第三百六十一話 帝都の出会い(5)

「あ……」


 アドリアンは皇宮こうぐうでの一連の出来事を思い出した。

 そういえばあの時、ランヴァルトは慰謝すると言っていたのだ。但し、一昨年のように家同士のいさかいとならぬようにと提案され、アドリアンは受け入れた。この場合、アドリアン側から慰謝金などの請求か、不問に付す旨を伝えるべきであったのだが、例の一件でそれどころではなくなってしまい、すっかり忘れていた。

 アドリアンはしばらく逡巡したあとに、ランヴァルトに頭を下げた。


「なんらの連絡もせずにすみません。あのことであれば、もはや慰謝は不要です。お気持ちだけで十分にございます」

「……よいのか?」

「はい……ご迷惑をおかけしました」

「いや。君がそのように決着をつけることは予想していたが……そういえば、あの近侍はその後、特に問題はないか?」


 急に核心に触れられた気がして、アドリアンは胸がズキリと痛んだ。


「……どうかしたのか?」


 急に表情が固まったアドリアンに、ランヴァルトが軽く首をかしげる。アドリアンはあわてて強張った顔を隠すように目を伏せた。


「いえ……特に何も。問題なく……」


 なんとか返事をするが、既に動揺を見られてしまったあとの声は弱かった。

 クスリとランヴァルトが笑った。


「君は嘘がつけぬ性質だな。母上と一緒で」

「母に会ったことがおありなのですか?」

「そう多くはないが、一応、挨拶程度には」

「…………」


 アドリアンは黙り込んだ。

 一度も話すことのない、肖像画でしか知らぬ母。

 思い出も何もないアドリアンには、その存在をどのように扱うべきなのかわからない。それなのに以前シモンに言われたような悪口を聞くと、腹が立ってたまらなくなるのだ……。


「もしや、亡くなりでもしたか?」


 急に問われて、アドリアンはハッと我に返った。


「え?」

「あの近侍が、あの後、急死でもしたのかと……それで私にしらせるのも躊躇したのではないのか?」

「いえ、違います! そういうことじゃありません」


 あわてて大声で否定してから、アドリアンは息を呑む。響き渡った自分の声に身をすぼめた。


「……申し訳ございません」


 小さい声で謝るアドリアンを見て、ランヴァルトはクックッと肩を震わせた。


「いや。素直でよろしいことだ。まだ子供であられるのだからな」


 ランヴァルトは鷹揚に言って許してくれたが、アドリアンは『子供』だと言われたのが、少し悔しかった。軽く咳払いしてから、しかつめらしい顔で、一応公然となっている理由を話す。


「その……あの近侍は家族の具合が悪くて、しばらく休暇をとっております」

「なるほど。それでそんな暗い顔をしているのだな」

「はい?」

「殴られて腫れてはいたが、美しいルビーの髪をしていたし、背も君より低くて華奢そうであった。しばし会えぬことで、君が打ち沈んでも不思議はない」


 アドリアンはしばらくランヴァルトの言った意味がわからなかったが、唐突に理解すると顔を真っ赤にして否定した。


「ち、違います! そういうことじゃなくて」

「そう気に病むことでもない。君くらいの年であれば、未熟であるがゆえに迷いやすいものだ。近侍など、昔はそうした相手として勤める者もいたようだし」

「本当に違います。閣下のお考え違いです」

「そうなのか? それにしてはこの近侍の話になった途端、君はひどく取り乱しているようにみえるが」

「それは……」


 アドリアンは指摘されて、またうつむいた。

 どう言えばいいのかわからない。いまだにアドリアンはカーリンの件について、自分の気持ちを整理できていない。だが、そのことをランヴァルトに相談するのは、あまりに個人的すぎて失礼な気もする。

 黙り込んだアドリアンに、ランヴァルトは話を変えた。


「ところで今日は土産でも買いに来たのかね?」

「え? あ、はい。あの、今回帝都に来ることができなかった近侍が一人おりまして」

「ほぉ。彼も病気か?」

「いえ。違います。あの、実は……稀能キノウを習得するためなんです」


 ランヴァルトの眉がピクリと上がる。「稀能を?」


 アドリアンはすぐにランヴァルトもまた稀能を持っていることを思い出し、先程までの重苦しい気持ちを振り払うように身を乗り出した。


「はい。あの、クランツ男爵の息子なのですが、男爵と同じ『澄眼ちょうがん』という稀能を学ぶために、その師匠のいる地へと向かったのです」

「ほぉ……それはまた、将来有望なる近侍を持たれたものだ」


 ランヴァルトはさすがに少し驚いたように、紫紺の目を見開いた。


「しかし息子とは……稀能の技は親子間で自然に伝わるものでもないのに、クランツ男爵の子息は、よほどに父上から篤く薫陶を受けていたようだな」


 ランヴァルトが感嘆するように言うと、アドリアンはすぐに訂正した。


「いえ、オヅマはクランツ男爵と血の繋がりはないんです。元々は平民だったのを、男爵が才能を認めて騎士見習いにして……そのときにオヅマの母親と妹も一緒に領主館で働くことになって、その後、オヅマの母とクランツ男爵が結婚したんです」

「あぁ。そういえば、どこぞで耳にした。クランツ男爵が新たな妻をめとったと。賢夫人と評判らしいな。……ではそのオヅマというのは、くだんの妻の連れ子というわけか」


 ランヴァルトは得心してから、少し皮肉げにつぶやいた。


「……そういうことであれば、ちまたの噂のように、必ずしもクランツ男爵が奥方の美しさにうつつを抜かして……ということでもなさそうだ」


 アドリアンは意味深に話すランヴァルトに首をひねった。


「どういう意味でしょう?」

「クランツ男爵はそのオヅマとやらの才能に惚れ込んで、正式な嫡子ちゃくしとすべく、その母親と婚姻を結んだのでは?」

「まさか! クランツ男爵はそんなことを考えるような人じゃありません。本当に奥方を好いておいでなんです。それは僕も間近で見て知っています。立会人として結婚式にも出席しましたから」


 アドリアンが少々ムキになって否定すると、ランヴァルトは素直に謝った。


「ハハ。すまぬ。貴族の結婚というは、なにかしら相互の利益なしに成立することは少ないものだからな。少々うがった見方をしてしまったようだ。――― それで、そのオヅマという近侍の土産を買うつもりであったのか?」

「あ……そう、ですね。その土産というか……」


 話が戻ると、アドリアンは少し逡巡しつつ、オヅマに服を贈ることになった経緯について、簡単に説明した。すべてを聞いたランヴァルトは、心底楽しげに大笑いした。


「なるほど。つまり君は、修行の地でのびのびと過ごしているその近侍が羨ましくなって、少々意地悪な報復を考えているわけだな?」


 要約されると、自分の子供じみた考えが恥ずかしかった。アドリアンは話し終えてから、すぐに撤回した。


「でも、やめておきます。話してたら、自分の考えが子供っぽいものだと気付きました」

「なぜ? 構わないだろう。君はまだ子供なのだから」

「……半分大人シャイクレードではありますし、来年にはアカデミーにも入ります。そうしたらあっという間に十七(*成人年齢)になりますから」


 精一杯背伸びしてみせるアドリアンを見て、ランヴァルトは微笑みながら、さとすように言った。


「そう生き急ぐものでもない、アドリアン。十七になる前であろうとなかろうと、いずれ、今のまま過ごすことを許されぬ時期がくる。その時には、否が応でも大人にならざるを得ないのだ……」


 そう言うランヴァルトは、十四歳の頃にはすでに皇家の後嗣争いに巻き込まれ、現皇帝の為に自らの兄姉を粛清している。いや、それ以外においても、皇宮の中で、早く大人にならざるを得ない環境であったのだろう。

 言葉だけではない重みを感じて、アドリアンは胸をかれた。

 ふと皇太子であるアレクサンテリの言ったことが思い出される。



 ―――― 貴畜キチク……

 ―――― 最も貴くて、最も忌むべきケダモノ……



 アドリアンは唇を噛みしめてうつむいた。

 そんなアドリアンを見て、ランヴァルトは軽く首を振った。


「すまぬ。年寄りくさいことを言ったな。忘れてくれ」

「いえ、そんなことはありません。とても有益なお言葉です」

「……そうか」


 ランヴァルトは静かに頷くと、残っていた珈琲を銀のケトルから自分のカップに注いだ。ぬるくなった珈琲を一口飲んでから、再び話を戻す。


「あぁ、そういえば……君の要望を満たしそうな店が一軒あるぞ」

「え?」


 アドリアンが顔を上げると、ランヴァルトは目を細めた。


「近侍の……オヅマと言ったか? その者に服をやるのだろう?」

「あ、はい」

「君が溜飲りゅういんを下げたいのであれば、場末の古着屋で役者の払い下げの服でもやればよかろうが、今回については君の度量をみせたほうが、彼には効果的であろうよ。今後のためにも」


 ランヴァルトの助言に、アドリアンは素直に頷いた。



 

 アドリアンにとって、ランヴァルトは非常に魅力的な人物だった。

 最初の印象は少し怖くも思ったが、会話をするほどにアドリアンはもっと彼と話したくなった。

 ランヴァルトの穏やかで悠揚ゆうようとした物腰も、時折見せる悪戯いたずらっ子のような眼差しも、深い経験に裏打ちされた含蓄がんちくある言葉も、アドリアンにはすべてが印象深く、端正な風格を感じさせた。

 だからオヅマの服を買う店を紹介してもらうために、また次に会う約束をしてもらえたとき、アドリアンは嬉しくてたまらなかった。断ることなど選択肢にもない。再び会えるその日を、それこそ指折り数えて待ったのだった。

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