第二百七十六話 澄眼習得(3)

 立て続けに二つの稀能キノウを発現したせいなのか、オヅマはルミアとの立合いのあと、三日間寝込んでしまった。ほんの数時間ではあったが視力が喪失し、耳鳴りと眩暈めまいが続いていたので、歩くのも難しかったのだ。


「稀能って、けっこう不便なんだな」


 エラルドジェイは村で仲良くなったという、農家の娘からもらった紅柑子べにこうじの皮を剥きながら言う。酸っぱい匂いがして、オヅマは湧き出た唾を飲み込んだ。


「……ちゃんと体を鍛えたら、大丈夫になるさ」


 ムッスリと言って、少し沈んだ顔になる。

 ヴァルナルにも以前から言われていたことだが、やはり稀能という常人には及ばぬ逸脱した能力を使うことは、相当な負担が生じるのだ。身体が十分に成長しないまま無理に使えば、おそらく副作用でどんどん体が弱ってしまうだろう。


「ま、せっかく早くに発現するに至ったんだ。あとはゆっくり体になじませることだね」


 ルミアが言うと、エラルドジェイが聞き返した。


「なじませる?」

「あぁ。稀能ってのは、技を覚えてハイ終わり、ってなモンじゃないんだよ。その技を自分の体に馴染ませていくことで、より精度を増すこともできるし、まったく別のモンに仕立てていくこともできる。『澄眼ちょうがん』を極めた者の中には、人を見て、具合の悪いところを判別できる人もいたそうだよ」

「ほぇー。医者じゃん、それ。ばば様もできるの?」

「残念ながら、いまだに修養が足りないようでね。わかりやすく、もうあと数ヶ月ほどで死ぬような病の人間はわかるが、まぁ、そんなのは普通の人間であっても、気付きそうなもんだしね」


 オヅマは二人の話を聞きながら、浮かび上がる人物の姿に眉を寄せた。

 ドク、ドク、と心臓が大きく鼓動を響かせる。また、頭痛がしてきて額を押さえると、エラルドジェイが口に紅柑子べにこうじの実を一切れ、グイと押し込んできた。


「なーに、難しい顔してんだよ」


 オヅマはもぐもぐと実を食べてから、軽く一息ついて、ルミアに尋ねた。


「それって、例えばモノの一番弱い部分とかを見抜いたりするやつなんかもある?」


 ルミアは目をしばたかせ、問い返す。


「モノの一番弱い部分…? 急所ってことかい?」

「うん、そう。そんなやつだ。例えば橋とかでも、って場所を一撃するだけで、木っ端微塵になっちまうような…」

「えらく具体的だね。そうさね…それはつまり…」


 ルミアは立ち上がると、古びた箪笥たんす抽斗ひきだしから棒を数本取り出した。棒にはそれぞれ赤や黄の色が塗られている。それはオヅマには馴染みある棒亜鈴アレイだった。


 ルミアは黒の色が塗られた棒亜鈴をエラルドジェイに差し出すと「これ、曲げてみな」と、ニヤリと笑う。

 エラルドジェイはヒラヒラ手を振った。


「冗談でしょ、婆様」


 棒亜鈴は鉄でできたものだが、当然ながら重さに従って重く、分厚くなっていく。黒はもっとも重いので、よほどの怪力の大男が青筋たてて、ようやくほんの少し歪む程度だろう。それに長さも騎士団にあったものに比べると短く、中途半端な長さで、両手で曲げるように持つこと自体難しい。


 しかしルミアは無理にエラルドジェイに棒を持たせた。エラルドジェイは肩をすくめ、とりあえず棒の両端を持って曲げようとしたが、やはりうまく力を乗せることができずに、早々にあきらめた。


「無理、無理。ハイ、婆様の番」


 エラルドジェイがルミアに棒を差し出すと、ルミアはそのまま持っておくように言った。


「もうちょっと下の方、もっと下だよ。うん、そこらあたりだ」


 ルミアはわりと細かくエラルドジェイに持つ位置を指示すると、大きく深呼吸する。それからスゥッと目を細くして、息をしているのかわからないほど静かに、長く、息を吐いていく。

 無表情な顔に微かな笑みが浮かぶと同時に、ルミアは棒の一点に親指を押し当て、残りの指で棒を掴んで、そのまま親指でグイと棒を曲げた。


「うげー…」


 エラルドジェイは感嘆しつつも、少し気味悪そうに声を上げた。

 オヅマはその折れ曲がった黒の棒を見て、眉を寄せた。チラとルミアを見ると、少し得意げに笑っている。その顔は、やはりあの女に似ていた。親子なのだから、当たり前だが。


「こういうことかい?」

「……あぁ」


 オヅマはどこか気落ちした様子で頷いた。

 エラルドジェイは妙に沈んでしまった空気を壊すように、オヅマの肩をやや強めに叩いた。


「なーんだよ。言い出しっぺが、しょぼくれた顔しやがって。せっかくなんだから、お前もやってみたら?」


 能天気に言うエラルドジェイに、ルミアは大声で怒鳴りつけた。


「馬ァ鹿! この子は今、稀能の副作用で休んでいるんだよ。こんな状態で無理したら、また寝込んじまうだろ」

「あぁ、そういやそうだった。じゃ、やり方でも訊いておけば?」


 軽い調子でエラルドジェイに言われ、オヅマはしばらく考えてから、再びルミアに質問する。


「それって、一体、どう見えてるんだ?」

「どう見えて…? ふ…む、難しいことを言う」


 ルミアはポリポリと、額を中指で掻きながら考える。


「どう見える…というより、そこしか目に入らなくなるからね」

「なんだそりゃ」


 エラルドジェイは首を傾げたが、オヅマにはなんとなくわかるような気がした。

『千の目』によって対象を捕捉するときもそうだ。

 まるで世界がギュッとせばまったかのように、相手と自分しかその場にはいない。間違えようもなく、ただそこに存在することだけを知覚する。――――  


 考え込むオヅマのかたわらで、エラルドジェイとルミアが話を続けていた。


「あー、やっぱ稀能ってヤベェのな。周りが見えてないなんて、怖い怖い」

「そんなことをお云いだが、お前さんもことがあるんじゃないのかい? お前さんほどの手練てだれであれば、確実に自分が異能に近いものを発現しているのを感じたことはあるはずだよ」

「さぁ? どうだかね~」

「まったく、この食わせ者が。お前さんの身体能力がありゃ、稀能の技も一つどころか二つ三つとつかえそうなものだってのに」

「勘弁だよ~。キョーミないし~」


 面倒そうに言って、エラルドジェイは残っていた紅柑子の実をパクリと食べる。

 オヅマはジッとエラルドジェイを見つめて、問いかけた。


「稀能をつかっていたら、廃人になると思ってんのか?」


 エラルドジェイは驚いたようにオヅマを見てから、フッと笑った。親指で小鼻を軽く掻く。


「俺のことを、よぉくおわかりだねぇ? オヅマくん」


 皮肉げにエラルドジェイが言う。

 オヅマはハッとなり、目を伏せた。


 親指で小鼻を掻くのは、エラルドジェイの機嫌が良くないとき ―― ていに言うと、怒っているときだ。おそらくオヅマがまた、エラルドジェイ本人か、親しい人間しか知り得ないことを言ったからだろう。

 無理に尋ねてくることはないが、さすがに自分の内心までも読み取ったかのように指摘されると、不気味にも思えるだろうし、嫌悪もしてしまうのかもしれない。


 オヅマは言い淀んで、また沈黙した。

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