第二百六十二話 グレヴィリウス家の夜会(9)

 一方 ―――――


 エーリク・イェガにとって、夜会という活動はもっとも無意味なものだった。

 せめてアドリアンの警護という役割があれば、すこぶる意味のあるものとなり得たが、ただ親族と一緒に過ごせといわれても手持ち無沙汰でしかない。


 広間に入って早々に家族らの姿を見つけたものの、父母らは既にハヴェル公子と談笑しており、エーリクに気付いたのは次兄・イェスタフだけだった。


「なに、お前? なにしに来たんだ?」

「……小公爵さまに、今日は家族と過ごせと言われた」


 不満げに話すエーリクに、イェスタフは軽く肩をすくめる。


「ふん。せっかく小公爵さまが気を遣ってくださった…ってのに、ブーたれた顔してやがる」

「うるさい。ラーケル兄さんは?」

「エシルからも警備の騎士を出してるからな。そっちの監督官だ」


 エーリクは溜息をつくと、羨ましげにつぶやいた。


「いいな。俺も一緒にできないかな」


 イェスタフはそんな弟にあきれたように言った。


「ハー…やれやれ。勤勉クソ真面目どもめ。せっかくの夜会だってのに、ちっとも楽しむ気がないな。その制服からして。さっき、チラッと見たけど、お前と同じ近侍の奴はやたらとビラビラした服着てたってのに」


 マティアス、テリィ、キャレは三人とも夜会用の服を着用していた。中でもチャリステリオは、それこそ一週間前から選びに選び、帝都に来てから靴下やら手袋、ブローチなどの小物類をわざわざ新調したというから、よっぽど気合が入っていたようだ。


 しかしエーリクはアドリアンの警護をするつもりであったので、最初から動きづらい夜会服ではなく、いつもの近侍用の制服を着ていた。

 おそらくオヅマがいれば、同じ格好をしていたことだろう。

 今日ばかりは、小生意気な年下の少年の不在が恨めしかった。オヅマならば、きっとアドリアンを説き伏せて、二人で警護できていたはずだ。


「夜会服なんて、動きにくいだけだ」


 エーリクは脳内でテリィのやたらゴテゴテした、レースがはみ出しまくった夜会服を思い出し、苦々しく言った。

 イェスタフはしかりと頷いたあとで、ワインをぐびりとあおる。


「おい。飲み過ぎるな、ってラーケル兄さんに言われてんだろ」

「うるさいねぇ。まだ一杯目だっての」

「ここ、家じゃないんだからな。酔っ払って脱ぎだすなよ」

「お前、近侍になって口うるさくなったんじゃねぇの?」


 エーリクはムッと口を閉ざした。口うるさいのはマティアスの専売特許だというのに、自分が言われるなど心外だ。


 それでもイェスタフは弟からの忠告を守って、チビチビと舐めるようにワインを飲みながら、ぐるりと辺りを見回した。

 集中して耳を澄ませると、人々のさざめきの中から、チラホラと気になる単語が聞こえてくる。


「……さっそくグルンデン侯爵夫人が……」

「小公爵様はどうして一人で…」

「ベントソン卿とクランツ男爵が……」


 イェスタフは皮肉げに口を歪めると、弟に聞かせるともなく言った。


「しかし、夜会なんて行事に近侍を連れ歩かないなんてな。普通、ここぞとばかりに見せびらかすもんだってのに」

「……そうなのか?」

「よくは知らないけど…そういうもんじゃないの? いわゆる権威付けってやつだよ。ま、見たところお前らの中に、華のある奴っていなさそうだからなぁ。小公爵様お一人で十分ってのもあるけど…」


 近侍に見目好い者が数名含まれるのは、まさしくこうした場において、誇示するという理由もある。

 エーリクは憮然となった。


「一応、いるさ」


 そうは言うものの、それが自分でないことはわかっている。


 イェスタフはアールリンデンで一度だけ会った少年のことを、すぐに思い出した。


「あぁ、そういやオヅマ・クランツがいたか。でも、今はどっか行ってんだろ? 他にいないのか?」

「ほかは…」


 考えつく限り、あとはキャレぐらいなものだろう。ただ、オヅマと違って引っ込み思案で、いつもオドオドしているので、とてもではないが『華』があるようには見えない。 


 弟の言葉が途切れると、イェスタフは話を変えた。


「それにしても、小公爵様ってのはお優しい方だな」


 その言い方に若干の皮肉を感じて、エーリクは眉を寄せる。兄はニヤと笑うと、弟の肩を軽く叩いた。


「まぁ、そう威嚇すんなよ。見てみろ、あれを」


 クイと顎をしゃくるほうを見てみれば、ハヴェルが両親と話していた。

 母の斜め後ろには、ハヴェルと婚約した妹が控えている。

 いつも活発で、なんであればお転婆な部類の妹が、俯いてじっとしているのが、なんだか可哀相だった。


「今日来るのだって嫌がったんだぜ、あのルイースが。おそらく公子様からすれば、自分と結婚できるなんて名誉だろー…ってなモンなんだろうな。十二の娘の気持ちなんて、お構いなしだ。同じ貴族でも、さすがにあそこまで格が上がると、面の皮も厚いとみえる。そんな御人を相手にするには、小公爵様は少々、だと思ったのさ」


 エーリクは兄の指摘に頷くことはできなかった。

 確かに小公爵であるアドリアンは、ハヴェル公子のような権謀術数に長けたところはないのかもしれない。それは年齢からいっても、無理なことだ。いくら大人びているとはいえ、まだ十一歳でしかないのだから。

 だが、少なくともエーリクはこの数ヶ月、七竈ナナカマド館(*小公爵の住居の別称)で一緒に生活する間に、自然と彼をあるじと認めるようになった。

 きっと見ているだけでは、わからないのだ。

 アドリアンの言葉も態度も、偉ぶったところはないが、公爵の後継者としての威厳は十分にある。


「小公爵さまは、優しいだけの人じゃない」


 エーリクがはっきり言うと、イェスタフは少し意外そうに眉を上げた。


 エシルにいる頃、弟が声に出して主張することはなかった。だからといって従順というわけでもない。反論はしないが、黙って従わない。それがエーリクだった。


 イェスタフはエーリクが小公爵の近侍になることが決定したとき、心配だった。

 この無口で強情な弟が、誰かの下で腰も低くおべっかなぞ言うはずもなし、本当にやっていけるのだろうか…と。

 まして小公爵相手に。

 その頃の小公爵といえば、従僕の少しばかりのミスに癇癪を起こし、理不尽なことを言って、執事諸共に辞めさせた、などという噂も広まっていたのだ。


 しかしどうやらエーリクには徐々に小公爵への忠誠心というものが育っているようだ。小公爵という人の為人ひととなりについて、再考したほうがいいのかもしれない。


 一方、エーリクはふとこちらを見てくる視線に気付いて目を向けると、母の頭越しにハヴェルと目が合った。

 反射的に顔が引き締まる。


「俺、ちょっと風にあたってくる」


 声をかけられる前に、エーリクは踵を返してその場から離れた。

 どうせ今話したところで、父母も含め気まずいだけだ。

 この前も弓試合の話が父の耳に入って、不要な対立は控えろと、釘を刺されたばかりなのだから。


 家族から離れると、人気のない場所を探して、誰もいなかった小さなバルコニーに出た。


 すでに夕闇だった。

 さっきまで降っていた雨が蒸れた風を運んでくる。


 エーリクはこれまでに一度だけ、帝都を訪れたことがあったのだが、雨季の時期特有の湿気を帯びた風が好きになれず、以降は家族が帝都に向かうのを見送ってきた。夏場であっても冷たい、エシルの早朝の風が懐かしかった。


 来る途中で従僕のトレイから取ってきたライム水をちびちび飲んでいると、いきなりガシャガシャと耳障りな音がして、思わず視線を向ける。

 エーリクのいるバルコニーから柳の木を隔てた別の部屋の窓が開いて、そこのバルコニーに誰か出てきたらしい。

 涼しげに揺れる柳の枝の間を、見知った顔が横切っていった。


「……キャレ?」


 薄暮の残照と、部屋から漏れ出るわずかな明かりの中に、キャレのルビーレッドの髪が見えた気がした。

 しかも誰かに腕を掴まれて、無理やり引っ張られているようだった。


 エーリクは目をしばたかせ、今見た光景について、しばし考えた。


 こうした宴会においては、バルコニーはしばしば男女の逢引場所とされる。

 でもって、先程兄がワインを飲んでいたように、宴席が始まる前から酔っ払っている者がチラホラいる。

 そのうえで貴族の中には、しばしば少年を好んで、遊び興じる者がいるという。……


「まさか…」


 エーリクはすぐさまバルコニーを飛び出した。 

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