なんでお前に頼むんだ」

「僕に言うのが嫌でも、君にはアカデミーに通ってる優秀な弟さんがいるじゃないの。ミハルくんの保護者としてアカデミーの中に入っちゃえば、図書館にだって行けるでしょ?」

「馬鹿、お前は。禁止されているだろうが。そんなことはできんッ!!」

「真面目だねぇ。兄弟して」


 トーマスがあきれたように首を振る。マッケネンはギロリと睨みつけた。


「お前、弟に……ミハルに何かしてないだろうな?」

「何かって、なに? あいにく僕の分野とはそう関わりもなさそうだから、そんなに会うことはないよ。僕が気にして無理に時間をつくって行かない限りは」

「気にするな! 時間もつくるな! まさか……俺の名前も弟から聞き出したのか!?」

「名前? いやー、まさか。弟くんのことを知ったのは、こっちに戻ってきてからだよ。オヅマが前にリュリュちゃんの弟がアカデミーに入ってるみたいなこと言ってたんで、どんな子かなー? と思って見に行ったの」

「『見に行ったの』じゃない! 弟に関わるな!!」


 マッケネンが憤然と言っても、トーマスはどこ吹く風だった。


「君の名前を知ってたのは、受験票を見たからだよー」

「受験票……?」

「君、受験票落としたとか言って、真っ青になってたじゃんか。拾ってあげたんだよ、僕。覚えてない?」

「え? ……あ……え?」


 思わぬ角度からの話にマッケネンは混乱した。その様子を見たトーマスは、大仰なため息をつく。


「恩人だとか言ってのにねぇ。あーあ、てっきり入学してきて恩返ししてくれると思ってたのに、なんだろうねー。不合格なんてさ」

「…………」


 マッケネンの脳裏に、すっかり忘れ去っていた記憶がよみがえった。



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*1.本編第二部第四章あたり(オヅマがズァーデンに修行に行っている頃)です。

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