第三百一話 ホボポ雑貨店(2)

「……ということです」

「なにがだ! 知るか!」

「そーいわずー。『お互イさま』ネ。ラオ兄さん」


 エラルドジェイがカタコトっぽく言うと、ラオは苦々しく煙を吐く。


「っとに…だからさっきからコイツ、来るなり『エッジェイ、エッジェイ』って、うるさかったんだな。下手くそな帝国公用キエル語でカタコトしか通じないし」

「本当にな。サーサーラーアン、アンタ、あのあと帝都から周辺ぐるっと回って帰る、っってたけど、あんまり上手くなってないな、言葉」


 サーサーラーアンは肩をすくめた。


「むツかしいネ。キエル語。帝都、ルティルム語、喋ルの人多い。助かっターネ」

「いや、駄目じゃん。それ…」


 エラルドジェイはやれやれと嘆息する。

 帝都においては、第二言語としてルティルム語を使う人間も少なくない。そちらの言葉で話せば通じたので、帝国公用キエル語の習得が進まなかったのだろう。


「っとに…あン時にゃ、お前がいつまで経っても来ないから、俺一人でヘルミ山に向かったんだぞ。そしたら、もうレーゲンブルト騎士団が山、占拠しててよ。手出しできなくなっちまった。気づきゃあクランツ男爵にきれいに掻っ攫われちまって…俺の計画が台無しだァ」


 ポッポッと激しく煙を吐いて、ラオは赤い顔で文句を垂れる。

 エラルドジェイは苦笑いを浮かべてオヅマを窺ったが、一方のオヅマはさっきから感じていたとの齟齬そごに、ますます顔を固くしていた。

 ラオの言葉で、オヅマはラオの店がいまだに小さく、貧民街の一角にある理由がわかった。

 ホボポ雑貨店が繁栄するきっかけとなったのは、それこそ黒角馬くろつのうまだったのだ。――――


 店主のラオはエラルドジェイから黒角馬の情報を聞きつけ、おそらく一人では無理だとわかったあとに、傭兵ようへいなどを雇って捕獲したのだろう。当初、黒角馬は商人たちの運搬用の馬として、丈夫で馬力もあるため重宝された。徐々に帝都で知れ渡るようになり、最終的には皇家の近衛師団の馬として献上されるまでになった。

 では。――――


 オヅマは気まずい思いを噛み締めた。

 ファル=シボの森でエラルドジェイを助けられなかったことも、黒角馬をしてしまったことも。

 の記憶を利用して、オヅマは今の状況を手に入れた。そのことによって違いが生じるのは当然だったが、直接的に自分が関わっていない変化には、正直無頓着だった。

 エラルドジェイがと同じように怪我して、森の中を彷徨さまよっていることにはまったく思い至らなかった。ラオが今に至るも黒角馬を手に入れることができず、ホボポ雑貨店がいまだ小さな雑貨商としてくすぶっていることも。


「どうした?」


 エラルドジェイが暗い顔のオヅマに尋ねかけてくる。オヅマは自分でも顔が引き攣るのがわかった。それでも無理に笑みを浮かべる。


「いや……アンタがレーゲンブルトに土地勘あるのが不思議だったんだけど、けっこう来てたんだな」


 マリー達を誘拐したときも、シレントゥの埠頭倉庫なんていう、土地の人間でなければ知ることもないような辺鄙へんぴな場所を指定してきた。ヘルミ山だって、地元の人間でも忌避するような場所なのに、黒角馬について知っていたということは、あの辺りをよほど熟知しているということだ。

 しかしオヅマの問いにエラルドジェイは少し顔を歪めた。


「まぁ……隣だからな」

「隣?」


 オヅマが聞き返すと、エラルドジェイはちょん、とオヅマの腰の剣をつついた。


「それ、そのはがねさ。そいつを作ってる場所で、俺、働いてたんだ。奴隷としてな」

「え……」

「朝から晩まで、鉱山でさ。他の奴らがどんどん死んでって、最後に残ってた奴も死んだときに逃げた。ラオとは逃げた途中で会って……その時からの仲だ」


 オヅマは脳裏で素早く地図を広げた。

 サフェナ=レーゲンブルトと隣接するのは、セトルデン。シェットランゼ伯爵の領地だ。鉄鋼に関わる豊富な資源を基にして、その土地に根を張る豪族であったが、確か現公爵エリアスの曽祖父ベルンハルドの時代に、グレヴィリウスの配下になったはずだ。

 エラルドジェイが元奴隷であることは知っていたが、まさか鉱山で働かされていたとは思わなかった。正規の鉱夫でさえ、その仕事に音を上げる者は多いのに、まして奴隷であったならば、どれほど酷い待遇であったのかは想像に難くない。おそらく人間扱いなどされていなかったはずだ。

 空気が重くなったと感じてか、エラルドジェイはパン! と手を打った。


「ま、それはそれとして! サーサーラーアン、なんかこの布のほかに何かないのか? このオッサン、珍しいモンには目がないんだぜ。象の形の尿瓶しびんとかさ、百年塩漬けにされた人魚の骨とか」


 エラルドジェイが言ってる間にも、ラオはブツブツと「ありゃ贋物にせものだった…」と悔しそうにつぶやいている。


 オヅマは机に置かれた布に目をやった。

 一見、くすんだような白だ。黄ばんだとまでは言わないまでも、まっさらな白でもない。

 サーサーラーアンの説明によると、これは傷んだり、古くなっているわけではなく、この生地きじ特有の色なのだという。西方の一部地域にある固有の植物から取り出した繊維で糸を紡ぎ、その糸で作った織物らしい。

 長くその植物の自生する近辺の村でのみ生産・消費されていたのだが、偶然、サーサーラーアンはその布を手にする機会があり、生地の肌触りの良さに惚れ込み、大量に買い込んだのだ。

 そのときには夏に向けて帝都に持っていけば売れるだろう……と大いに期待していたのだが、残念ながら目論見はハズレた。

 帝国の商人の反応は、おおむねラオと似たりよったりであった。

 サーサーラーアンはそれこそ藁にもすがる思いで、エラルドジェイに言われたこのホボポ雑貨店を訪れていたのだ。


 ラオとエラルドジェイが、二人独特のノリで盛り上がっている間、手持ち無沙汰のオヅマはなんとなくその布を撫でてみた。確かに言われるように、サラサラとした触り心地のいい生地だった。

 サーサーラーアンがニコニコと商売人らしい愛想の良さで、サンプルの生地を手渡してくる。オヅマはよくわからないまま受け取って裏返したりしていたが、指先に触れる素材の滑らかな風合いに、なんとなくぼんやり思い出した。


 の中で、確かこんな布が流行はやったような気がする。

 当初、平民しか着ていなかったものが、貴族にまで広まったのは、マリーがその布でドレスを作ったからだ。

 安価で丈夫で、しかも夏の暑さの中でも着心地のいいその布をマリーは気に入り、仲の良かったや針子らと一緒に、布を染めたり、デザインまで考えてドレスを作った。

 当初「安物」と馬鹿にしていた令嬢たちも、涼しげでいながら清楚な装いのそのドレスに、結局は我先にと争って生地を買い求めるようになった。……


「おーい。どうしたぁ?」


 エラルドジェイにのんびり声をかけられて、オヅマはハッと我に返った。


「あ……いや、その……涼しそうな生地だと思ってさ」


 話しながらエラルドジェイにサンプルの生地を渡すと、受け取ったエラルドジェイも指先で感触を確かめて頷く。


「あぁー。確かにな。ハハッ、さっきの『施し』で配ってた毛布とは大違いだ」

「毛布? なんだ、奴ら。まーた配ってやがんのか?」


 ラオは聞きつけると、眉をギュッと寄せた。パイプをふかせながら、あきれたように毒づく。


「いい加減、やめりゃーいいのに。十年前ならともかく、もうだーれも欲しがってねぇってのにさ、アレ。役人だか、街の顔役の奴らが、ここいらの人間は並べーって、無理に並ばせてんだぜ。誰ぞへの、おべっかとりに。っとに、迷惑だよなぁ」

「……そうなのか?」


 オヅマは聞き返しながらも、なんとなく合点がいった。あの『施し』に並んでいた人々。数もそう多くなかったし、正直、物をもらわねばならないような身なりではなかった。


「このクソ暑いってのに、毛布なんぞいらねーってんだよ。しかもあの毛布、どこで仕入れたんだか、織りも荒いし、におうし。っとに、馬鹿にしてんぜ」

「確かにな。このクソ暑い中、あんな毛布抱えて帰るだけでも、汗かきそうだ」


 ラオとエラルドジェイの会話を聞きながら、オヅマの中でちょっとした悪だくみ(?)が浮かんだ。

 それとなく……ハヴェルを始めとする嫌味ったらしい大人連中に、一泡吹かせることができるのではなかろうか。

 大事おおごとにする必要はない。

 ただ、ハヴェルにおもねって、アドリアンを馬鹿にする、フーゴのような人間を歯ぎしりさせてやるような、そんな痛快なこと……。


「[この布、どれくらいあるんだ?]」


 オヅマはサーサーラーアンにルティルム語で尋ねた。 

 エラルドジェイとラオがキョトンとオヅマを見る。サーサーラーアンもびっくりしていたが、すぐにニコリと笑って、さっきまで背負っていた大きな荷物を指さして答えた。


「[これ全部]」


 オヅマはニヤリと笑った。


「よし、買った」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る