第九章

第三百九十六話 ルーカスの試験

 ヤーロォーイィーホォォー!

 ヤーロォーイィーホォォー!


 ティボの馬呼びの声が響く。

 領主館後背こうはいの少し丘になった雪原に散っていた馬たちが、呼びかけに応じるように集まってきた。


「おーおーおー、スゲェ。お前、こんな才能あったとはなぁ」


 オヅマが感嘆すると、ティボは満更でもないようにしし鼻を激しくこすった。


「ヘヘッ! 騎士様たちも、誉めてくれんだぁ」

「そりゃそうだよ。こんなのできる奴、見たことねぇからな」


 領主館の下男として雇われたティボであったが、偶然、逃げた馬を探し当てて穏便に連れて帰ったことから、騎士団での馬の世話などもするようになった。なぜか馬たちに気に入られるらしく、今や騎士団の厩番うまやばんとして重宝されている。

 元々、働き者であるので、下男の仕事も細々こまごまとこなして、ネストリに目を付けられることもなく、うまく立ち回っているらしい。


 ふぅぅー、とオヅマは深呼吸した。

 吐いた息が白く薄曇りの空へと消えていく。

 住んでいるときには当たり前だった、この清新な冷たい空気が快い。

 見渡す限り、地平まで白く続く大地も、いつかやってくる春の土を眠らせて、今はただ静かに曇天の空に向き合っている。

 茫漠と広がる白と灰の景色は、一見寂しげだが、同時に清らかで美しい。……


 あの晩餐の翌日、オヅマはルーカスに呼ばれた。



***



「よぅ、ご機嫌麗しゅう。オヅマ公子。なかなかどうして、いつも楽しませてくれるね」


 あの時、無表情にオヅマを北の塔へ連れて行けと命じた当人と同一人物かと疑いたくなるくらい、ニヤニヤと笑っている姿は、いつもながらふてぶてしく、読めない。


「お呼びと伺って参りました。ベントソン卿」


 オヅマは軽く礼をしてから、こちらも昨晩の騒動など、とんと知らぬとばかりに澄まして言った。

 ルーカスはフンと鼻を鳴らした。


「まったく、食えない奴だよ。お前は。なんだってお前みたいなのを見つけてしまったんだろうな、ヴァルナルは。どうにも運がいいんだか、悪いんだかわからん」

「俺のことはともかく、母さんに会えたことに関しては、喜んでいると思いますよ」


 北の塔から出たあと、すぐさまミーナの元へ向かったヴァルナルは、それこそ必死になって、自分が公爵夫人に憧れていたのは事実であるものの、あくまでも憧れであって、それこそ男女の仲になることを望んだのではない! ということを熱弁した。

 泣き疲れて眠ったティアが隣の部屋にいるというのに、そんなことを息子の前で語り出す夫に、ミーナは最初戸惑い、あまりにもしつこく言い立てるので、静かな迫力を滲ませてヴァルナルを黙らせた。


「あとで、ちゃんと、お伺いしますから……! 部屋にお戻り下さいませ」


 にっこり笑いつつ額に青筋を浮かべるミーナに恐れをなしたのか、ヴァルナルはすごすごと用意されていた客室に戻っていった。

 オヅマは二人のやり取りを黙って見つつ、半ばあきれ、半ばホッとしていた。ミーナも、最初は身分違いであることを気にしていたが、男爵夫人としてただ夫を立てるだけではなく、それなりに物言える関係らしい。


 朝には仲良さげに話していたから、どうやらヴァルナルの必死の弁明は受け入れられたようだ。わかりやす過ぎるくらいに嬉しそうなヴァルナルの笑顔に、オヅマは心底あきれた。そんなオヅマを見ても、ニコニコ笑っているのだから……もう、勝手にしてくれ。


 白けた表情のオヅマを興味深げに見つつ、ルーカスは頷いた。


「まぁ、確かに。あの男爵夫人を捕まえたことに関しては、誉めてやってもいい。不器用なヴァルナル・クランツにしては、頑張ったよ」

「……なんで上から目線?」


 ボソリとオヅマがつぶやくと、ルーカスは聞こえているくせして、空とぼけて首をかしげてみせる。

 どっちが食えないんだか。

 オヅマは眉を寄せると「用件は?」と、単刀直入に問うた。


「あぁ……ちょっとばかり、お前に試験だ」

「は?」

「解答次第で、お前達の処分が決定される」

「はぁ? なんですか、いきなり。そんなことだったら、アドル……小公爵様も呼んだほうがいいでしょうが」

「いいや。この試験を受けられるのは、お前だけなんでな」


 オヅマはハァと面倒そうにため息をつくと、尋ねた。


「なんですか?」

「サラ=クリスティア公女をレーゲンブルトに連れて行った理由は?」

「は?」

「まさか公女様がお可愛らしくて、将来、嫁にするつもりでさらっていったとかいうわけでもないだろう?」

「オッサン、ボケたのか?」


 あきれ返って言うと、ルーカスは即座にオヅマの両頬をつまんで、ぐいーっと引っ張った。


「痛い痛い痛い痛い、痛いだろッ!」

「まだまだガキだな。よく伸びる頬っぺただ」

「っとに……」


 オヅマはヒリヒリと痛む頬をさすりながら、早口に言った。


「ティアが面倒くさい奴らに連れて行かれるかもしれないだろ」

「面倒くさい奴?」

「ハヴェルの母親……なんて言ったっけ? サコロッシュの女狐だったか? 例の不愉快な奴らだよ。ティアの母親も、そいつらにそそのかされて、いいように使われて、捨てられたんだろ」

「なるほど……そのへんの経緯についても知ってたわけか」

「マティの母さん……ブルッキネン伯爵夫人が、わざわざ緊急の手紙を送ってきてくれてね」

「あぁ……そうか、ブラジェナか。なるほど」


 ルーカスは頷いてから、不思議そうに問うてきた。


「ブラジェナであれば、ペトラのことも、サラ=クリスティア公女のこともこき下ろしていそうなものなのにな……お前、よほど公女を気に入ったんだな」

「先にティアに会ってたってだけだよ。そうでないにしろ、生憎、俺はマティの母さんやら、ベントソン卿みたいに、を受けていないんでね」


 オヅマが嫌味たらしく言うと、ルーカスはやや眉を上げたものの、特に怒る様子もなく続けた。


「で、女狐の命を受けたてんが公女をかどわかす前に、お前が奴らの目の前から掻っ攫っていったと……いやー、まさしく騎士だな。そこらの作家に話したら、いい感じの恋愛小説にしてくれるんじゃないのか?」


 オヅマはもう返事する気もなかった。

 どうして大人ってやつは、男と女が絡むとすぐに恋愛話に持って行くんだろうか? だから色ボケしているのかと聞きたくもなるのだ。


「で、もし仮に奴らが公女を連れて行ったとして、何が問題になると思ったんだ?」


 急に鋭く問われて、オヅマはキョトンとなった。


「は?」

「奴らが面倒なことを考える、面倒な奴らだということに異論はない。だが、面倒くさそうな連中から守るために公女を連れて行った……というだけでは、言い訳としては粗いな。奴らが公女を連れて行って、どうするつもりだったか? 奴らの計略から公女を守るため……というなら、その計略が何であったかを、具体的に示さないとな。ただ危険というだけの理由で公女を攫っていったのでは、お前が奴らから糾弾されても、こちらとしては弁護のしようもない」

「ティアを攫ってどうしようとしていたか……?」

「そうだ。それが明確に出せなければ、今後、奴らとの駆け引きはできんぞ」

「…………」


 考え込むオヅマにルーカスはなおも付け加えた。


「サラ=クリスティア様の価値がなんであるか……だ」

「ティアの価値……」


 オヅマはつぶやいて、しばし考える。

 ティアの価値……公爵家の公女……アドリアンの妹……公爵の娘……グレヴィリウスの娘……。


「…………相続」


 ボソリと言うと、ルーカスはピクリと眉を上げ無表情になる。

 オヅマはルーカスを鋭く見つめた。


「相続だな? 公爵が……公爵閣下が死んだあと、ティアの取り分について、奴ら、何だかんだと割り込んでくる気だろ?」


 ルーカスはうっすらとした笑みを浮かべて、なおも問いかける。


「あの時点ではサラ=クリスティア様は、認知もされておらぬ状況だぞ」

「そんなの関係あるかよ。名目がどうあれ、ティアが公爵閣下の娘だってのは、グレヴィリウス内では周知の事実なんだから、どうとでもするさ。それこそ公爵が死亡したあとにだって、認知していたと言い立てることだって、やりそうなもんだ。だいたい、庶子にだって相続権はあるんだからな」


 非嫡出子の場合、取り分としては少なくなるものの、相続権はある。嫡出子がすべて死亡した場合のとして、庶子にも需要があるからだ。相続という権利において縛り、いざというときには義務を課すのだ。


「ほう? そんなことまで勉強しているのか?」

「なんか教えられたんだよ。俺の立場がどうだとかなんとか言って。そんなことどうでもいいだろ。ティアを向こうに取られたら、ティアの分の相続権を利用して、アドルがグレヴィリウス公爵家を継ぐことにも、横やりを入れてくる可能性がある。違うか?」

「それを阻止するためにレーゲンブルトに連れて行ったと?」

「そうだよ!」


 オヅマは堂々と言った。

 本当のところ、ティアを連れていく時点では、まったくそんなことまで考えていなかった。しかし結局、そういう問題が関わってくる可能性があったのなら、自分の選択は間違っていなかったということだ。


「フン……ま、及第点だな」


 ルーカスはニヤリと笑って言った。


「何でだよ! 満点だろ!!」

「あそこまでヒントをもらっておいて、何を言ってるんだ。甘えるな。それに満点だったら、そのまま帝都のアカデミーで開かれるマシュ=トゥシュ・ムラーゼク老師の特別公開講義を受けてもらうつもりだったが、その方がいいか?」

「…………いらないです」

「だろう? ま、今回は及第点だから、仕方ない。多少、罰ということで、レーゲンブルトでの集中補講と騎士団の特別訓練の参加で手を打ってやる」

「……え?」


 オヅマがすぐに反応できない間に、ルーカスはさらに詰めてくる。


「但し、小公爵様含め近侍全員参加が必須だ。説得できるか?」

「もちろん!」


 オヅマは即答した。

 すぐに出て行こうとして、扉の前でピタリと止まる。振り返ると、ルーカスにペコリと頭を下げた。


「ありがとうございます! 団長代理」

「言っておくが、これは公爵閣下のお決めになったことだ。ありがたく思うなら、公爵閣下に礼を尽くせ」


 抜け目なく言ってくるルーカスに、オヅマは軽くため息をついた。


「……っとに、ベントソン卿は公爵閣下に甘いですね。ともかくありがたく謹慎させていただきます!」


 ルーカスはヒラヒラ手を振った。バタンと扉が閉まると、やれやれと肩をすくめる。

 あの調子だと説得というより、既成事実で進めていきそうだ……。


 ルーカスの予想通り、オヅマからレーゲンブルトでのを聞いたアドリアンは躍り上がって喜び、困惑するマティアスや、少し遅れて事態を把握するエーリク、荒くれ者の多いレーゲンブルト騎士団での訓練と聞いて震え上がるテリィのことなどそっちのけで、その日のうちからレーゲンブルト行きの準備が進められたのだった。

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