第二百六十話 グレヴィリウス家の夜会(7)

 時間は夜会の始まる前に戻る。



***


 キャレはアドリアンからもらった豪華な夜会服を着てから、玄関ホールに向かった。

 正直、気が重い。本当は行きたくない…。


 憂鬱な気分で階段を降りていると、近侍たちの話す声が聞こえてきて、キャレはあわてて駆け下りた。

 既にキャレ以外の全員、アドリアンも含めて集まっていた。

 皆、夜会に行くので当然ながら着飾っている。しかし、キャレの目には一人しか入ってこなかった。


 マティアスと話をしているアドリアンの姿は、それこそ昔、何度も読んだおとぎ話の王子様のように見えた。


 つややかで光沢のある白の生地に金糸で繊細な花綱模様フェストゥーンが刺繍された上着。大きく折り返された袖口や、襟の一部はグレヴィリウスを表す青藍色の生地になっており、銀糸でやはり細かな刺繍が施されている。

 右肩にかけられている青藍色の飾り用マントが柔らかく揺らめき、その留具クラスプは、グレヴィリウス公爵家の家紋が造形されてあった。スズランの部分は月長石、鹿にはアクアマリンが嵌め込まれてある。


 思わずぼうっと見惚みとれていると、気づいたアドリアンと目が合って、キャレはあわてて顔を伏せた。


「あぁ、キャレ。よく似合ってるね」


 いつも通りに気さくに声をかけられ、キャレは唇を噛み締めた。


 一昨日、ダーゼ公爵家の園遊会に顔を出すか否かから、アドリアンの婚約について話が及び、自分に関することであるのに、ひどく投げやりな態度のアドリアンに納得がいかず、思わぬ言い争いになってしまった。

 それからキャレはずっと気まずい。

 アドリアンにとってもそうであってくれるならばまだしも、現実は素っ気ないほどだった。

 その日の夕食の際に、アドリアンが「きつい物言いをしてしまったね」と申し訳なさそうに言ってきて、その後はいつもと変わらぬ態度であった。


 キャレは有難くはあったものの、同時に寂しかった。

 キャレにとってあのいさかいは真剣勝負だった。だがアドリアンにとっては、大したことでもなかったらしい。

 それが寂しくて、なぜか苦しかった。

 今までは見るだけで心が温かくなったアドリアンの微笑みも、空虚に見えてくる。

 喉が詰まったように感じながら、キャレはなんとか返事した。


「あ…ありがとう…ございます。小公爵さま」

「まるで誂えたみたいにピッタリだ。色もキャレの髪と合ってるし」


 無邪気に話すアドリアンが、少し苛立たしい。いや、憎らしい。

 キャレが黙っていると、マティアスがとりなすように言った。


「確かに。臙脂えんじ色がよく似合っています」

「小公爵さまはこの服を着られたことは?」


 テリィの問いかけに、アドリアンは首を振った。


撫子なでしこの刺繍がなんだか可愛らしすぎる気がして、着るのを避けてるうちに小さくなっちゃったんだ。だから、新品だよ。キャレ」

「は…はい…ありがとうございます」


 キャレはもう一度礼を言い、もう頭を下げっぱなしだった。


 そのまま皆で本館の大広間へと向かう。

 キャレはずっと黙ったまま、前で談笑するアドリアンたちにいていった。一歩進むたびに、足取りは重くなっていく。どうせならずっと廊下が続けばいいのに…と、虚しく願う。


 やがて大広間前まで来て、急にアドリアンが立ち止まり、振り返った。


「今日は皆、家族が来ているだろうから、一緒にいるといい。僕もどうせ始まったらしばらくは高座でかしこまっているだけだしね」

「本当ですか?」


 すぐに嬉しそうに反応したのはテリィだった。マティアスは少し戸惑ったように問うた。


「よろしいのですか?」

「あぁ。また秋になったら離れ離れになっちゃうんだし、せっかく家族と会える機会だ。こういうときくらいは一緒にいるといいよ」

「私は残ります」


 厳然と言ったのはエーリクだった。「誰もいなくなったら、小公爵さまを警護する者がいなくなります」


 しかしアドリアンは笑って、エーリクの腕を軽く叩く。


「公爵家の騎士を馬鹿にするもんじゃないよ、エーリク。彼らが今日、どれだけ配備されていると思ってるんだ。それこそエシルからだって、警護任務に就いている者もいるだろう?」

「しかし…」

「じゃあ、命令」


 アドリアンは腕を組んで、いかにも威張ったように言ったが、とび色の瞳は柔らかく微笑んでいた。

 エーリクは仕方なさそうに頷いた。


 キャレはアドリアンの発言を聞いたときから、顔色を失くしていた。

 ただでさえ憂鬱であったのに、よりによってあの家族と一緒なんて、死刑宣告みたいなものだ。


「あの…あの…小公爵さま…私は……」


 キャレはおどおどと声をかけたが、テリィの大声に遮られた。


「じゃあ、失礼致します! また後ほど!」


 早口にアドリアンに礼を言って、我先にと走り去っていく。

 マティアスは「まったく…騒々しい…」と苦々しく見送ってから、アドリアンに礼を言って、やはり少しばかり足早に立ち去った。エーリクも黙って頭を下げると、行ってしまった。

 アドリアンは三人の近侍たちを見送ってから、歩きかけて、ふと気づいたように振り返った。


「あれ? キャレ、君も行ってきたらいいよ」

「あ…いえ…私は……」


 キャレが迷っていると、アドリアンはハッとした顔になった。


「そうか…君は…」


 キャレが元々庶子で、オルグレン家で冷遇されていたことを思い出したらしい。しばらく考えてから、尋ねてきた。


「そういえば、キャレ。ファルミナの騎士団が合流したときにも、君は特に挨拶とか行ってないよね?」

「は…はい」

「君が家族に対して複雑な思いがあるのはわかるけど、一度も挨拶がないというのは、かえって非難されるよ。オルグレン家のとして、顔を見せるくらいはしたほうがいいんじゃないかな」


 キャレは一気に肩が重くなった。

 普通であれば、アドリアンの言うことはもっともなことだ。だがキャレはなるべくならば、オルグレン家の人々とは顔を合わせたくなかった。まして、こんな格好をしていたら、何と言われるか…。


 しかしアドリアンは安心させるように、キャレの肩を叩く。


「大丈夫。彼らは君を嫡子として認めたのだから、無下になんてできないよ。ましてこんなに大勢の人が集まる場所で、子供に怒鳴りつけるようなことしたら、それだけで騎士が飛んでくるさ」


 話している間に、日が落ちて、軽やかな音楽が聞こえてきた。

 夜会が始まったのだ。


「一言挨拶したら、すぐに退散したらいいよ。僕も公爵様の挨拶が済んだら、すぐに高座から降りて、壁際で大人しくしておくつもりだから。あとで合流しよう。じゃ」


 アドリアンは軽く言って、大広間に入っていった。止める暇もない。キャレは口を開いたまま、しばらく立ち尽くしていた。


 置いていかれた…。


 オルグレン家の人々に挨拶に行かねばならないことよりも、アドリアンに放置されてしまったことが、キャレにはショックだった。

 やっぱりあの日から、小公爵さまは怒っているんじゃないだろうか…?

 頭がぐるぐる回って、また嫌なふうに考えてしまう。


 泣きそうになるのをこらえて、キャレは大広間に入った。

 貴族が出入りする大きいドアからではなく、使用人用のドアから入ったのは、少しでも目を引きたくなかったからだ。

 なるべく誰とも目が合わないように俯き加減になって、長く伸びた前髪の間から、周囲を見回す。オルグレン家の人の顔がないのを確認すると、壁沿いに目立たぬよう歩いていった。


 とりあえず公爵閣下の挨拶が済んでアドリアンと合流するまでの間、どこかに隠れておこう。

 アドリアンはああ言うが、あちらだってキャレが挨拶に来ることなどきっと望んでいない。そもそも帝都に向かう途中で合流してきたときだって、何も言ってこなかったのだから。

 オルグレン家の中にキャレは最初からいない。

 近侍となるために嫡子となったものの、実子と同じ権利が与えられることなどないのだ。


 人々のさざめきから遠のくように、キャレは人のいない場所を探した。

 大広間の隅、パーティションで仕切られた小部屋を見つけると、ホッと息をついた。そこはおそらくちょっとした軽食や飲み物などが供される場所なのだろう。テーブルがいくつも並べられてあったが、まだ夜会が始まったばかりというのもあって、テーブル上にあるのは飾り花と、いくつかのワイン、ライム水ぐらいだった。貴族らしき人はおらず、従僕や女中が忙しそうに動き回っているだけだ。


 キャレはライム水をもらって、喉を潤す。一言も話していないが、緊張のせいで喉がカラカラだった。一気に飲み干して、二杯目のグラスに手を伸ばそうとしたときに、背後から呼びかけられた。


「こんなところにいたか…キャレ」


 ザラリとした陰湿な声。

 キャレは一瞬、息が止まった。それでも長年の条件反射で、即座に振り返って頭を下げてしまう。

 チラリと視界の端に、自分と同じルビーの髪が見えた。

 久しぶりに会う兄、セオドアがそこに立っていた。

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