第四百二十七話 マリーのお説教(2)
「……僕が?」
「そうよ。言い方はひどいけど、お兄ちゃんなりにアドルのことを心配してるのよ。だって、アドルはやっぱり小公爵様でしょう? 身分の高い人には悪い奴らが寄ってきたりするから、友達なんて言っても、本当のところ、どんな人間かわからない、って」
「それくらい……僕にもわかるよ」
「そうね。だから本当はお兄ちゃん、ちょっと寂しいのかも」
「寂しい?」
「だってお兄ちゃんは、自分がアドルの友達第一号だって思ってるんだもの。それなのに自分の知らない友達がいるなんて聞かされたら、そりゃあちょっとフクザツな気持ちになっちゃうわよ」
マリーはそう言って笑った。
いつもの無垢な笑顔……。無垢な言葉……。
最初に会ったときから、マリーはいつもアドリアンを目覚めさせてくれる。
今も、ささくれたアドリアンの心にするりと入ってきては、優しく頬を叩いて、閉ざしていた瞳を見開かせてくれるのだ。
友達……。
本来、それがアドリアンの望むオヅマとの関係であったはずだ。
それなのにランヴァルトのことを考えると、どうしても彼我の差を感じて儘ならなくなる。
本当にマリーの言う通り、自分は何に怒っているのだろう?
一体、何をどうしたいと思っているのだろう?
自分の心なのに、自分の思い通りにならない……。
アドリアンが溜息をついていると、いきなり後ろから怒鳴られた。
「おい、さっきから聞いてりゃ……なに勝手なこと言ってやがる!」
後方で警備についていたはずのオヅマが、いつの間にか背後に立っていた。
「なによぉ。本当のことでしょ」
振り返るまでもなく兄だとわかったマリーがすぐさま言い返す。
ふてぶてしく言う妹に、オヅマは猛然と抗議した。
「俺が心配性だって? そりゃ、お前がしょっちゅう危なっかしいことばっかしてたからだろ。近所の悪ガキ共と張り合って、高い塀から飛び降りごっことかして」
「もうしてないもん」
「今はな! 昔はそうだったって話だよ」
「なによ! さっきまで知らんぷりして後ろのほうにいたのに、聞き耳たてちゃって」
「だから俺は警護に来てるんだって言ってるだろうが! 情報収集のためにある程度……っ……て」
アドリアンがじっと見ていることに気付くと、オヅマは急に口を噤み、少し離れた。
「あ……邪魔した……な」
気まずそうに言って再び後ろに下がろうとするのを、アドリアンは呼び止めた。
「オヅマ、悪かった」
「……え?」
「この数日、君に対して理不尽に怒っていた。すまない」
思ってもみない謝罪にオヅマは面食らっていたが、ボケッと固まった兄の腕をマリーが小突く。
「お兄ちゃんも、ホラ!」
「あー……なんだ、いや。俺も……っていうか、俺がちょっと言い過ぎた」
ポリポリと頭を掻きながら、ボソボソと少し決まり悪そうに詫びてくるオヅマを、アドリアンは軽く手を上げて制した。
「いや……君の言う通りだ。僕は確かに友達と呼べる人は少ない。あまり人付き合いも上手じゃないし、君みたいに楽しい話もできないし……」
「いや、そんなことはねぇだろ。お前、わりとタラシだよ」
「タラシ?」
「あー……えーと、その、アールリンデンでもけっこう……その、人気あったじゃねぇか。青月団のガキ共もお前にすっかりなついてたし、女どもなんてトロンとした目になっちまって、それこそエッダさんまでお前にゃ骨抜きにされてたし……」
だんだんと話が奇妙な方向に流れ始めて、アドリアンは眉を寄せた。
「…………オヅマ。君、謝ってるんだよね?」
「えっ? 謝ってるぞ。うん? 謝ってる……よな?」
オヅマはまた何か不穏な空気を感じて、マリーに助け船を求める。
こういうときにはとことん不器用な兄にマリーは嘆息すると、パンパンと手を打った。
「はいはい! じゃ、仲直りね。これでケンカはおしまい! さ、二人とも仲直りの証として、はい、ギュッッと」
「ギュッと?」
「お父さんがよくやってるの。お母さんとケンカしたときに、ギュッってハグして仲直りしてるわ」
「…………」
「…………」
しばしの間のあとに、オヅマは怒鳴った。
「なんだ、それ! なんでそんなことしないといけないんだよ!」
「恥ずかしがることないじゃないの。アドルがこっちにいたときには、一緒に寝てたくらいなんだから」
「寝て、って……あれは、コイツが寝ぼけて勝手に俺のベッドに入ってきただけだ!」
「同じことじゃない」
「違うッ。お前、また妙なこと考えてるんじゃないだろうな?!」
「妙なことって?」
「恋人のフリとか何とか訳の分かんねぇ話を…………うオッ」
兄弟ゲンカを遮るように、アドリアンはオヅマを抱きしめた。
一瞬で石化したオヅマの肩をポンポン、と叩いて「悪かった」ともう一度謝ってから、そっと離れる。
それから平然と、周囲で同じように固まっている近侍やティアらに呼びかけた。
「行こうか。仲直りも済んだことだし」
まるで何もなかったかのようなアドリアンの態度につられるように、オヅマを除いた面々はそろそろと歩き始める。
「オヅマ……大丈夫?」
オリヴェルに声をかけられて、オヅマはハッと我に返るなり顔を真っ赤にして怒鳴った。
「お、お前はーッ! いきなりなにしてやがんだァっ!」
オヅマがそういう反応をするのは、アドリアンには既に想定済であった。クスリと笑ってから振り返ると、あきれたように言った。
「まったく、ハグするくらいのことで、何を恥ずかしがってるんだか。前々から思ってたけど、君、意識し過ぎだぞ」
「だ、だれがッ!」
「確かに昔は近侍と主人の間で何だか妙な習わしがあったとかいうけど……心配しなくても、君に対してそういう気持ちを持つことはこれまでにもなかったし、今後も一切ない! 誓ったっていい」
「俺だって、そんな気ねぇわ!」
「だったら問題ないじゃないか。解決だ。これからは妙に意識しないでくれ。かえってこちらが気恥ずかしくなる」
ピシャリと言い切ってアドリアンは再び前を向いて歩き出す。
近侍らは誰も何も言わなかったが、一様にホッとした表情で
唯一、オヅマだけがしばらく唖然と突っ立っていた。
最終的に、何だかわからないところに着地した気がする。
「いろいろと悩み深い年頃だな、オヅマ。とりあえず行くぞ」
苦笑いを浮かべて、警護役のマッケネンが突つく。
オヅマは仕方なく後に続いた。
本当はアドリアンに訊きたいことがあったはずなのに、訳が分からなくなってしまった……。
まだどこか釈然としないものをかかえながらも、オヅマはその場で追求するのは控えた。ともかくはマリーのお陰で仲直りはできたのだから、今後、また話す機会はあるだろう。…………
その後、レーゲンブルトの権力者・マリー嬢の一喝によって、及び腰の近侍一同はもちろん、同行していた騎士らや、ナンヌ、サビエルも輪舞の輪に加わった。
どうしても足と手が一緒に出てしまうエーリクや、意外に踊りの才能があったテリィ、見知らぬ村娘と手を繋ぐだけで顔を真っ赤にしているマティアスなどをからかったりしつつ、皆で踊っている間に、この数日間のケンカは過去の笑い話になっていった。
そうして帰ったときには、もはやケンカのことなど忘れ去られるほどの事件が待っていた。
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